私はNHKの紅白歌合戦も大河ドラマも朝ドラも見たことがない。
見ようとも思わない。
同じストーリーの繰り返しで飽き飽きして新鮮味がないからだ。
時間の無駄、と思っている。
ところが「いだてん」は見ている。
面白い。
ストーリーが奇想天外である。
お堅いNHKらしくない。
でも視聴率がまるであがらない。
一種のドラマ実験をやっている雰囲気が濃厚である。
マラソンとドラマ「落語心中」を足して二で割ったみたいのものだ。
好きな人は好きかもしれないが、なかなか人を引き付けるものにはなっていない。
まあしかたがない、そんなものだろう。
NHKだからやっていられるので、民放なら即打ち切りだろう。
打ち切りがないということは、まだまだあと半年は楽しめそうである。
放送終了後にテレビドラマ実験として「いだてん」は大きな金字塔を打ち立てるのではないかと思っている。
『
東洋経済オンライン 2019/02/10 5:30 スージー鈴木 : 評論家
https://toyokeizai.net/articles/-/264668
大河「いだてん」からそれでも目が離せない理由
視聴率では測れない「情報洪水」の快感

●2019年の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の主役に起用され、記念撮影する(左から)阿部サダヲさん、中村勘九郎さん。右は脚本の宮藤官九郎さん。写真は2017年(写真:共同通信社)
鳴り物入りで始まったNHK大河ドラマ「いだてん」だが、予想外に視聴率が伸び悩んでいる。
初回から5回までは15.5%→12.0%→13.2%→11.6%→10.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)という視聴率で推移しており、確かに苦戦している。
しかし、同じく宮藤官九郎脚本で、同じく、高視聴率とはいえなかった朝の連続テレビ小説「あまちゃん」(2013年)のように、熱狂的に盛り上がっているファンも多いようだ。
では、この「段差」は、どこから生まれてくるのだろう。
今回はその謎を、「いだてん」の独特の魅力構造から探っていくこととする。
■「いだてん」最大の魅力は「情報洪水」
「いだてん」の最大の魅力は、「画面からあふれ出す情報の洪水」にあると見る。
時制(明治と昭和)と視点(金栗四三、嘉納治五郎、古今亭志ん生、美濃部孝蔵=若き志ん生)が、くるくる入れ替わる実に忙しい脚本。
その脚本を彩る、次から次へと登場する途方もない数の有名俳優たち。とにかく情報が絶え間なくあふれ続ける、息をもつかせないドラマなのである。
また、これまでの宮藤官九郎脚本にありがちだった緩い「小ネタ」が少なく、その分、史実に関連した情報が上乗せされ、情報量はさらに積み重なっていく。
実際に私が見て感じた第一印象は「スマホをいじりながら見ることができないドラマ」というもの。
初回、感想などをツイートしながら見ようと思ったのだが、スマホをちらっと見ている間に、画面は大きく転換し、別のシーン、別の人物に入れ替わるのだ。
「スマホをいじりながら見ることができない」という意味では、毛色は違うが、年末恒例のテレビ朝日系列「M-1グランプリ」に近いものがある。
M-1も、少なくとも漫才が進行する4分の間は、決してスマホをいじることができない。
ここで思うのは、そんな、テレビから目を離せなくなるような「情報洪水」を、快感に思うかどうかで、「いだてん」の評価が決まるのではないかという仮説だ。
事実、私の周囲でも意見は分かれているのだが、高く評価しない人は、その理由を「展開があまりに忙しすぎて、ストーリーに追いつけない」とする人が多い。
★:では逆に高評価する人=「情報洪水」を快感に思う人とは、どんな人なのか?
このことを考えるにあたり、思い出すフレーズがある。
宮藤官九郎の師匠のような存在でもある高田文夫が、昭和40年代に一世を風靡したコント55号(萩本欽一、坂上二郎)が出たテレビ番組について語ったフレーズだ。
「だって、いきなりカメラのフレームの外からダーッと走ってきて、パっと飛び蹴りして、そのままダーッといなくなっちゃったりしたでしょ。
(中略)ああ、画面の向こうではすごいことが起きてる。
世の中は大変なことが起きているって思いましたよ」
(『笑うふたり―語る名人、聞く達人 高田文夫対談集』中公文庫)
この「画面の向こうではすごいことが起きてる」は、昭和の「テレビ黄金時代」において、テレビ好きの少年少女が、どれほどテレビに首ったけになっていたか、テレビからの新しい情報に対していかに貪欲だったかを、ビビッドに表した名フレーズだと思う。
■「情報洪水」が快感な人は「テレビ好き」ではないか
「情報洪水」を快感とする人の多くは、「情報洪水」に圧倒されるマゾヒスティックな喜びがかつて刷り込まれた(元)テレビ好きなのではないか。
そして、彼(女)らが今、「いだてん」に強く反応しているのではないだろうか。
おそらく、現在40~50代になっているであろう、そんな(元)テレビ好きは、「いだてん」を見て「画面の向こうではすごいことが起きてる」と思いながら、M-1を見るときのあの集中力を、この1月から毎週稼働させていると思うのだ。
「いだてん」の魅力分析に戻る。
この「情報洪水」論に加えて、キャスティングに目を向ければ、主役(の1人)である中村勘九郎の魅力が光っている。
途方もない人数の有名俳優たちの中心で、純粋で無垢な金栗四三役を若々しく演じている(37歳には決して見えない)。
ここで思い出すのは、「あまちゃん」における能年玲奈(現「のん」)のことだ。
彼女も、「あまちゃん」の濃厚なキャスト陣の中心で、イノセントな魅力を放ち、濃厚な世界に視聴者を誘引するゲートウェイの役割を果たしていた。
(元)テレビ好きにとっても「いだてん」は、少々度が過ぎる部分があるかもしれない。
そういうクドいところを中和し、読後感を爽快にする役割を、中村勘九郎が担っている。
彼の存在が今後、新しい視聴者の開拓につながっていくと思われる。
■「いだてん」は五輪の原点を問いただすドラマ
加えて、3つ目の魅力として、「オリンピックへの原点的なスタンス」を挙げておきたい。
これは、ここまで述べたことに比べて、やや些末な視点のように感じるが、その意味は、回を追うごと(=2020年東京五輪が近づいていくごと)に高まっていくはずだ。
初回で描かれたのは、永井道明(杉本哲太)が主張する、閉鎖的な「体育」的価値観と、嘉納治五郎(役所広司)が主張する、平和(フランス語で「ペ=Paix」)を重んじる「スポーツ」的価値観の対立構造だ。この対立構造は、おそらく「いだてん」全体を支配する通奏低音になっていくだろう。
宮藤官九郎は、『週刊文春』(1月31日号)の連載コラムで「一部でプロパガンダだ国策ドラマだと邪推する人がいると、見たくもねぇネットのニュースが流れてきて知りました。いやいや、冷静に考えて。そんなに重要なミッションなら俺なんかに任せないって」と書いていた。心強いと思う。
「来年のオリンピックに暗い影を落とす出来事が起こって」いる(上コラムより)中、「いだてん」は、オリンピックの原点を問いただすドラマとなっていくのではないか。
そしてそのことは、(元)テレビ好きに加え、原点志向の(元)オリンピック好きの開拓にもつながっていくと考えるのだ。
最後に、テレビとスマホ(ネット)の関係論に戻る。
ここ数年のテレビ界は、スマホとの「競争」ではなく、「共存」を図ってきたように思える。
その象徴が、ニュース番組などにおける、番組指定のハッシュタグ付きツイートを画面に流す演出だ。
スマホやネットは、テレビの敵としてはもう強大になりすぎた。
だとしたら、テレビとスマホの「ダブル・スクリーン」を前提として番組を作ろう、ということだろう。
しかし私=52歳の(元ではなく現)テレビ好きは、「共存」戦略ではなく、「競争」戦略の可能性も残っているだろうと、まだ信じている。
SNSや動画サイトからは流れてこない、ヒト・モノ・カネ・ジカンをたっぷりと費やした極上の国民的コンテンツで、テレビが、スマホを圧倒できる可能性があると、まだまだ信じている。
「いだてん」と、同じく日曜夜に放送されている、情報密度の高いドラマ=日本テレビ系「3年A組-今から皆さんは、人質です-」も、「スマホをいじりながら見ることができないドラマ」という一点において、「競争」戦略への可能性を十分に漂わせている。
■「情報洪水」の中でテレビはどう生き残るか
少し古い資料になるが、総務省の『情報流通センサス報告書』(平成18年度)によれば、平成8年度(1996年)に対する平成18年度(2006年)の情報流通量は10年間で530倍になった。
では、スマホとSNSの爆発的普及を経た平成最終年など、何倍に膨れ上がっているのだろう。見当もつかない。
その中で、テレビはどう生き残るか。
そのための最もストレートな方策が、ヒト・モノ・カネ・ジカンを費やして生み出された、圧倒的な質・量・速度の情報で、ほかの情報を遮断してしまうことではないか。
休日を締めくくる夜に、テレビから溢れ出す「とつけむにゃあ」(とんでもない)な「情報洪水」――日曜夜の皆さんは、テレビの人質です。
』
『
現代ビジネス 2019/03/03 堀井 憲一郎コラムニスト
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60050
大河ドラマ『いだてん』に「ハデな主人公」が存在しない深い理由
これは19世紀の小説と同じだ
■楽しいパワーに溢れたドラマ
NHK大河ドラマの『いだてん』が楽しい。
おもしろいというよりは、楽しい。
最初のうちは話があっちこっちに行ってしまい、筋を追おうとするとわかりにくい展開だった。
登場人物が多く、それも時代を越えて出てきて、それぞれの人生が描かれている。なかなか珍しい導入だった。
19世紀に流行した小説は、ときにこういう構成になっているものがある。
トルストイの『戦争と平和』も、いろんな人物が次々と現れ、かなり読み進めないと、中心人物がわからない。
どうやらピョートルという人が中心らしい、と気付くのは、だいぶ経ってからである(少なくとも私はそうだった)。
群像小説である。
読みにくいけれど、パワーがある。
なんかそれを想像してしまった。
ドラマとしては、かなり珍しい。
意欲的なドラマであることはたしかだ。
この先、何を見せてくれるのか、どきどきしている。
主人公は二人。
一人は金栗四三(中村勘九郎)。
マラソン選手である。
もう一人は田畑政治(阿部サダヲ)。
東京にオリムピックを呼んだ男。
いちおうこの二人がメインキャストである。
正直に言えば、地味である。
それも、かなり地味だ。
西郷隆盛(2018年大河ドラマ主人公)や明智光秀(同2020年)に比べるとぐんと知名度が落ちる。
だからだとおもうが、金栗と田畑だけではドラマは進まない。
ほかにも中心的な人物がいろいろ出てくる。
まず、落語家の古今亭志ん生(若い時代を森山未来、年取ってからがビートたけし)。
それから柔道家の嘉納治五郎(役所広司)。
すでに柔道家ではなく(たぶん)、教育者である。
とりあえずはこの四人がとっかえひっかえ、ドラマの真ん中に出てきて、お話を進めている。
落ち着きはない。
第一話の冒頭は、昭和34年(1959年)の古今亭志ん生(ビートたけし)から始まった。
まずこの「昭和の志ん生」で3分。
次いでこの時期の田畑政治たちが出てきた。
東京へオリムピックを呼べるのか、というお話で2分。
そこから、いきなり明治時代に飛んで、古今亭志ん生の青年時代、
本名の美濃部孝蔵(森山未來)が登場してくる。
33秒。
そのあと再び田畑政治たちの昭和34年が描かれ(2分)、タイトルバックに入った。
ここまで、くるっくる視点が変わる。
タイトルが終わったら、1年経っていて、昭和35年(1960年)の古今亭志ん生である。
そこから明治42年の美濃部孝蔵へ飛んで、いったん昭和35年の志ん生に戻って、また明治42年の美濃部孝蔵へ行き、続いてそのまま明治42年の嘉納治五郎と移った。
たぶん、このへんでくらくらし始めた人がいたとおもう。
ジェットコースターに乗り慣れてないと、酔いそうな振られかたである。
■どうしてこんなに行ったり来たり?
でも、なんかおもしろい。私はわくわくした。
おそらく、わくわくする人と、取りこぼされていく人に分かれていったのだろう。
「なんか楽しい」けれど「視聴率はよくない」となる分岐点である。
第一話を「誰のシーンだったか」をざっくり割ると。
「嘉納治五郎タイム」39分
「昭和の古今亭志ん生タイム」7分、
「美濃部孝蔵(明治の志ん生)タイム」4分、
「田畑政治タイム」4分。
嘉納治五郎がもっとも長かった。
でも昭和の志ん生もそこそこある。
1910年あたりと、1960年あたりを行き来していて、それを2019年から見ているわけだ。
いやはや、なかなか落ち着きがない。
落語には「あなたは落ち着きさえすれば、一人前だ」と言われる人物がときどき出てくるが、それをおもいだしてしまった。
第一話の終わりに「隈取りした中村勘九郎」が出てきた。
「車、やらぬ」の梅王丸ではなく(わかりにくい比喩ですません)、マラソンで世界記録を叩きだした金栗四三選手だった。
第二話からは金栗四三(中村勘九郎)が中心になる。
第二話の時間配分は
「金栗四三」25分。
「美濃部孝蔵(明治の志ん生)」10分、
「昭和の志ん生」1分、
「嘉納治五郎」1分
だった。
明治の時代が中心だけれど、昭和も入ってくる。
そのふらふらぶりは変わらない。
■「地味人」が多いドラマ
登場人物に「偉人」がいない。
大河ドラマは、いままでは「日本の歴史に関わったレベル」の人物が次々と出てきて展開することが多かった(一部、例外はあります)。
中心は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人、あとは幕末の長州、薩摩、土佐の志士たちである(肥前はほぼ無視されて気の毒である)。
もう60年近くやっているので、信長・秀吉・家康は繰り返し中心役で出てしまい、最近の主人公はその周辺の人にまで及んでいる。
井伊直虎や真田幸村や黒田官兵衛が主人公になり、でも井伊直虎の物語は、つまりは徳川家康の話であるし、真田幸村の話はやはり豊臣秀吉・秀頼の物語である。
結局、同じ時代を違う方向から見直すことが繰り返されている。
ところが、今年はまったく違う。偉人はおらず地味人ばかりだ。
金栗四三や田畑政治は、あまり日本史の教科書に載っていない。
嘉納治五郎もふつうの教科書には載らないだろう(載ってたらごめん)。
古今亭志ん生を太字で載せる歴史の教科書もないとおもわれる。
そういう人たちを中心に据えて、物語が展開している。
あと出てくる人物も、三島弥彦や橘家円喬など、同じくらいの知名度の人たちだ。
「大河ドラマレベルでいえば、そんなに有名ではない人たち」が出てきて、それぞれの人生が描かれている。
まっすぐな一本の人生は描かれていない。
最初は、「金栗四三選手のオリムピック物語」だが、それだけで一年をのりきらないだろう。
そもそもストックホルム五輪の結果を知ってる身としていえば、この初参加はとても興味深いエピソードだとはおもうが、一本のドラマになるほどの素材ではない。
■「時代」を描こうとする
だから、いろんな人がちょっとずつ出てきている。
平行していくつもの人生を描いている。
これには、おそらく、わけがあるのだ。
群衆小説である『戦争と平和』が、主人公がはっきりとわからないまま、それでも圧倒的な迫力で進むのは、ナポレオン時代のロシアそのものを描いているからである。
ロシアにとってナポレオンは迷惑でしかなかった、ということがひしひしと伝わってくる(ヨーロッパ中で迷惑だったとおもうが)。
小説家が「19世紀の長編小説」に憧れるのは、人間を描きながらも、それを越えた「時代そのもの」を描いているからである。
おそらく小説家は、人生を越えた「時代」を書きたいのだ(小説家のタイプによるとおもいますが)。
トルストイ『戦争と平和』はそれを描ききった。
19世紀前半のロシアそのもの、貴族社会が揺れ動き、19世紀の戦争と19世紀の国家が書かれ、感情を越えた社会の蠢きそのものが描かれている。
読むのはなかなか大変だが、読み終わると、並の小説では得られない大きなものを受け取ることになる(そういう気分になれる)。
群衆小説的な手法で始まった『いだてん』は、おそらくかなりの野心があるのだと(勝手に私は)おもっている。
いろんな人が次々と出てきて、ややこしくて、落ち着きのないドラマであるが、それには狙いがある。
細い川の流れが、いつか何かの形でひとつになっていき、予想もしなかった大きな流れになっていくのではないか、まさに「大河」なドラマが出現するのではないかと(勝手に私は)楽しみにしている。
「オリムピック」がキーワードになっているが、しかし、「オリムピック」だけを描こうとしているのでもないとおもう。
それを越えた大きなもの(日本の空気とか、何か)を見せてくれるのではないだろうか。
そうだとしたら、いま見放してはもったいない。
ぼんやりでいいから、見続けたほうがいい。
そのうち、じわりとおもしろくなっていきそうにおもう(はずれたらごめん)。
私はひたすら期待するばかりである。
』
『
現代ビジネス 2019.06.09 堀井 憲一郎コラムニスト
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65097
『いだてん』は、日本男子マラソン界の「無念の起源」を描いた傑作だ
視聴率一桁はあまりに勿体ない!
■ドラマを見ていると思い出す「あの選手」
大河ドラマ『いだてん』の主人公、金栗四三は20話での1920年のアントワープオリンピックのマラソンでメダルを取れなかった。
残念である。
1912年ストックホルムでは途中で昏倒、1916年はベルリン開催されず、1920年アントワープでは35kmこえたあたりまでは健闘、5位以内にいたがその後、失速してメダルは取れなかった。
オリンピックは4年ごとなので、世紀が変わっても同じ下2桁の年、つまり’12年、’16年、’20年に開かれるのかとおもうと、ちょっとおもしろい。
‘16年のベルリン大会が開かれていればと残念である。
金栗四三は21歳と29歳のときにオリンピックに出場したが成績をあげられず、25歳の絶頂のときのオリンピックが中止になったのである。
つい瀬古利彦をおもいだした。
瀬古利彦は早稲田大学の学生だった1979年の福岡国際マラソンで、早稲田大学のゼッケンをつけて圧倒的な強さで優勝、日本マラソン界の期待の星となった。
友人の下宿にあった小さい白黒テレビでその瀬古の圧勝を見つめて、興奮した。
1979年に瀬古選手は早稲田大学教育学部の4年、私は文学部の1年だった。
同校の先輩の優勝はやたらと高揚してしまう。
瀬古は1980年3月に早稲田大学を卒業する。
教育学部体育専修の4年には瀬古利彦と、阪神タイガースにドラフト1位指名されたばかりの岡田彰布がおり、「体育専修の学生なら必ず受けにくるはずの試験」を調べだした同級生が、岡田と瀬古ににサインをもらってくると教育学部に出向いていったのをよく覚えている。
結果、瀬古選手には会えてサインを貰って写真もとってもらってけど、岡田選手は来なかった。
タイガースのキャンプに行ってるらしい、卒業できるんだろうか、という話をしていた。
まあ、たぶん卒業してるんだとはおもいますけど。
1978年からしばらく、マラソン界の瀬古は圧倒的な強さを見せていた。
暴力的なほどに強かった。
他の選手と同時に競技場に戻ってきても、最後にすごいスパートを見せて完全にぶっちぎって優勝する、というのを繰り返していた。
誰がみても世界1位、日本陸上界の悲願、オリンピックマラソンでの金メダルは確実だとみられていた。
競技場に戻ってきたときの雰囲気があまりにも余裕で、これから追走者をしっかり圧倒してやるという不敵な感じを漂わせ、あっというまにそこからトップスピードに乗って、まさにぶっちぎるという感じで勝っていた。
遅れだす追走者の無念さまでもが見事な景色になっていた。
彼が負ける姿が想像できなかった。
たぶん本人もそうおもってたのではないだろうか。
1980年のモスクワオリンピックのマラソンでは、誰がどう見たって瀬古利彦が金メダルを取るだろう、余裕で取るに違いないと信じていた。
■円谷幸吉の姿に感じた、悲痛な思い
オリンピックのマラソンを初めてみたのは1964年の東京大会である。
6歳だった。
トップで帰ってきたのはエチオピアのアベベ選手。
しばらくして彼に続いて国立競技場に二番目に戻ってきたのは日本の円谷幸吉選手だった。
しかし円谷は競技場内でイギリスのヒートリー選手に抜かれてしまう。
当時6歳ではあったが、私はこのシーンを(テレビで見ていたのだが)鮮明に覚えている。
日本選手が2位で入ってきたのに抜かれてしまったのがあまりに哀しく、まだ少しあるのだから抜き返して2位に戻ることはできないのだろうか、と胸を締め付けられるような気持ちで見ていた。
その悲痛な気分をよく覚えている。
円谷幸吉といえば、このときの顔(そんなに鮮明に見えてなかったはずなのだが、でも淡々としながらも悔しそうだった記憶になっている)が忘れられない。
1968年のメキシコオリンピックのマラソンでは、君原健二が2位に入った。
彼は途中まではかなり後方にいたのだが、途中からどんどん前に出て2位に入ったのだ(それはあとになって知った)。
このマラソンは日本では月曜の朝の時間帯で、この日、1968年10月21日月曜、小学4年だった私はものすごく寝坊してしまい、本来なら小学校へ着いてるような時間に起きてきて(たぶん8時30分くらいだったとおもう、遠距離通学だったのでうちから小学校まで45分くらいかかる)、大変な遅刻をしたというショックで茫然と用意しているなか、マラソン中継をぼんやる見ていたのだ。
君原健二がクビをふりながら力を出し切ったような気配で2位でゴールしたシーンをぼんやりと見ていた。
1時間目まるまる遅刻しそうな寝坊したことで世界が終わったようなショックを受けていたので、日本人の銀メダルシーンに感銘を受けることなく、かなりぼんやりしていたのだ。まあ10歳児なんでしかたがない。
のち、大学で同い年の子とメキシコオリンピック君原の話になったとき、そいつは家でマラソンの前半を見ていて、でも学校に向かう時間になったので、友だちの家に寄っては、君原はいま何位になったかと聞いて、それを2,3人の家で繰り返して、学校に着いたころに君原が2位になったことを知ったという。
なんか劇的だったけど、でもすごく地味でもあった。
そういう素敵な選手でした。君原健二。
君原は次の1972年のミュンヘンでも5位に入賞した。
このへんがこの人のかっこいいところですね。
あんなに期待されていたのに…
1976年のモントリオールオリンピックのマラソンでは宗兄弟の兄・茂が出場したが、20位だった。
そして1980年のモスクワオリンピックのマラソン。
日本代表は瀬古選手と、この双子の宗兄弟だった。
すごく強そうなメンバーである。
瀬古利彦の優勝は疑っていなかったが、宗兄弟も優勝にからんでくるのではないかと期待していた。
多くの人がそういう期待をしていたのじゃないだろうか。
双子の宗兄弟は一緒にレースに出ると強いと言われていて、モントリオールは兄だけしか出てなかったから敗れたのだという話もあった。
だから、世界最強の瀬古に、宗茂・宗猛がからむと、メダルの複数が可能だともおもっていた。
1位2位3位の独占ではなくて、1位は瀬古で、2位ソ連のチェルピンスキーが入ってきそうだけれど、3位に宗兄弟のどっちかが入るんではないか、という予想していたのだ。
いま予想しても、ちょっとわくわくするが、なかなかむなしいわくわくである。
アフガニスタンでのソ連侵攻に抗議して、モスクワオリンピックは「西側諸国」がボイコットした。
世界は東と西に分けられて、とても政治的な季節だったのだ。
アメリカにとってソ連は明確な敵だった。
スパイ映画ではソ連はきちんと敵国だった。
「モスクワオリンピックに出場していたら金メダルが確実だった日本選手」には、このマラソンの瀬古と、あと柔道の山下泰裕選手、レスリングの高田祐二選手の3人がおもいうかぶ。
政治的な理由で出られないことに抗議したニュースでの高田選手の涙が忘れられない。
高田選手はモントリオールで金メダルを取っていて、連覇を狙っていた。
4年後のロサンゼルスに出場したが銅メダルだった。
でも、いちおうオリンピックメダルを2つ取っていることになる。
山下泰裕は、次のロサンゼルスオリンピックで足を痛めつつも金メダルを獲得した
感動的な金メダルだった。
瀬古利彦は、しかしロサンゼルスでメダルが取れず、その次のソウルでも取れず、ついにオリンピックで勝つことがなかった。
世界最強と言われながらも、いくつかの不運が重なってオリンピックメダルを取れなかった。
金栗四三と少しだぶってしまう。
ロサンゼルスオリンピックのマラソンは、1984年の8月12日におこなわれた。
日本では13日月曜の朝スタートで、何だか夏らしい日だった。
私は、瀬古のマラソンのことを考えて前日からよく寝られなかった。
なぜだかはよくわからない。
でも瀬古に優勝して欲しくて欲しくて、そのために寝られなかったのだ。
そんなことはあとにも先にもこのときぎりである。
同世代の選手だからかもしれない。
大学では3学年違っていたが(私がたくさん浪人をしたからだとおもわれる)瀬古選手は中高の学年でいえば一つ上である(柔道の山下選手と同い年)。
あまりよく寝られず朝からテレビをみた。
テレビで見た夏の緑とロサンゼルスの風景を何となく覚えている。
でもそれぐらいしか覚えていない。
東京五輪やメキシコ五輪のときのように鮮烈には覚えてない。
瀬古は30kmくらいまでは先頭集団にいたはずだけど、あまり力強さが感じられず、あと10キロくらい残しているあたりで先頭集団から脱落しはじめた。
あまりに衝撃的で、そのあとをよく覚えてないのだ。
だめなのか、だめだたったのか、やっぱだめなのか、という悔しいおもいでいっぱいになって、自分を喪っていくような気分だった。
たしか宗兄弟のどっちかがそこそこ頑張ったのだけれど、そのへんの記憶も曖昧である。
いまあらためて調べて、弟の宗猛が4位に入っていたのをおもいだした。
4位というのが何ともいえないところである。
瀬古の順位はまったく記憶していない。(14位だった)。
■金栗四三の無念から続く、男子マラソンの「無念」
瀬古利彦は、その4年後の1988年のソウルオリンピックにも出場した。
優勝するはずのモスクワから8年経っている。
9位だった。
ソウルオリンピックでは、瀬古のライバルとして出てきた長身の中山竹通が4位だった。
中山竹通も強かったがオリンピックでは勝ちきれなかった選手で、この4年後の1992年のバルセロナオリンピックでも4位だった。
2大会連続の4位。
すごいといえばすごいが、残念といえばかなり残念である。
1992年のバルセロナではさほど注目されてなかった森下広一が2位で銀メダルを取った。
1968年の君原と違って、最後まで韓国選手(黄選手)と優勝を競っていた。
これは、ひょっとしてとおもって、息を詰めて見ていた。
二人で並んで走り続けていたが、最後で突き放されて、やはり、という気分になってしまった。
オリンピックのマラソンでは、いつもそういう気分に襲われる。
1992年バルセロナで期待していのは谷口浩美で、でも彼は前半の給水のときに靴を踏まれて転倒して靴が脱げた。
それで優勝にからめなくなった。
レース後の「こけちゃいました」とのコメントが印象的だった。
谷口が脱落して、かなり気落ちして見ていた。
谷口浩美は前年の世界陸上の東京大会で優勝している。
このとき私は沿道まで見に行っていた。
国立競技場すぐのところで見て、品川まで移動して見て、また競技場脇へ戻って谷口がトップで帰ってくのをみた。
「にっぽんいち!」と声をかけたらうしろの見知らぬおっさんに「世界一だよ」と言われた。
おら、ただ、江戸っ子っぽく江戸のころに流行っていた日本一という言葉がいいたかっただけなんだな。
あそこで世界一と言わなかったのがいけなかったのかもしれない。
この1992年バルセロナのマラソンが、優勝を念じた最後の大会になった。
1964年の東京大会以来、不思議におもいつめた気持ちで見ていたのはここまでである。
そのぶん気楽に見られるようになった。
オリンピック前から世界に名を轟かせる選手をあまり見かけなくなたっということでもある。
どうやらオリンピックの男子マラソンを見るたびに、「円谷幸吉と瀬古利彦の無念さ」を感じ続けていた、ということのようだ。
『いだてん』を見ていると、それは「1916年ベルリン不参加の金栗四三の無念」から発祥しているような気がしてしまう。
ふしぎな気分である。
』
『
東洋経済オンライン 2019.06.16 木俣 冬 : コラムニスト
https://toyokeizai.net/articles/-/286960
NHK「いだてん」の視聴率が極めて冴えない理由
大河ドラマ「歴代ワースト記録」の意味
大変だ。
「いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜」(NHK 日曜夜8時〜)が大河ドラマで新記録を打ち立ててしまった。
6月9日(日)放送の第22回「ヴィーナスの誕生」は視聴率が6.7%で、1963年から始まってこれまで58作放送されてきた大河ドラマで記録に残っているものとしては、2012年11月18日(日)放送の『平清盛』第45回の7.3%というワースト記録をさらに下回る最低水準となった。
「いだてん」は、日本で初めてオリンピックに参加したマラソン選手・金栗四三(中村勘九郎)と、日本へのオリンピック招致に尽力した田畑政治(阿部サダヲ)の2人を主人公にしたドラマ。
■「いだてん」の存在意義とは
1年間全47回のドラマのなかで前半(第24回まで)は、金栗と最初に日本人がオリンピックに参加した1912年のストックホルムオリンピック、後半(第25回から)は、田畑と日本でオリンピックが開催される1964年の東京オリンピックを描く。
現在、前半のクライマックスを迎えつつあり、第22回は、日本初の女性オリンピックメダリスト・人見絹枝(菅原小春)が颯爽と登場し、黒島結菜が演じる金栗の教え子である女子学生・村田富江が率いる女子たちが立ち上がる清々しいエピソードで、SNSでは「神回!」「22回中最高!」という絶賛の声が上がった。
にもかかわらず、視聴率という数字が伴わない。
いったい何が「いだてん」を孤高のドラマにしているのか。
なぜ視聴率が低いのか、そしてこの特異なドラマの存在意義とは――。
毎日利用する通勤電車で、当たり前に「大河ドラマ」駅に着くつもりが「朝ドラ」駅に着いて、そこには知らない人がいて、いつものような流れで仕事が進まず、すっかり困惑してしまったというような状況がいまの「いだてん」である。
主として低視聴率の原因とされる点は3点。
1:. 構成が凝りすぎている
2.: 有名な偉人によるよく知られた歴史譚でない
3:. 朝ドラみたい
★:まず、構成。
落語を使った構成が凝っている。
金栗と田畑の生きた2つの時代を結びつけるために、明治から昭和まで生きた落語家・古今亭志ん生(若き頃、美濃部孝蔵時代は森山未來、志ん生になってからはビートたけし)が創作落語『東京オリムピック噺』を語るという趣向になっている。
日本人がいかにオリンピックと関わってきたか、そこに存在した人々の奮闘を描いた創作落語が2つの時代を一本刺し貫くという凝った趣向だが、これが意外と関門になった。
オリンピック=スポーツドラマと思って見たら、落語のドラマも混ざっていて混乱してしまうという声が出た。
2つの時代を行ったり来たりして混乱しないようにガイドとして機能するはずの落語が、かえって混乱を大きくしてしまったとは予想外だろう。
視聴率が下るのは、落語だけに「サゲ」(オモのこと)がつきものです、と笑っていいものか悩ましい。
★:2点目は、主人公が有名人ではないこと。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などなど、だいたい何をした人か知っている人であってほしい。
「待ってました!」と知っている出来事を見て楽しみたいのが日曜夜8時の気分らしい。
いやいや待てよ、6月9日(日)放送回で視聴率が20%を超えた「ポツンと一軒家」は、有名人ではない人の意外な生活の実話である。
だがこれは、出てくる人は知らない人ながら、田舎にポツンと一軒家があるという筋は毎回同じ。
つまり、ポツンと一軒家の発見とそこで暮らす人のちょっといい話であることは、誰もがあらかじめわかっている。
■お決まりの“印籠”タイムは1年後!?
いわゆる“水戸黄門パターン”なのだ。
「半沢直樹」以降、成功パターンとして信じられている、医療もの、事件もの、逆転ものにつきものの、必ず何か気分がよくなることが起こり、それを楽しみに見るという絶対安心の番組。
それこそが今までの大河ドラマであり、「水戸黄門」であり、「半沢直樹」であり、そして「ポツンと一軒家」なのである。
そこへいくと「いだてん」にはそれがない。
いつ、大正と昭和の時代の話が出てくるか、いつ、古今亭志ん生の話になるかわからず、ふいに話が切り替わる。
しかも、いまのところ、何かが起こるとたいてい主人公が負けてしまう展開なのだ。
金栗はオリンピックでゴールできず、次のオリンピックは中止になり、3度目の正直かと思えば16位。
第22回でせっかく女子が立ち上がったと思ったら、これから関東大震災、さらに戦争も待っている。
そこを乗り切れば、やがて昭和の高度成長期を迎え、はじめて日本にオリンピックが招致されることになって、すべてが報われる、はずだ。
1年間続けて見たら、最後は印籠タイム的なことが用意されていると想像に難くないのだが、われわれ庶民は、この数年の1話完結型の医療と事件もののドラマブームによって、1時間の間に救いや答えをもらうことにすっかり慣れてしまい、1年間も待つことができないカラダになってしまっているのであった。
これが視聴率低下の最大の理由と考えられるが、3点目も念のため挙げておこう。
★:3点目は、大河というより「朝ドラ」みたいだから「朝ドラ」でやってほしいという意見。
確かに、22回は人見絹枝ほか女性たちが、女性はこうあるべしという、主に世の男性の意見から解放されたいという思いにあふれた爽快極まりない話なうえ、現代の女性問題ともフィットした社会性もたっぷりで、朝ドラでやっていたら25%くらいとれたかもしれない。
こうして第1回は15.4%だった「いだてん」の視聴率が徐々に下がり、第6回から1桁が続き、現在、6.7%となったと考える。
ここからは、ではこの孤高のドラマの存在意義があるかだが、答えはある、だ。
視聴率が下がったとはいえ、第18~21回までは8%台が続き、潜在的な視聴者はそれくらいは必ずいるのではないかと見られていた。
実のところ、これくらいの視聴率があれば、決して世間が背を向けているとはいえない。
むしろ作品を徹底的に応援するコアな視聴者がたくさんいるという見方ができる。
それには前例がある。
■高視聴率=人気とは限らない理由
まず、「おっさんずラブ」(2018年テレビ朝日)。
平均視聴率が4.0%。最高でも5.7%だったが、SNSでの反響が回を増すごとにアップし、終了後も映像ソフトや書籍など関連商品の売れ行きがよく、映画化(今夏公開)もされ、テレビ朝日の2018年度の売上に大幅に貢献するほどのヒットとなった。
次に、「コンフィデンスマンJP」。
ドラマ版(2018年フジテレビ)の平均視聴率は8.9%で全10話、すべて1桁だったが、5月に公開された映画版は6月10日時点で興収22億円を突破し、早くも第2弾制作が決定した。
視聴率とは世帯視聴率を指し、ビデオリサーチのサイトによると「テレビ所有世帯のうち、どれくらいの世帯がテレビをつけていたかを示す割合」とある。
地域によってサンプルとなる世帯は違い、関東地区は900世帯となっている。
他地区よりも最も多く関西は600、そのほか200世帯なので、視聴率といえば関東地区のそれが基本として話題にされる。
われわれはこの世帯数と地域の人口を考慮して、だいたいの視聴人数を勝手に想定しているわけだ。
そのため番組を視聴している正しい人数がわからないことと、サンプルになっている世帯が明かされていないため、代わって、録画率や再放送やBSなどを見た総合視聴率、SNSなどで取り上げられる視聴熱、配信で見られた数など、新たな指標が模索されているところだ。
以前、フジテレビのプロデューサーに取材をしたとき、「映画で興収30億円というのは、見ている人数だけで言ったら、『恋仲』とそうは変わらない。
むしろ、人数だけで言ったら、おそらく『恋仲』のほうが多いんじゃないでしょうか」と語っていた(ヤフーニュース個人「恋愛ドラマは求められている」より)。
「恋仲」とは、2015年に放送された平均視聴率10.8%の恋愛ドラマである。
視聴率10%は興収30億円と同価値であるということらしい。
もちろんたくさんの人が見るに越したことはない。
朝ドラのように視聴率が20%を超えることを悲しむことも恥じることもないが、それが必ずしも経済効果につながるかといったら絶対ではない。
そこには家にいながら無料で見られるから見ているという層がいる。
視聴率が上がれば上がるほどその層は増える。
対してソフトやグッズを購入し、映画館にも足を運ぶ層が5%以上いれば経済は動く。
ゆえに「いだてん」は「おっさんずラブ」や「コンフィデンスマンJP」のような、熱のあるファンを獲得する作品にある傾向のドラマだと思えば、視聴率の低さはさほど気にならない。
逆に、「いだてん」はこれからの大河ドラマを支える強い味方予備軍を生み出しているともいえるのだ。
■新しい大河ドラマの可能性を秘めた「いだてん」
そもそも「いだてん」の脚本家・宮藤官九郎は、視聴率はさほどではないものの、作品を熱心に見る、要するに作品の味方となる視聴者を呼ぶことのできる作家であった。それが顕著になったのが朝ドラ「あまちゃん」(2013年)。
関連本が売れたことをはじめ、SNSで朝ドラを語るというブームを作り、従来の朝ドラを見る層に新たな層を呼び込んだ。
「いだてん」を大河ドラマでやるにあたって、高齢者ばかりが大河ドラマを見ている状況を打破するため、朝ドラ改革を大河ドラマにも、という狙いもあったと思う。
実際、「いだてん」から大河をはじめて見た人もいるようだが、「あまちゃん」で開拓したNHKを見るようになった層は、すでに三谷幸喜の「真田丸」(2016年)や、森下佳子の「おんな城主直虎」(2017年)なども見て、SNSコミュニケーションを盛んに行っていたため、「いだてん」は「あまちゃん」ほどの爆発力は発揮できなかったのだろう。
そもそも朝ドラと視聴率のベースが違うというのもある。
ただ、勢いよく現状を突破することはすべてではなく、守ることも大事。
「いだてん」はいま、徐々に変わりかけている大河ドラマの視聴層を盤石にしているところなのだという気がする。
これまでの大河ドラマにない、凝った構成、有名な偉人によるよく知られた歴史譚でない、言い換えれば「未知なる人物の新たな物語」、「朝ドラ」みたい、言い換えれば「ヒットの可能性もある」「大河ドラマの可能性を開く」という3点を確実に行うことで地盤を固める。
あたかも「いだてん」で金栗四三や、嘉納治五郎(役所広司)が拓いた道を引き継いでバトンを持って走って昭和に向かっていく流れのようなものだ。
ヒットメーカーで知られる大根仁や、塚本晋也の映画で助監督などをやっていた林啓史など外部演出家を初めて大河に起用するなどのトライも頼もしく感じられる。
視聴率が下がっているのは、過渡期だから。
視聴率の低さは、新たな時代の始まりの証しでもある。
信じて待てば「待ってました!」というサプライズがきっともらえると私は信じている。
』
東洋経済オンライン 2019.06.16 木俣 冬 : コラムニスト
https://toyokeizai.net/articles/-/286960
NHK「いだてん」の視聴率が極めて冴えない理由
大河ドラマ「歴代ワースト記録」の意味
大変だ。
「いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜」(NHK 日曜夜8時〜)が大河ドラマで新記録を打ち立ててしまった。
6月9日(日)放送の第22回「ヴィーナスの誕生」は視聴率が6.7%で、1963年から始まってこれまで58作放送されてきた大河ドラマで記録に残っているものとしては、2012年11月18日(日)放送の『平清盛』第45回の7.3%というワースト記録をさらに下回る最低水準となった。
「いだてん」は、日本で初めてオリンピックに参加したマラソン選手・金栗四三(中村勘九郎)と、日本へのオリンピック招致に尽力した田畑政治(阿部サダヲ)の2人を主人公にしたドラマ。
■「いだてん」の存在意義とは
1年間全47回のドラマのなかで前半(第24回まで)は、金栗と最初に日本人がオリンピックに参加した1912年のストックホルムオリンピック、後半(第25回から)は、田畑と日本でオリンピックが開催される1964年の東京オリンピックを描く。
現在、前半のクライマックスを迎えつつあり、第22回は、日本初の女性オリンピックメダリスト・人見絹枝(菅原小春)が颯爽と登場し、黒島結菜が演じる金栗の教え子である女子学生・村田富江が率いる女子たちが立ち上がる清々しいエピソードで、SNSでは「神回!」「22回中最高!」という絶賛の声が上がった。
にもかかわらず、視聴率という数字が伴わない。
いったい何が「いだてん」を孤高のドラマにしているのか。
なぜ視聴率が低いのか、そしてこの特異なドラマの存在意義とは――。
毎日利用する通勤電車で、当たり前に「大河ドラマ」駅に着くつもりが「朝ドラ」駅に着いて、そこには知らない人がいて、いつものような流れで仕事が進まず、すっかり困惑してしまったというような状況がいまの「いだてん」である。
主として低視聴率の原因とされる点は3点。
1:. 構成が凝りすぎている
2.: 有名な偉人によるよく知られた歴史譚でない
3:. 朝ドラみたい
★:まず、構成。
落語を使った構成が凝っている。
金栗と田畑の生きた2つの時代を結びつけるために、明治から昭和まで生きた落語家・古今亭志ん生(若き頃、美濃部孝蔵時代は森山未來、志ん生になってからはビートたけし)が創作落語『東京オリムピック噺』を語るという趣向になっている。
日本人がいかにオリンピックと関わってきたか、そこに存在した人々の奮闘を描いた創作落語が2つの時代を一本刺し貫くという凝った趣向だが、これが意外と関門になった。
オリンピック=スポーツドラマと思って見たら、落語のドラマも混ざっていて混乱してしまうという声が出た。
2つの時代を行ったり来たりして混乱しないようにガイドとして機能するはずの落語が、かえって混乱を大きくしてしまったとは予想外だろう。
視聴率が下るのは、落語だけに「サゲ」(オモのこと)がつきものです、と笑っていいものか悩ましい。
★:2点目は、主人公が有名人ではないこと。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などなど、だいたい何をした人か知っている人であってほしい。
「待ってました!」と知っている出来事を見て楽しみたいのが日曜夜8時の気分らしい。
いやいや待てよ、6月9日(日)放送回で視聴率が20%を超えた「ポツンと一軒家」は、有名人ではない人の意外な生活の実話である。
だがこれは、出てくる人は知らない人ながら、田舎にポツンと一軒家があるという筋は毎回同じ。
つまり、ポツンと一軒家の発見とそこで暮らす人のちょっといい話であることは、誰もがあらかじめわかっている。
■お決まりの“印籠”タイムは1年後!?
いわゆる“水戸黄門パターン”なのだ。
「半沢直樹」以降、成功パターンとして信じられている、医療もの、事件もの、逆転ものにつきものの、必ず何か気分がよくなることが起こり、それを楽しみに見るという絶対安心の番組。
それこそが今までの大河ドラマであり、「水戸黄門」であり、「半沢直樹」であり、そして「ポツンと一軒家」なのである。
そこへいくと「いだてん」にはそれがない。
いつ、大正と昭和の時代の話が出てくるか、いつ、古今亭志ん生の話になるかわからず、ふいに話が切り替わる。
しかも、いまのところ、何かが起こるとたいてい主人公が負けてしまう展開なのだ。
金栗はオリンピックでゴールできず、次のオリンピックは中止になり、3度目の正直かと思えば16位。
第22回でせっかく女子が立ち上がったと思ったら、これから関東大震災、さらに戦争も待っている。
そこを乗り切れば、やがて昭和の高度成長期を迎え、はじめて日本にオリンピックが招致されることになって、すべてが報われる、はずだ。
1年間続けて見たら、最後は印籠タイム的なことが用意されていると想像に難くないのだが、われわれ庶民は、この数年の1話完結型の医療と事件もののドラマブームによって、1時間の間に救いや答えをもらうことにすっかり慣れてしまい、1年間も待つことができないカラダになってしまっているのであった。
これが視聴率低下の最大の理由と考えられるが、3点目も念のため挙げておこう。
★:3点目は、大河というより「朝ドラ」みたいだから「朝ドラ」でやってほしいという意見。
確かに、22回は人見絹枝ほか女性たちが、女性はこうあるべしという、主に世の男性の意見から解放されたいという思いにあふれた爽快極まりない話なうえ、現代の女性問題ともフィットした社会性もたっぷりで、朝ドラでやっていたら25%くらいとれたかもしれない。
こうして第1回は15.4%だった「いだてん」の視聴率が徐々に下がり、第6回から1桁が続き、現在、6.7%となったと考える。
ここからは、ではこの孤高のドラマの存在意義があるかだが、答えはある、だ。
視聴率が下がったとはいえ、第18~21回までは8%台が続き、潜在的な視聴者はそれくらいは必ずいるのではないかと見られていた。
実のところ、これくらいの視聴率があれば、決して世間が背を向けているとはいえない。
むしろ作品を徹底的に応援するコアな視聴者がたくさんいるという見方ができる。
それには前例がある。
■高視聴率=人気とは限らない理由
まず、「おっさんずラブ」(2018年テレビ朝日)。
平均視聴率が4.0%。最高でも5.7%だったが、SNSでの反響が回を増すごとにアップし、終了後も映像ソフトや書籍など関連商品の売れ行きがよく、映画化(今夏公開)もされ、テレビ朝日の2018年度の売上に大幅に貢献するほどのヒットとなった。
次に、「コンフィデンスマンJP」。
ドラマ版(2018年フジテレビ)の平均視聴率は8.9%で全10話、すべて1桁だったが、5月に公開された映画版は6月10日時点で興収22億円を突破し、早くも第2弾制作が決定した。
視聴率とは世帯視聴率を指し、ビデオリサーチのサイトによると「テレビ所有世帯のうち、どれくらいの世帯がテレビをつけていたかを示す割合」とある。
地域によってサンプルとなる世帯は違い、関東地区は900世帯となっている。
他地区よりも最も多く関西は600、そのほか200世帯なので、視聴率といえば関東地区のそれが基本として話題にされる。
われわれはこの世帯数と地域の人口を考慮して、だいたいの視聴人数を勝手に想定しているわけだ。
そのため番組を視聴している正しい人数がわからないことと、サンプルになっている世帯が明かされていないため、代わって、録画率や再放送やBSなどを見た総合視聴率、SNSなどで取り上げられる視聴熱、配信で見られた数など、新たな指標が模索されているところだ。
以前、フジテレビのプロデューサーに取材をしたとき、「映画で興収30億円というのは、見ている人数だけで言ったら、『恋仲』とそうは変わらない。
むしろ、人数だけで言ったら、おそらく『恋仲』のほうが多いんじゃないでしょうか」と語っていた(ヤフーニュース個人「恋愛ドラマは求められている」より)。
「恋仲」とは、2015年に放送された平均視聴率10.8%の恋愛ドラマである。
視聴率10%は興収30億円と同価値であるということらしい。
もちろんたくさんの人が見るに越したことはない。
朝ドラのように視聴率が20%を超えることを悲しむことも恥じることもないが、それが必ずしも経済効果につながるかといったら絶対ではない。
そこには家にいながら無料で見られるから見ているという層がいる。
視聴率が上がれば上がるほどその層は増える。
対してソフトやグッズを購入し、映画館にも足を運ぶ層が5%以上いれば経済は動く。
ゆえに「いだてん」は「おっさんずラブ」や「コンフィデンスマンJP」のような、熱のあるファンを獲得する作品にある傾向のドラマだと思えば、視聴率の低さはさほど気にならない。
逆に、「いだてん」はこれからの大河ドラマを支える強い味方予備軍を生み出しているともいえるのだ。
■新しい大河ドラマの可能性を秘めた「いだてん」
そもそも「いだてん」の脚本家・宮藤官九郎は、視聴率はさほどではないものの、作品を熱心に見る、要するに作品の味方となる視聴者を呼ぶことのできる作家であった。それが顕著になったのが朝ドラ「あまちゃん」(2013年)。
関連本が売れたことをはじめ、SNSで朝ドラを語るというブームを作り、従来の朝ドラを見る層に新たな層を呼び込んだ。
「いだてん」を大河ドラマでやるにあたって、高齢者ばかりが大河ドラマを見ている状況を打破するため、朝ドラ改革を大河ドラマにも、という狙いもあったと思う。
実際、「いだてん」から大河をはじめて見た人もいるようだが、「あまちゃん」で開拓したNHKを見るようになった層は、すでに三谷幸喜の「真田丸」(2016年)や、森下佳子の「おんな城主直虎」(2017年)なども見て、SNSコミュニケーションを盛んに行っていたため、「いだてん」は「あまちゃん」ほどの爆発力は発揮できなかったのだろう。
そもそも朝ドラと視聴率のベースが違うというのもある。
ただ、勢いよく現状を突破することはすべてではなく、守ることも大事。
「いだてん」はいま、徐々に変わりかけている大河ドラマの視聴層を盤石にしているところなのだという気がする。
これまでの大河ドラマにない、凝った構成、有名な偉人によるよく知られた歴史譚でない、言い換えれば「未知なる人物の新たな物語」、「朝ドラ」みたい、言い換えれば「ヒットの可能性もある」「大河ドラマの可能性を開く」という3点を確実に行うことで地盤を固める。
あたかも「いだてん」で金栗四三や、嘉納治五郎(役所広司)が拓いた道を引き継いでバトンを持って走って昭和に向かっていく流れのようなものだ。
ヒットメーカーで知られる大根仁や、塚本晋也の映画で助監督などをやっていた林啓史など外部演出家を初めて大河に起用するなどのトライも頼もしく感じられる。
視聴率が下がっているのは、過渡期だから。
視聴率の低さは、新たな時代の始まりの証しでもある。
信じて待てば「待ってました!」というサプライズがきっともらえると私は信じている。
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