2019年2月27日水曜日

17 km走:1時間59分27秒 キロ7分02秒  ベアフットでの17キロ初走り

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 気温も下がってきており、いよいよ走れる季節になってきた。
 今日はベアフット・シューズで17kmを走り切るのが目標である。
 曇り空、風はそよ風程度でまったくの好条件。
 1カ月ぶりで走り始めるが、どうも感触がよくない。
 カカトへの振動が大きい。
 体が慣れるまでゆっくり行くことになる。
 そしてそのままゆっくりと10kmまで走ってしまう。
 キロ7分だと、2分12秒の赤字である。
 残りの7キロで取り返せるだろうと思う。
 最悪、17キロ2時間でいければいいとも思う。
 結果は2時間は切れたが、キロでは7分02秒で、30秒ほどオーバーしてしまった。
 今日のメインはベアフットシューズで17kmを走り切ることなので、それは達成できた。
 いよいよ来週(来月)からGCマラソンを見据えてゆくことになる。





 過去のベアフットでの記録を合わせて載せておく。
 10キロまでではどうも今日が一番悪いようだ。

【 2月27日 17km  1時間59分27秒 キロ7分02秒 ベアフット・シューズ
5km    36:28      36:28
10km    35:44    1:12:12
15km    34:15    1:46:27
17km    13:00    1:59:27

【 1月30日 15km  1時間43分25秒 キロ6分54秒 ベアフット・シューズ
5km    35:05      35:05
10km    34:56    1:10:01
15km    33:24    1:43:25


【 1月24日 12km リタイヤ 1時間25分40秒 キロ7分08秒 ベアフット・シューズ
5km    35:41      35:41
10km    36:07    1:11:48
12km    13:52    1:25:40



● ここ3回計44kmを走ったあとの減り具合

 現在の懸案事項はこのベアフットシューズがどれほど持つのかということである。
  写真でみるように3回で計44kmを走ってこの減り具合である。
 すり減って穴でも開いたら中敷きを入れて少しでも長くもたせようかなとも思っている。
 新品を2足頼んでいるが、そのうち1足は6月におろして7月第一週に行われるGCマラソンの本番で履きたいと思っている。
 チェックしてみるとその間、21kmを6回駈けることになる。
 126kmである。
 130kmとして、果たして耐えられるのだろうか。
 無理なら5回にして105kmである。
 3月から5月の間は、今のベアフットと新品のベアフットになるが、ときどきキッドシューズで走ることにして持たせようと考えている。
 もし擦り切れた時の対応として、穴が大きくなるまで中敷き(インソール)でいくらかでももたせることも考えており、ダイソーなどで使えそうな中敷きをチェックしている。
 いずれにせよ、今履いているベアフットがいつ擦り切れるか、その時の距離数のテストが肝要になる。
 またそのあとインソールを入れてどこまで走れるものなのかも調べないといけない。
 
 ベアフットは間違いなく足、特にフクラハギに負担がかかる。
 カカトのクッションがないので振動がもろにズンズンと足の骨に伝わってくる。
 それがアキレス腱の付け根やフクラハギに作用を及ぼす。
 スネの筋肉である前脛骨筋、さらには腰や背中にも響いて負荷をかける。
 20kmを常時つつがなく走るのにはどのくらいの距離を消化すればいいのだろうか。
 特に本番レースで支障を出さないための走り込みはどのくらいか、それまでベアフットシューズがもってくれるかである。

【翌日】
 頼んでおいたシューズが2足届いた。
 これで用意は整ったということになる。


● 送られてきた二足のベアフット・シューズ






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2019年2月26日火曜日

崩壊し始めた山峡ダム?:秒読み段階へ突入?

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 山峡ダム(三峡ダム)に崩壊の予兆が現れたという。
 問題の最大の不幸は、このダムの崩壊を防ぐ方法はまったくないということだ。
 あまりにでかすぎるのである。
 世界で一番大きなダムであり、信用度の薄い中国政府の技術力で、かつスピード成果を競うかのように突貫で造り、同時に多くの汚職金を献上したというオカラ工事疑惑のシロモノである。
 もはや手も付けられないようで、壊れるのを待つのみのようである。
 また崩壊した時を想定しての災害対策など、まるで留意する様子も見られないという。
 つまり避難経路とか、救助の段取りとか、いった対策も何にもなされる気配がない。
 どうも中国政府はあきらめているようだ。
 事故が起こってから考えよう、事故の影響がどの程度になるのか考えたくもない、といったところのようである。
 劇的な災害がやってくるという可能性が非常に大きい、ということなのだろう。
 


Sanxia Dam(中国山峡ダム)in Collapse?
崩壊し始めた?中国の山峡ダムby Hiroshi Hayashi, Japan
2019/02/13 に公開 Hiroshi Hayashi

予備





【海外の反応】中国にある世界最大の三峡ダムがついに決壊寸前
水も流れず貯水もできず現状の解決策もない!!
もう打つ手なし決壊か
…専門家も「10年もたない」過去最悪の危機に問題を抱える!!
News Picks 236,600 回視聴
2019/02/16 に公開



三峡ダムってヤバいよね 中国ほーかいのもっとも可能性のあるシナリオ
https://www.youtube.com/watch?v=1FclIjf8dVg
峰峰夫 2019/02/28 に公開 841 回視聴 



【参考】

ニューズウイーク 2017年7月3日(月)06時52分 譚璐美(作家)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/---5.php

中国「三峡ダム」危機--最悪の場合、上海の都市機能が麻痺する


●三峡ダムの放水(2010年) REUTERS

<四川省で起きた大規模な山崩れは、本当に大雨だけが原因なのか。
世界最大の三峡ダムが一帯で大地震を頻発させているという指摘があり、さらには砂礫により、ダムそのものも機能不全に陥っている>

6月24日、中国・四川省で大規模な山崩れが発生した。
中国メディアによれば、住宅62戸が土砂に埋まり、120人以上が生き埋めになったという。
山崩れの現場は、四川大地震と同じ場所であり、ここ数日、大雨が降りつづいて地盤が緩んでいたことが原因だとされる。
だが原因はそれほど単純なものではないだろう。

2008年5月に発生した四川大地震はマグニチュード7.9を記録し、甚大な被害をもたらした。
震源地近くでは地表に7メートルの段差が現れ、破壊力は阪神・淡路大震災の約30倍であった。
専門家は、四川盆地の北西の端にかかる約300キロにわたる龍門山断層帯の一部がずれたために起きたと分析し、これによって地質変動が起こり、龍門山断層帯は新たな活動期に入ったと指摘している。
今後、さらに大規模な地震が発生する可能性が高いのである。
四川盆地はもともと標高5000メートル級の山々がつらなるチベット高原から急勾配で下った場所に位置する標高500メートル程度の盆地で、ユーラシア・プレートと揚子江プレートの境界線の上にあり、大小さまざまな断層帯が複雑に入り組む地震の多発地帯である。
それに加えて、最近の中国の研究では、地震発生の原因のひとつは「三峡ダム」の巨大な水圧ではないかとの指摘がある。
ダムの貯水池にためた水の重圧と、地面から地下に沁みこんだ水が断層に達することで、断層がずれやすくなったという分析である。

■建設中から数々の難題、天気や地震にまで悪影響

三峡ダムは、中国政府が「百年の大計」として鳴り物入りで建設した世界最大のダムである。
16年の歳月を費やして、四川省重慶市から湖北省宜昌市にいたる長江の中流域の中でも、とくに水流が激しい「三峡」と呼ばれる場所に建設された。
竣工は2009年だ。
ダムは70万キロワットの発電機32台を擁し、総発電量2250万キロワットを誇り、当初の計画では、湖北、河南、湖南、上海、広東など主要な大都市に電力が供給され、全中国の年間消費エネルギーの1割を供給でき、慢性的な電力不足の解消に役立つはずだった。
だが、建設中から数々の難題が生じた。
まず「汚職の温床」と化した。
総工費2000億元のうち34億元が汚職や賄賂に消えた。
国民の多大な犠牲も強いた。
はじめに地域住民約110万人が立ち退きを迫られ、強制的に荒地へ移住させられて貧困化し、10万人が流民になった。

李白、杜甫、白楽天などの詩に歌われた1000カ所以上もの文化財と美しい景観が水没し、魚類の生態系が破壊され、希少動物の河イルカ(ヨウコウイルカ)が絶滅したことは、中国内外で議論の的になった。

そればかりではない。四川大地震が発生した同じ2008年、竣工を目前に控えた三峡ダムで試験的に貯水が開始されると、下流域でがけ崩れと地滑りが頻発した。
この年の9月までに発生したがけ崩れと地滑りは、合計32カ所、総距離33キロに達し、崩れた土砂の量は約2億立方メートルにのぼった。
その後の調査で、地盤の変形などが合計5286カ所見つかり、大きなひずみが生じていることが判明した。
ダムの構造物や防水壁には約1万カ所の亀裂が見つかり、補修に奔走した。

そして2009年、三峡ダムが完成すると、今度は気候不順が起きた。
貯水池にためた膨大な量の水が蒸発して大気中にとどまり、濃霧、長雨、豪雨などが発生するようになったのだ。
気候不順は年々激しくなり、2013年までに、南雪災害、西南干ばつなどの災害が相次いだ。
2016年にも豪雨による洪水が発生。
エルニーニョ現象が原因だとされたが、死者、行方不明者は128人にのぼり、中下流域で130万人が避難を余儀なくされた。
大地震が次々に起きた。
2008年の四川大地震以外にも、汶川大地震、青海省大地震など、毎年のように大小の地震が発生した。
2014年には、三峡ダムから約30キロ上流にある湖北省でマグニチュード4.7の地震が連続して2度起きている。
総じてみれば、人工物である三峡ダムが天気や地震にまで影響を及ぼすとは、まるで信じられないような話ではある。

■水が流れず、貯水できず、解決策も見いだせない

だが、三峡ダムにとって、さらに深刻な事態がもちあがっている。
長江上流から流れて来る砂礫で、ダムがほぼ機能不全に陥り、危機的状況にあることだ。
怒涛のように押し寄せる大量の砂礫で貯水池が埋まり、アオコが発生してヘドロ状態になっている。
ヘドロは雑草や発泡スチロールなどのゴミと一体になり、ダムの水門を詰まらせた。
ゴミの堆積物は5万平方メートル、高さ60センチに達し、水面にたまったゴミの上を歩ける場所があるほどだという。
地元では環境団体などが毎日3000トンのゴミを掻き出しているが、お手上げ状態だとされる。

重慶市でも、押し寄せる砂礫で長江の水深が浅くなった。
水底から取り除いた砂礫は50メートルも積みあがった。
重慶大橋付近の川幅はもともと420メートルあったが、橋脚が砂礫に埋もれて砂州となり、今では川幅が約半分の240メートルに狭まっている。
大型船舶の航行にも著しい支障をきたしている。

水が流れず、貯水できないダムなど何の役にも立たないが、三峡ダムが周囲に及ぼす悪影響は、この先、増えることはあっても減ることはないだろう。
中国政府も技術者も根本的な解決策を見いだせず、すでに匙を投げてしまっているからだ。
だれも責任を取ろうとする者がいないまま、今も三峡ダムは放置されている。

■著名な水利学者の遺言「ダムは10年もたない」

もし三峡ダムが地震の原因のひとつであるなら、今後さらに四川大地震のような大規模な地震が起きる可能性があるだろう。
そして大地震が発生したとき、原因を作った「瀕死」の三峡ダムは、果たして持ち堪えられるだろうか?
万一、ダムが決壊するようなことがあれば、長江流域の広大な土地が洪水に見舞われ、穀倉地帯は壊滅して、数千万人の犠牲者が出るだろう。
長江の河口部にある上海では都市機能が完全に麻痺し、市民の飲み水すら枯渇してしまう。
そんな事態は想像するだけでも恐ろしい。
三峡ダムが建設された当初、中国政府は「千年はもつ」と豪語したが、数々の難題が発覚して、わずか数年で「百年もつ」とトーンダウンした。
今日、巷では「10年もつのか」と危ぶむ声がある。

「10年」と区切るのは、かつて三峡ダムの建設に反対した著名な水利学者、清華大学の故・黄万里教授の言葉に由来している。
戦前、アメリカのイリノイ大学で博士号を取得した黄教授は、建国間もない中国で黄河ダム建設の計画が進められたときに強く反対し、毛沢東から「右派」の烙印を押されて22年間の強制労働に追われた。
1980年代に名誉回復した後、長江の三峡ダム建設が国家の議題にのぼると、中国政府に6度も上申書を提出して反対したが、鄧小平と李鵬首相(当時)に無視された。黄教授が反対した理由は、21世紀の今日、私たちが直面している危機的状況を言い当てたからにほかならない。
そして「もしダムを強硬に建設したら、10年もたないだろう」と警告した。
2001年8月、黄教授は病床で家族に向かって三峡ダムを見守りつづけるようにと告げ、「どうにも立ち行かなくなったら、破壊するより方法はない」と遺言を残した。
享年90。中国の「水利事業の良心」と称えられる伝説的な人物である。

もし「10年もたない」とすれば、期限は2019年だ。
あと2年で三峡ダムは決壊するかもしれないのだ。
タイムリミットは刻一刻と近づきつつある。
唯一の解決策は、黄教授の遺言通り、人間の手で破壊することだけなのだろうか。

[執筆者]
譚璐美(タン・ロミ)
作家。東京生まれ、慶應義塾大学卒業、ニューヨーク在住。日中近代史を主なテーマに、国際政治、経済、文化など幅広く執筆。著書に『中国共産党を作った13人』、『日中百年の群像 革命いまだ成らず』(ともに新潮社)、『中国共産党 葬られた歴史』(文春新書)、『江青に妬まれた女――ファーストレディ王光美の人生』(NHK出版)、『ザッツ・ア・グッド・クエッション!――日米中、笑う経済最前線』(日本経済新聞社)、その他多数。新著は『帝都東京を中国革命で歩く』(白水社)。


サーチナニュース 2019-07-09 05:12
http://news.searchina.net/id/1680472?page=1

三峡ダムが歪んでいる! 
亀裂も大量に! 
不安視する中国国民に「安全だ。心配するな」=中国

 中国には世界最大級のダムである「三峡ダム」がある。
 長江中流に位置する三峡ダムは2009年に完成した多目的ダムで、「1万年に1度の大洪水でも防げる」とまで言われていたものの、亀裂が大量に見つかるなど問題が山積している。
 中国メディアの今日頭条は7日、完成してから10年になるこの三峡ダムを不安視する国民に対して、「安全なので心配するな」と呼びかける記事を掲載した。

 記事は、近頃SNS上で「三峡ダムはすでに歪んでいる」という話が広まり、決壊のうわさまで出ているが、三峡グループが「すべて正常で安心して良い」とする声明を発表したと紹介。
 この三峡グループは、計測専門の部門が定期的に細かな管理を行っているため心配するには及ばないと主張した。
 地質環境の計測は14項目、計測点は1万2000余りであるとその専門性を強調した。

 では、ダムが変形しているという話は本当なのだろうか。
 記事は、水位は温度などによっても変わり、ダムの中央と縁とでも異なるが、どの数値も「正常の範囲内」であると紹介。
 2018年2月に撮影されたとする写真が変形の証拠だとされているが、2018年9月に撮影した別の写真は正常であったと指摘している。

 では、この説明に中国の人びとは納得しているのだろうか。
 記事に対してほんの数時間で5000を超えるコメントが寄せられ、中国国民の強い関心が見て取れる。
 反応は大きく2つに分かれ、「大丈夫というのなら大丈夫だろう」と楽観的な意見も少なくなかったが、信用できないという人も多かった。
 その理由は、主に「ほんの数ミリの違いで正常の範囲だというのなら、なぜ目視確認できるほど歪んでいるのか」というもっともなものだ。
 ほかにも、「チェルノブイリでも似たようなことを言っていた」と不安をあらわにする人もいた。

 このダムに関しては、全国の電力の1割を賄っているが、140万人ともいわれる移住者、水質汚染、生態系の破壊、さらにはダム周辺での地震の急増などが指摘されてきたのも事実だ。
 中国では、不安をあおるような情報の拡散を防ぎたいようだが、素直に安心はできないのが多くの国民の本音のようである。


新唐人NTDTV 2019/07/14
https://www.youtube.com/watch?v=-7Mk4rMuQpI

三峡ダムが変形?
憂慮の声も当局は「安全だ」
【禁聞】|三峽大壩|Sanxia Dam



【新唐人NTDTV=米NYに本部を置く中国語衛星放送。中国&国際ニュースを独自の視点でお届けします https://www.ntdtv.jp/ 】
三峽大壩變形? 隱患令人擔憂

 あるツイッターユーザーが最近、中国の三峡ダムが歪んでいるとして投稿した写真が物議をかもしています。
 ダムの決壊を懸念する声に対し中国当局はこれを否定していますが、民衆の疑念は晴れていません。
 ドイツ在住の水利専門家で、三峡ダムに詳しい王維洛(おう・いらく)博士は、三峡ダムは動くように設計されており、三峡ダムの脆弱性は、その設計によって裏付けられていると指摘しています。

 7月1日、アカウント名「冷山」さんがツイッターに
 「三峡ダムが変形している。
 ひとたび決壊したら、中国の半分の人民が塗炭の苦しみにおちいる!
 共産党とそのファミリーもおしまいだ!」
と投稿しました。
  この人物はさらに、現在と過去の三峡ダムの比較写真も貼り付けました。
 左側の写真は三峡ダムがまっすぐな様子を撮影したものですが、右側の写真の三峡ダムは明らかに変形しています。
  この写真がインターネットに投稿されると、ネットユーザーは次々に不安を表明しました。
 あるユーザーは
 「中国共産党の工事建設を信用してはならない。
 手抜き工事に材料のごまかし、リベートといった事例があふれている。
 三峡ダムの耐久性を保証できる人は誰もいない。
 問題が発生するのは時間の問題だ」
と憂慮しています。
  その後、人民日報や中央電視台などの官製メディアは次々と、三峡ダムのゆがみはグーグルマップの衛星画像アルゴリズムの誤差によって生じたもので、ダム自体の問題ではないとネット上のうわさを否定しました。
  これに対し、ツイッターユーザーの冷山さんは再度
 「うわさを否定したことは何を意味するか分かるよね!宜昌(ぎしょう)、
 武漢から南京、上海の同胞たちよ、できるだけ上流に移動しろ」
とツイートしています。

■ドイツ在住水利専門家 王維洛博士
 「三峡ダムには、誰も知らない全体構造上の秘密がある。
 三峡ダムは動いている。
 このダムは重力式コンクリートダムで、巨大なコンクリートブロックで構成され、岩石の上に据えられている。
 住宅のように地面に穴をあけ、鉄鋼の柱を打ち込んだものではない。
 この工法で設計された場合は倒れることはないが、もし側面から捻じ曲げられた場合、2つのダムのブロックが接している部分で継ぎ目の部分が押されて隙間ができる。
 そうなったらこのダムは終わりだ」
  王維洛氏は、
 「設計当初、ダムが動くことは考慮されており、一年で1ミリ未満だが、前に移動すると考えられていた。
 以前はこのデータが公表されていたが、現在は発表されなくなった」
と指摘しています。
  王博士はさらに
 「当初このダムは非常に頑丈に作られていると言われていた。
 だがこれはダムに水が入っていない状態のことだ。
 三峡ダムの水が上流から下流へと流れる際の衝撃力は大きい」
とも述べています。
 「ダムにおいて最も危険なものは中の水だ。
 特に水位が高い時が非常に危険だ。
 なぜなら水は高所から落下する時の衝撃力が大きいからだ。
 安全性を考慮する際、もし米国や台湾から爆撃をしかけても、爆破は難しいだろうと言われていた。
 だがその時、三峡ダムがどのような状態にある場合かは言わなかった。
 三峡ダムに水はほとんど入っていなかったため、壊滅的な結果は起きないと言われていた。
 だが、何をもって壊滅的な結果とするのかについては説明されなかった」
  王博士は、三峡ダムの表面は一見すると頑丈そうだが、内部構造はチーズのように中が空洞になっていると説明しています。
 三峡ダムの中間の放水用ダムブロックには合計67の孔が横にあけられているうえ、
 内側にはさらに点検用配管、排水管があり、加えて3つの溝が設けられています。
 この3つの溝と多孔構造によって、三峡ダムは鉄壁のダムではないことが決定づけられていると説明しています。
  また王博士は
 「三峡ダムにはさらに、2つの五級水門と船舶昇降機という船舶運航施設が設置されている。
 これが世界の多くの著名なダムと異なる点で、他のダムにはこのような船舶運航施設はない。
 三峡ダムの2つの水門にはそれぞれ深さ45.2m、幅34mの深い横切りダムがあり、水門の両端にはそれぞれ鉄製の門がある。
 1つの門が開いているとき、もう一つは閉じている。
 するとこの閉じている門は三峡ダム221億立方メートルの水に耐えなければならず、いったん水門に問題が生じたら、ダムの水が一気に流れる。
 これがダムの不安材料だ」
と憂慮しています。
  王博士は
 「三峡ダムプロジェクトは2003年に試験運用が始まってから16年の間、いまだ検証作業が行われておらず、このダムの品質を担保しようという人は誰もいない。
 現在、みながネット上でこの問題を議論することには大きな意義がある。
 中国当局は国民に何らかの説明をしなければならない」
と述べています。



Record china配信日時:2019年9月19日(木) 23時20分
https://www.recordchina.co.jp/b745727-s0-c30-d0146.html

三峡ダムの未確認生物騒動が警告する「真の怪物」とは?―中国



 2019年9月18日、中国メディアの網易新聞は、中国ネットで話題になった「三峡ダムの未確認生物」の正体が、廃棄されたゴム製の遮光シートだったことを受けて、
 「長江には『未確認生物』よりも恐ろしい『ごみによる環境汚染』という真の怪物がまだ存在している」と指摘する記事を掲載した。

 9月12日、黒く細長い物体が体をくねらせるようにして長江を漂っている動画が中国ネットにアップされ、「未確認生物ではないか?」と話題になった。
 17日午前、安徽省池州市長江自動車渡船管理所の周所長により、「三峡ダムの未確認生物」と呼ばれていたこの物体は、ある造船所が廃棄した長さ約20メートルのゴム製の遮光シートと判明した。

 記事は、「未確認生物の謎は解けたが、漂流ごみによる水質汚染という現実が民衆の心を暗く覆っている」と指摘。
 「ゴムやプラスチックなどの合成樹脂からできたごみが川から海洋に流れ込み、太陽光や紫外線、波の力などで削られ、大量のマイクロプラスチックとなって海洋生態系を脅かすようになって久しい」とした。

 その上で、「マイクロプラスチックは自然界で分解されず、有毒な残骸となって、最終的にわれわれ人間に供給される食物や水に入り込む。
 今年6月、カナダの研究チームの発表によると、人が飲食や呼吸を通じて体内に取り込むマイクロプラスチックの量は、最大で年間12万1000個に上るという。
 マイクロプラスチックが人体に及ぼす影響はまだ理解が十分に進んでいないと同チームは指摘するが、マイクロプラスチックに吸着した環境ホルモンなどの有害物質により、がん細胞の増加や乳幼児の発育異常、免疫機能低下などの研究結果も出ているそうだ」と指摘した。

 また、「2017年6月にドイツのヘルムホルツ環境研究センター(UFZ)が発表した研究結果によると、海洋に流出しているプラスチック廃棄物の約90%は、わずか10の河川から流れこんでいるという。
 それぞれ、
 中国の長江、黄河、海河、珠江、
 中国とロシアの国境付近を流れるアムール川、
 東南アジアのメコン川、
 インドのインダス川とガンジス川、
 北東アフリカのナイル川、
 西アフリカのニジェール川
で、いずれの流域も人口が密集しながらも、廃棄物処理が遅れている地域だ。
 インドのガンジス河からは54.4万トン、中国の長江からは33万トンのプラスチックが毎年海に流れ込んでいるそうだ」とした。

 記事は、「今回の未確認生物の出現は、長江の環境汚染がいまだ無視できない問題であると気付かせる事件となった」とし、
 「長江だけでなく、中国各地の川や湖、近海にもプラスチックごみや汚染物質という真の怪物が存在している。
 環境汚染の軽減のためには、プラスチックの使用量を減らし、分別回収やリサイクルなど、主要な河川の流域での廃棄物マネジメントの改善を図るとともに、一般市民向けの啓発活動を積極的に行うことが必要だろう」
と論じた。




 


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2019年2月22日金曜日

はやぶさ2、リュウグウ着陸成功か? 3億キロ先の小惑星に着陸するなんて!

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2/22(金) 8:06配信 毎日新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190222-00000012-mai-sctch

はやぶさ2、リュウグウ着陸成功か データ確認で管制室に歓声

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)によると、小惑星探査機「はやぶさ2」が22日、地球と火星の間にある小惑星「リュウグウ」への着陸に成功したとみられることが分かった。
 同日午前8時前、相模原市中央区のJAXA宇宙科学研究所の管制室に集まったメンバーに拍手と笑顔が広がった。

 小惑星に着陸、上昇した探査機は、2005年に小惑星イトカワへ着陸した先代「はやぶさ」に次ぐ2機目。
 今回は、リュウグウ表面の直径6メートルの円内という非常に狭い場所への着陸を目指し、極めて高度な運用が求められていた。

 はやぶさ2は21日午後1時15分ごろ、リュウグウの高度20キロから降下を開始した。
 高度5キロで減速し、ゆっくりとリュウグウへ近付いた。
 高度45メートルで昨年10月に投下した目印のボール(ターゲットマーカー)をとらえ、ターゲットマーカーに向かって高度8.5メートルまで降下した。
 直径6メートルの円の中心はターゲットマーカーから約4メートル離れているが、円内へピンポイントで探査機を導くため、そこからはターゲットマーカーを横目にとらえながら降下する運用をした。

 JAXAによると、午前7時48分ごろ、まず探査機からの電波の変化で、降下していたはやぶさ2が上昇に転じたことが確認された。
 上昇のスピードは計画通りで、降下中止による上昇ではないとみられる。
 さらに午前8時5分ごろ、探査機からの詳細なデータが届き始めた。
 その結果、午前8時9分ごろ、リュウグウ表面の物質を採取するための弾丸発射の指令が計画通りに出されたことも確認されたという。

 この降下方法は「ピンポイントタッチダウン」と呼ばれ、極めて高度な探査機の誘導法だ。
 同じく小惑星探査に取り組んでいる米航空宇宙局(NASA)からも「後で直径6メートルに降りる方法を教えてほしい」と依頼されているという。

 探査機がリュウグウへ着陸したかどうかは、探査機から届く電波とデータから判断する。
 電波の変化からは探査機が降下から上昇に転じたかどうか、データからは事前に探査機に送った指令通りに動いたかどうかが分かるという。
 JAXAはこれらから
 「はやぶさ2がリュウグウに着陸し、上昇しており、着陸運用は成功したようだ」
と判断したとみられる。




● 朝日新聞デジタル


●ANNニュース


●ANNニュース


JB Press 2019.2.22(金)  林 公代
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55569?page=4

はやぶさ2のタッチダウン、成功のための4のポイント
3億km先の半径3mに挑戦、牙をむく小惑星リュウグウの懐へ


サーチナニュース 2019-04-11 13:12
http://news.searchina.net/id/1677748?page=1

小惑星探査機「はやぶさ2」を見れば分かる「日本の宇宙開発能力の高さ」=中国メディア

 国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)は5日、小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星Ryugu(リュウグウ)に向けて衝突装置を分離、射出し、命中させることに成功したと発表した。
 JAXAによれば、リュウグウは地球から約2億8000万キロメートルも離れているが、これほど遠い場所で遠隔でミッションを遂行する難易度の高さは容易に想像できるものではない。
 中国メディアの今日頭条はこのほど、「日本は米国ですら成功させていない難易度の高いプロジェクトを成功させた」と指摘し、はやぶさ2の運用から日本の宇宙開発能力の高さが見て取れると主張する記事を掲載した。
 記事は、はやぶさ2がリュウグウに人工的にクレーターを作るために衝突装置を射出した際、破片などで機体が壊れないよう、はやぶさ2は安全な場所に退避したと紹介。
 そのうえで射出も成功し、人工クレーターを生成するための実験を成功させたと指摘し、重要な任務の1つを成功させたことを意味すると強調した。
 さらに、はやぶさ2にはドイツとフランスが共同で開発した小型着陸機MASCOT(マスコット)が搭載されていて、すでにリュウグウへの着陸に成功していると紹介、日本はドイツとフランスの科学者を大いに喜ばせたと指摘した。

 続けて、驚くべきは、はやぶさ2のミッションはすべて地球から約3億キロメートルも離れた宇宙空間で行われたことだと指摘したほか、はやぶさ2は今後、リュウグウの着陸と内部のサンプル採取を行う見通しだと紹介。
 米国は2005年に探査機ディープ・インパクトによる彗星への衝突実験を行ったが、彗星からのサンプルリターンには成功しなかったと伝え、はやぶさ2は米国ですら成功させていないプロジェクトを成功させていると指摘、これらの偉業は日本の宇宙開発能力の高さを示すものだと指摘した。


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Record china配信日時:2019年7月12日(金) 6時50分
https://www.recordchina.co.jp/b728838-s0-c30-d0148.html

小惑星探査機「はやぶさ2」の2度目の着陸に中国ネットも歓喜
=「すごい快挙だ!」「日本は常に一歩先を」


11日、日本の小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへの2回目の着陸に成功したというニュースが中国でも報じられると、中国のネットユーザーからも称賛の声が寄せられた。写真ははやぶさ2の模型。

  11日、日本の小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへの2回目の着陸に成功したというニュースが中国でも報じられると、中国のネットユーザーからも称賛の声が寄せられた。

 同機は世界で初めて小惑星の物質を持ち帰ることに成功した探査機「はやぶさ」の後継機として宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発したもの。
 目的地である小惑星リュウグウは「始原的(太陽系初期の情報を多く保っている)」とされており、サンプルの回収によって太陽系の成り立ちや生命誕生の謎を探る手がかりになることが期待されている。

 2014年に打ち上げられた同機は、今年2月に小惑星リュウグウへの初着陸に成功し、表面の岩石を採集した。
 続いて4月には小惑星の表面に弾丸を打ち込み、直径10メートルほどの人工クレーターを作成すると同時に地下物質を噴出させた。
 そして今月11日の午前10時頃に、作成したクレーターから約20メートル離れた地点に着陸し、再び弾丸を発射して地下物質を採集した。
 仮に今回の採取が成功していれば、地下物質を採集した世界初の快挙となる。
 同機は今年末に小惑星リュウグウの軌道から離れて来年の終わり頃に地球にサンプルを持ち帰る見込みで、その後は再び宇宙に向かう予定だという。

 同日、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)では多くのアカウントがこのニュースを伝えた。
 中には今回の着陸のCGイメージ映像や、着陸成功の喜びに湧くJAXA管制室の様子を捉えた写真や動画をシェアする人もいた。

 中国のネットユーザーからは、
 「すごい快挙だ!おめでとう!」
 「これは人類にとっての大きな一歩だ」
 「03年から10年までの初号機の旅は、宇宙研究史の伝説になった。今回の『はやぶさ2』は一体どんな発見をもたらしてくれるだろう」
 「『はやぶさ2』の無事帰還を祈る!」
などと、プロジェクトの功績を称え成功を祈る声が寄せられた。
 また、
 「日本は常に一歩先を行っている」
 「中国も負けずにがんばらなくては」
 「科学に国境はない」
などといったコメントも見られた。

 このほか、
 「管制室の映像を見たけれど、若者がすごく多いことに驚いた。日本は実力があるってことの証拠だ」
 「はやぶさ2号はサンプルリターンのための往復飛行ができるだけじゃなく、帰還後に再び宇宙へ戻り作業を続ける。
 このエネルギー技術はすごく先進的だ」
などと指摘するユーザーもいた。


サーチナニュース 2019-07-27 09:12
http://news.searchina.net/id/1681081

3億キロ以上も離れた小惑星に着陸するなんて! 
日本の宇宙開発技術はすごい=中国メディア

 2019年2月、地球から3億キロ以上も離れた小惑星「りゅうぐう」に探査機「はやぶさ2」が着陸に成功したのに続き、7月11日には2度目の着陸と地下物質の採取に成功した。
 「100点満点で1000点の大成功」と自賛するほどで、中国でもこの功績は称賛されている。
 中国メディアの今日頭条は24日、このはやぶさに関する記事を掲載した。

 記事はまず、日本の宇宙開発技術について、国際的に見てもかなりの先進的な水準であり、「米国やロシアでさえも日本以上とは言えないほどだ」と絶賛。
 今回のはやぶさの着陸成功も、日本の持つ非常に高い技術を示しているという。
 はやぶさが地上から3億キロも離れたところにある直径わずか約900メートルのりゅうぐうに接近するのに、探査機の動きをすべて地上のコントロールセンターから指示するのは難しく、動作の多くがロボット自身の判断に委ねられた、と技術の高さを説明している。
 記事は今回の成功を、「人類の発展に寄与するかもしれない」と高く評価。
 地球の資源に限りがあることを考えると、地球以外の星から資源を調達できる可能性は人類の希望だとしている。
 また、「能力をひけらかさない」日本の態度にも好感を示した。

 しかし同時に、日本には「別の目的があるかもしれない」と警戒感を示している。
 宇宙開発技術は軍事にも応用できる以上、日本に対して注意を怠ることはできないと論じた。
 中国人ネットユーザーの間でも、日本の技術の高さを疑う人はいないようで、記事に対して
 「もし米国が押さえつけなければ、日本は間違いなく世界一」、
 「科学技術の高さには震えがくるほど」
などのコメントが寄せられ、日本を絶賛している。
 しかし、同時に軍事面への応用を警戒する人も少なくなかった。
 中国では、日本の技術に驚き称賛する気持ちと、警戒して恐れる気持ちとが混在しているようだが、今回のはやぶさによるミッション成功は、「太陽系の歴史のかけらを手に入れた」ともいえる人類にとって大きな成果だ。
 採取したサンプルを無事に持ち帰ることをぜひとも楽しみにしたいものだ。


JB Press 2019.8.2(金) 林 公代
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57199

小惑星2回着陸の離れ業、はやぶさ2大成功の要因は?
2回のタッチダウンで日本が拓いた世界標準と未来


●はやぶさ2の第2回タッチダウン成功を受け、安堵の表情を見せるプロジェクト関係者たち。

 2019年7月11日、小惑星探査機はやぶさ2は、人類の宇宙探査に新たな金字塔を打ち立てた。
 約3億km彼方の小惑星リュウグウで、2回目のタッチダウン(着陸)に成功したのだ。
 着陸直後に弾丸を発射。
 試料を採ったことはほぼ確実であり、その試料にはリュウグウの地下物質が含まれているとみられる。
 小惑星の地下物質採取は史上初である。快挙だ!


https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57205
●【動画:画像をクリックして再生】第2回タッチダウン前後に撮影された、小型モニタカメラ(CAM-H)による画像(10倍速の動画)。タッチダウン直後、大量の砂が舞い上がる様子が分かる。(クレジット:JAXA)

 詳細な解析結果によると、はやぶさ2の着陸場所は目標から60cmしか離れていなかった(1回目は誤差1m)。
 3億km先の的に対して、わずか60cmの誤差。
 しかも2回目の着陸時は、探査機の「目」の役割を果たすレンズなどが曇っていた。
 つまりハンディがあったのに。
 いったいどうやって、こんな離れ業を3億km彼方にいる小さな探査機にさせることができるのか。


●第2回タッチダウンの精度。C01-Cbはタッチダウン目標領域を、TMはターゲットマーカーの位置を示す。(画像:JAXA、東京大、高知大、立教大、名古屋大、千葉工大、明治大、会津大、産総研)

 2019年2月の第1回着陸成功会見で、津田雄一プロジェクトマネジャーが語った言葉を思い出す。
 探査機を持つことは「非常に遠い目と長い手を持ったのと同じ。その手を伸ばして物質を採り、地球に持ち帰る」と。
 そこで第2回の着陸成功後に尋ねてみた。
 「今回も、自分の手を伸ばしているような感覚だったのですか?
 まるで自分の分身のように?」と。
 津田プロマネは笑みを浮かべ、こう話してくれた。
 「まさにその通り。
 小惑星に人間はまだ行くことはできません。
 しかし分身なら持って行ける。
 せっかく持って行くなら、とことん使いこなしたい。
 どれだけ使いこなせるかは、探査機の設計者と運用者らのチームワークにかかっています」
 とは言え、約3億km離れたはやぶさ2に、「動け」と指令を送ってから実際に動くには、片道13分かかる。
 分身のようにといっても、難しいのでは?
 「それも含めて使いこなす。
 人間だって脳で考えてから手を動かすには、わずかに時間がかかりますよね。
 それがちょっと長くなっただけ。
 準備をすれば、たとえ通信時間が片道1時間になっても使いこなせると思う」(津田プロマネ)
 なるほど分身のように、つまり自分の手足のように探査機を使いこなす感覚だからこそ、これほど精密な動きを実現できるのだと納得。

■なぜ2回目の着陸に挑んだのか?

 改めて、2回着陸の意義と、どうやって分身のように探査機を使いこなすに至ったのか、掘り下げていこう。
 はやぶさ2は第1回着陸で、小惑星リュウグウ表面から大量の試料を採取したと見られる。
 その後、今年4月には銅の塊をリュウグウに衝突させ、直径10mを超える人工クレーター生成に成功。
 第2回の着陸場所は人工クレーターから北に約20m離れた場所で、クレーター生成時に飛び出した、
 リュウグウ地下物質が表面を覆っていると推定される。

 そもそもなぜ、着陸を2回行うことがそれほど重要なのか?
 はやぶさ2プロジェクトサイエンティストである渡邊誠一郎名古屋大学教授は、
 「リュウグウは小惑星の種類の中でC型(炭素系の物質を主成分とする小惑星)に属します。
 C型小惑星の試料を持ち帰るのは世界初。
 だから1回目の着陸で採った物質を持ち帰るだけでも大きな成果だが、地下物質も持ち帰るとなると、今後20年ぐらい他国にはできないことでしょう」
と、まずその意義を説く。
 それほど難しいことをやってのけたということだ。
 さらに、渡邊教授が一番大きな成果と指摘するのが、
 「表面物質と地下物質という2種類の試料を比較できる形で採取できたこと」。
 2つの試料を比べることで
 「(リュウグウの)垂直方向でどういう変化があるか議論できる。
 表面と地下で大きな違いがなければ、小惑星の表面はずいぶんかき混ぜられていることが分かる。
 一方、地下だけに新鮮なものがあったとすれば、有機物や水は小惑星の地下で保存されやすいと証明できる。
 どういう結果が出てもサイエンスとして非常に大きな成果」
だと。

 一天体上の異なる場所に狙いを定め、試料を採るマルチサンプリング、しかも月より遠い天体で地下物質を採取したのは史上初だという。
 地下物質は、太陽風や宇宙線などによる変性、つまり「宇宙風化」を受けておらず、約46億年前に太陽系が誕生した頃の状態をとどめていると考えられる。
 だから第2回着陸成功後の会見冒頭、津田プロマネは「私たちは太陽系の歴史を手に入れることができた」と表現した。
 有機物や水に関する発見が期待されるが、渡邉教授によれば、表面と地下物質がかき混ぜられている可能性があるという。
 興味深い。

●第2回タッチダウン時、高度8mからのパノラマ画像。画像右側に直径10mを超える人工クレーターが見える。画像左側中央やや下にはやぶさ2は着陸した。2つのカメラの画像を合成。(画像:JAXA、千葉工大、東京大、高知大、立教大、名古屋大、明治大、会津大、産総研)

 では、技術的にはどんな意味があるのか?
 藤本正樹JAXA宇宙科学研究所副所長は
 「1回の着陸成功なら、たまたまうまくいったでしょうともいえる。
 でも2回目の着陸の方が綺麗に、精度高くできた。
 鼻歌を歌うようにとまでは言いませんが(笑)、
 着陸技術を持っていることを世界に証明できたと思います」
と胸を張る。
 前回の記事で紹介したように、1回目で得た試料を失いかねない2回目の着陸は、NASAならやらないミッションだ。
 それを日本が成し遂げたことの意味は?
 「今まで日本は(予算も打ち上げロケットも)小さい割に頑張っているねという評価でした。
 この成功で、小惑星探査については日本が世界標準を決めさせてもらいますよという状況になったと思う」

 藤本副所長は、日本車を例にとって今回の着陸成功の意味を説明する。
 「日本は道が狭いから小さい車を作りました。
 その結果、燃費のいい車ができて、世界に小さい車が広がった。
 それと同じで、予算が限られる日本では難しいことに挑戦ないと成果が出ない。
 工夫の結果、低予算で面白いミッションが実現できることを示した。
 さらに得られたもの(=小惑星探査の手法)に価値があれば世界のスタンダードをとれる」

 第2回の着陸で得られた成果について、津田プロマネも「成熟した技術」を得た点を挙げた。
 「やりたいときにやりたいようにやれるのが成熟した技術。
 十分にコントロールされたリスクのもと、自分たちが望むように着陸し試料を採ることができ、技術的なステップが一段上がった。
 しかも技術的判断だけでなく組織的、科学的な判断が絡み合う中で、第2回着陸を決断できた。
 試料を採ることだけではなく、新しい場所で新しいチャレンジをする探査全般に対して重要な実績を残せたと思う」

■史上初の2回着陸成功を導いた要因は

 技術的な判断に加えて組織的・科学的判断が絡み合った今回の着陸。
 前回の記事では、「小惑星の試料」というお宝を抱えた状態で、第2回着陸を実施するか否かを巡り、はやぶさ2チームが葛藤し、数カ月にわたり検討と議論を重ねたことを書いた。

 第2回着陸成功後の会見で、津田プロマネに「一番苦しかった時期は?」と尋ねた。
 津田プロマネは「ずっと苦しかったので、ピークがどこかと言うのは難しい」と意外な言葉を口にした。
 いつも穏やかな笑みを浮かべ、どんな苦境に追い込まれても弱音を吐かないように見受けられるが・・・。
 「1回目の着陸前から2回目について悩んでいた。
 2018年6月にリュウグウに到着後、(岩だらけで)着陸がとんでもなく難しいと判明した。
 でも検討を重ね技術を磨き第1回の着陸が見えてきたとき、第2回着陸につながる技術を1回目に実施することにしました。
 2回目のために前倒しで実行しようと」
 第2回着陸につながる「技術」とは、ピンポイントタッチダウンだ。
 灯台のような役割を果たすターゲットマーカーを、あらかじめ着陸地点の近くにおろしておく。
 はやぶさ2はまず灯台を捉え、その灯台からさらに数m移動した目的地に着陸する。
 落下するターゲットマーカーを追尾した初代「はやぶさ」より、高度な技術が求められる。
 はやぶさ2当初の計画では3回目の着陸で実施予定だった精密な着陸方式に、初回から挑戦することにしたのだ。
 そのトライは見事に成功し、「2回目も行ける!」という自信を得た。
 先を見越して技術を習得していたのである。

 さらに第2回の着陸に向けて、津田プロマネは「第1回と同じか、それを超えるレベルで実施する自信がありますか」とチームのメンバー全員に問うたという。
 では津田プロマネ自身は、何が自信になり着陸を決めたのかと聞くと「シミュレーションとリュウグウの地形です」との答え。
 着陸時のシミュレーションについては、起こりうるあらゆるトラブルを想定し、10万通りものシミュレーションを走らせた。
 ところが1回も失敗がない。
 「それはおかしい。失敗しないはずがない」
というメンバーの声で、さらにあり得ない状況を作り上げ「これなら失敗する、ここが限界だ」と割り出した。
 「よくこんな想定を思いつくな」と津田プロマネが驚くほど意地悪な想定も含めたシミュレーション回数は、100万回を超えたという。
 「そこまでやったからこそ、どこまでが限界でどこまでなら安心かを事前に割り出すことができた」

 そしてもう1つ、着陸地点の地形。
 「これはリュウグウに感謝するしかない。
 3つぐらい気になる大きな岩があって、最初はサイエンスメンバーが『(岩の高さが)とても高く、着陸はダメかもしれない』と言ってきた。
 着陸したいなら低く言えばいいのに(笑)。
 疑い深い彼らが、最終的に(65cm以上あり得ませんと)岩の高さが着陸可能であると結論を出した。
 地形OK、シミュレーションOK。じゃあやりましょうと」

 数カ月の葛藤を経て挑んだ本番。
 最初の難関は、はやぶさ2が曇ったレンズでターゲットマーカーを探し出せるか。
 ふたを開けると、制限時間4分に対して1分以内で捕獲。
 「探査機が目を開けたらそこにいた」(佐伯孝尚プロジェクトエンジニア)。
 探査機を正確にターゲットマーカー上空に導く、航法誘導制御技術の賜物である。

 さらに探査機が、ターゲットマーカーを他のものと勘違いせず捉え続けられるかも懸念されていた。
 きらきら光る物質が画面内に入ると、ターゲットマーカーと間違える可能性があった。
 カメラ担当は、ターゲットマーカーとゴミをきちんと識別できるよう微調整を繰り返した。
 「タッチダウンは一つひとつが難しい技術のバトンタッチ。
 それぞれの担当が完璧にバトンを次の人に渡してくれた」(津田プロマネ)。

 結果的に、100点満点で1000点の着陸が実現できた。
 第2回の着陸地点は「うちでのこづち」と名付けられた。


●第2回タッチダウン成功を喜ぶ、はやぶさ2プロジェクト関係者の集合写真。(画像:ISAS/JAXA)

■宇宙探査は「一寸先は闇」

 第2回着陸では、第1回を上回る量の噴出物が出たようだ。
 「(探査機の試料を納める部屋の)ふたが閉まるかなと心配になるほど。
 どっさり入っているだろう」(佐伯プロジェクトエンジニア)。
 着陸時の映像から、1回目の着陸時に巻き上がった砂礫とは異なっている様子も見受けられ、均一に見えたリュウグウ表面が、実にバラエティに富んでいる可能性もある。
 科学者でなくても、2020年末のはやぶさ2の地球帰還が待ち遠しいところだ。

 2019年末にはやぶさ2はリュウグウを出発し、地球への帰還の途につく予定。
 現時点では何も問題はないというが、「不安材料はありますか?」とあえて聞くと「いっぱいありますよ」と津田プロマネ。
 「探査機の運用はいつも、『一寸先は闇』みたいなところがある。
 これから帰還のためにイオンエンジンを点火します。
 軌道制御もうまくいかないといけない。
 どちらもこの1年半ぐらいやっていないことで、一つひとつ淡々とやっていくしかない。
 否定する材料はひとつもない。自信はあります」

 はやぶさ2は太陽系の歴史のかけらを手に入れた。
 それは人類共有の財産だ。はやぶさ2チームが成し遂げた科学的・技術的成果は、未来へ繋げていかなければならない。
 JAXAは今後10年以内に、水星から木星まで日本の探査機が並ぶ「深宇宙探査船団」の完全配置を目標に掲げる。
 さらに遠くへ、未だ見ぬ地へ。
 その手を伸ばし、触れようとしている。


●深宇宙探査船団のひとつ、火星の衛星からのサンプルリターンを目指すMMX(火星衛星探査計画)イメージ図。(提供:JAXA)


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2019年2月21日木曜日

15 km走:1時間42分02秒 キロ6分48秒 & ハリケーンと台風の違い

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 強い朝陽が雲間から出始める

 カテゴリー2のトロピカルサイクロンが来ており週末はクイーンズランドの海岸は荒れ模様になるとの注意予報が出ている。
 今日は嵐の前の静けさといったところか。
 気温は高い。
 風はあるが、でも空気の温度が高いせいかあまり涼しさを感じない。
 曇天なのが救いである。
 5kmは順調に7分弱でいく。
 10kmまでの5kmはなんと6分半を切っている。
 このまま行けるかと思ったら、陽が出てきた。
  非常にきつい。
 一気に足が止まる。
 17kmは無理、15kmに変更する。
 10kmから15kmはほぼ7分ちょうどまで落ちる。
  この条件ならしかたあるまい・
 トータルではキロ6分48秒ということになる。



 先月末にベアフット・シューズで走った15kmの記録と合わせてスプリットを載せておく。

【 2月21日 15km  1時間42分02秒 キロ6分48秒 キッド・シューズ
5km    34:36      34:36
10km    32:17    1:06:53
15km    35:09    1:42:02

【 1月30日 15km  1時間43分25秒 キロ6分54秒 ベアフット・シューズ
5km    35:05      35:05
10km    34:56    1:10:01
15km    33:24    1:43:25



【トロピカルサイクロン「オーマ:OMA
 ブリスベンにサイクロンがくるのは30年ぶりだという。
 そういえばここに来て台風に会ったことはない。
 ゴールドコーストは台風のないところだと思っていたが、ひどくまれにはやってくるらさしい。
 異常気象ということなのだろう。


Hazard lab 2019年02月19日 10時09分
https://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/8/28284.html

台風のたまご マーシャル諸島近海に発生!
豪州沖にはサイクロン「オーマ:OMA」も


●マーシャル諸島近海で熱帯低気圧が発生した(気象衛星ひまわり/気象庁)

 マーシャル諸島近海に“台風のたまご”である熱帯低気圧が発生した。
 発達を続けながら西へ進んでおり、台風2号になる可能性があるとして気象庁が動向を注目している。
 一方、豪州の東方沖では熱帯サイクロン「オーマ(OMA)」が発達中だ。

 気象庁によると19日午前9現在、マーシャル諸島で発達中の熱帯低気圧の中心気圧は1006ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は15メートル、最大瞬間風速は23メートルで、フィリピンに向かって時速20キロで進んでいる。


●あすには台風1号になるのか?(気象庁)

 熱帯低気圧が存在する海域の海面水温は24℃以上と暖かく、今後発達を続けて、あすまでに台風2号に成長する可能性がある。


■サイクロン「OMA」が豪州に接近中

一方、南太平洋のニューカレドニア周辺では、熱帯サイクロン・オーマが発達中だ。
 米軍の合同台風警報センター(JTWC)によると、今後は南西方向に進み、豪州北東部クイーンズランド州沿岸に接近し、急激に進路を東へ変えると予測される。



ウエザーニュース 2019/02/20 11:40
https://weathernews.jp/s/topics/201709/080145/

カテゴリーってなに?
ハリケーンと台風の強さを比較






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2019年2月20日水曜日

「住宅バブル」崩壊: オーストラリアそしてカナダ

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2019年2月15日(金)19時00分 ニューズウィーク日本版編集部
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/02/post-11705.php

世界で一番、住宅価格が高すぎて買えない都市はどこ?


<トップの香港では住宅価格の中間値が年間総所得の20倍以上もするという結果が>

住宅価格が高い都市といえばロンドンやサンフランシスコが有名だが、最近はオーストラリアやニュージーランドなど意外な国でも価格が高騰している。
米調査会社デモグラフィアが世界の主要都市を対象に毎年行っている国際住宅価格調査は、住宅価格の中間値を世帯の年間総所得の中間値で割って「購入しやすさ」を判定。
住宅価格が世帯所得の何倍に相当するかを数値化した。

1月発表の最新版で「最も住宅に手が届きにくい都市」に選ばれたのは香港だった。

Bobby Yip-REUTERS
<本誌2018年02月19日号掲載>



NICHIGO PRESS 3月号




ロイター 2019年2月22日 / 14:02 / 1時間前更新 Tom Westbrook
https://jp.reuters.com/article/antarctica-glaciers-idJPKCN1QB0EA

焦点:豪州で「住宅バブル」崩壊、好調経済に暗雲

[シドニー 22日 ロイター] - オーストラリアでシドニーなど都市部の不動産ブームが崩壊し、好調を続けてきた経済全体にもその影響が広がり始めた。
 不動産価格がピークを付けた2017年、シドニー郊外の住宅地エッピングには開発業者が押し寄せ、不動産を高値で買いあさった。
 それが今では住宅価格の下落に歯止めがかからず、エッピングはバブル崩壊の震源地とみられるようになった。
 不動産の買い手は支払い不能になり、一部のプロジェクトは借金を背負った状態。
 債権者が資金を回収するため、アパートがまとめて売りに出され、この地域の不動産価格をさらに押し下げている。
 不動産コンサルタントのデータによると、エッピングの不動産価格は17年8月のピークから2割以上下がった。

■<建設企業の破綻>

 建設業界では、昨年11月に破綻件数が約3年ぶりの高水準に達した。
 この結果、27年間一度もリセッション(景気後退)に陥らず拡大し続けてきたオーストラリア経済全体に余波が広がり始めている。
 銀行から広告企業、小売企業に至るまで、利益見通しの下方修正が相次ぎ、オーストラリア準備銀行(中央銀行)は利下げを視野に入れるようになった。
 住宅価格の下落は、市民が手ごろな価格で住宅を取得できるよう当局が導いた面もあり、完全に悪い話というわけではない。
 エッピングの場合、住宅価格は17年までの8年間で2倍に上昇していた。

 オーストラリア当局は外国人への融資を規制。
 また中国が資本流出を規制し、中国人投資家によるオーストラリア不動産需要が減ったことも価格下落につながった。
 国内銀行が当局の圧力で融資基準を引き締めたことにより、国内の住宅投資家も資金の借り入れが困難になった。
 この結果、住宅価格が下がって初めての住宅購入者にチャンスが生まれた。
 ただ、住宅価格が下落すると住宅所有者が節約を増やし、支出を控える傾向がある。

 バーティアム・アセット・マネジメントのジェーソン・テー最高投資責任者は
 「あらゆることに影響が及ぶ。企業利益が示している通り経済の勢いは衰えており、さらに悪化するかどうかが問題だ」
と述べた。



ロイター 2019年3月1日 / 11:08 / 38分前更新
https://jp.reuters.com/article/australia-housing-idJPKCN1QI389

豪住宅価格、2月は前月比‐0.7% 低下幅がやや縮小

[シドニー 1日 ロイター] -
不動産コンサルタント会社コアロジックによると、オーストラリアの住宅価格指数は2月に前月比0.7%低下と、前月の1%から低下幅が若干縮小した。
販売成立率の上昇が市況改善につながった。
前年同月からは6.3%低下した。

厳しい融資条件を背景に住宅価格の下落は長期化しており、同指数は過去16カ月中14カ月で低下し、それまで2年余りの上昇分を打ち消した。
2月は主要都市の住宅価格が前月比で0.9%低下と、前月の1.2%低下から改善。
ここ数週間で、これまで値下がりが大きかったシドニーとメルボルンなどを中心に、販売成立率が上昇している。
シドニーとメルボルンの価格は1%下落したが、1月からは下落幅が縮小した。
コアロジックの調査部門を率いるティム・ローレス氏は「下落率が若干改善したが、住宅市場の低迷はこれまでよりも広範になっており、底を打つ兆しはまだない」と指摘した。
オーストラリア準備銀行(中央銀行)は住宅価格の一段の下落は家計の貯蓄や支出を阻害する可能性があると懸念している。

豪国内の住宅在庫の総価値は6兆8000億豪ドル(4兆8300億米ドル)と、国内総生産(GDP)の4倍近くに上っている。



Record china配信日時:2019年3月13日(水) 7時30分
https://www.recordchina.co.jp/b694427-s0-c20-d0054.html

中国人バイヤーの撤退加速、
カナダの住宅価格が4年前の水準まで下落―中国メディア

2019年3月11日、中国メディアの新浪看点に、「中国人バイヤーの撤退が加速し、カナダの住宅価格が4年前の水準まで下落した」とする記事が掲載された。
記事はまず、
「2018年になるまで、カナダは世界で2番目に住みやすい国で、バンクーバーは中国人バイヤーが最も好んで住宅を購入する都市の一つだった。
ピーク時には中国系住民はバンクーバーの総人口の25%を占めていた。
だがそれも1年前の光景で、中国人バイヤーが押し上げたカナダの不動産市場は、中国人バイヤーの撤退とともに谷底まで下落している」
とした。
その上で、カナダメディアの10日付け報道を引用し、
「中国資本の流出により、今年2月までのメトロバンクーバーの住宅販売件数は前年同期比約33%減少し、1985年以降で最低水準となった。
85年当時のメトロバンクーバーの人口が現在の6割ほどだったことを考えると、同地域の不動産市場の疲弊ははるかに深刻だ」
「カナダ抵当住宅公社によると、大規模な新規住宅プロジェクトが中止されたことにより、2月のカナダの住宅建設件数は前年比13.6%減少した。
年間約17万3000戸ペースの落ち込みは、ここ3年余りのカナダの住宅建設件数で最も低い」
「業界関係者によると、2018年第4四半期のカナダの国内総生産(GDP)成長率は0.4%と減速したが、それは住宅投資の減少(過去1年間で7.5%下落)に一部起因している。
カナダの平均住宅価格は15年末の水準に戻り、長年にわたる不動産ブームに終わりを告げている」
などと伝えた。


ロイター 2019年3月25日 / Clara Ferreira-Marques
https://jp.reuters.com/article/australia-column-breakingviews-idJPKCN1R30WH

コラム:「幸福な国」豪経済は、重力に逆らえるか

[シンガポール 22日 ロイター BREAKINGVIEWS] -
 過去30年近く重力に逆らって浮揚してきた豪州経済が、ついに物理法則に屈しつつあるように見える。
 昨年第4・四半期の国内総生産(GDP)は停滞。
 住宅価格は下落し、賃金も伸び悩んでいる。
 だが、豪経済の勢いを保つ手段はまだ残されている。

 豪経済は「幸福な国」の愛称が示す通りに、アジア通貨危機、世界的な金融危機、史上まれに見る鉱山ブームの終焉、また約10年で首相が6人も変わるという国内政局の混乱を見事に乗り切ってきた。
 移民の流入が助けとなったが、好調な中国経済からの波及効果や、その後の不動産市場・インフラ投資拡大のほうが、経済を大きく支える要因となった。

 現在、こうした要因の多くは、消滅しつつある。
 1人当たりのGDP──つまり、典型的な先進国のほぼ2倍の人口増加ペースの影響を除いたGDP──は、約10年ぶりに2四半期連続でマイナス成長に陥った。
 政府はこの算出方法を良しとしていないが、役員室や酒場でこぼされる不満の背景には、こうした現実がある。

 まず、宴会の格好の話題となっていた不動産市場の熱狂が収まりつつある。
 豪中銀によると、全国の住宅価格は、2017年終盤までの5年間で50%近く上昇したが、コアロジックによると、2018年の下落率は、2008年以降で最悪の5%近くに達した。
 シドニー、メルボルンなどに住宅を保有する世帯の純資産は、依然として高水準だが、こうした住宅価格の反転は、個人消費に心理的な悪影響を及ぼす可能性がある。
 クリスマス商戦後の値下げは、2月に入っても続いていた。

 不動産ブームの背景の1つにはアジア勢の購入があったが、それに加え、低金利と優遇税制でオーストラリア人も賃貸物件への投資を進めていた。
 今現在、需要は減退しており、銀行にも不良債権処理の圧力がかかり、融資の審査基準も厳格化されている。
 一方、長期にわたる建設ブームで、供給も需要に追いついた。
 そうなると、住宅価格の下落は、迫りくる不況の足音ではなく、健全な後退と言えるのかもしれない。
 2016年半ばの水準に下落しただけなのだ。

 賃金も、見た目ほど悪くない可能性がある。
 給与が伸び悩んでいるとはいえ、2月の失業率は約8年ぶりの低水準に改善。
 シドニーがあるニューサウスウェールズ州などではすでに過去最低を記録している。

 また、余剰生産力の隠れた源である不完全失業率も、安定しつつあり、雇用の拡大が続いている。
 複数の大型プロジェクトの影響もあり、鉱山会社などはすでに西部地域で人手不足を指摘。
 豪中銀は、全国の賃金が「緩やかに上昇する」と予想している。

 豪ドル高の一服が本物であれば、慎重な楽天主義も正当化される可能性がある。

 豪州の家計債務は、世界でも有数の高水準にあり、確かに懸念要因ではある。
 これは、住宅市場がGDP(1兆3000億ドル)の5倍以上に膨らんだことが背景だ。
 こうした借り入れは、銀行のバランスシートの過半を占めている。

 ただ、家計債務は、不況を増幅することはあっても、必ずしも不況のきっかけとなるわけではない。
 金利が低いことに加え、多くの場合、債務を抱えているのは相対的に若く裕福な世帯で、返済能力は相対的に高い。

 さらに重要なことに、金利オンリー型の高リスク融資の比率は、以前に比べれば大幅に低下している。
 豪中銀が昨年終盤に明らかにしたところでは、金利オンリー型融資の比率は全体の25%強と、ピーク時の約40%を下回っている。

 中国経済はどうか。
 豪州の輸出の約3分の1は中国向けだ。
 鉄鉱石価格は、ブラジルのダム決壊の影響で急伸しており、資源大手のリオ・ティントやBHPなどからの供給が予想外に拡大している。
 中国政府も景気刺激を続けていく意向を示唆しており、地政学的な緊張が再燃しなければ、鉱物・金属に対するおう盛な需要は続くはずだ。

 もっとも、こうした要素は、豪州が自らコントロールできるものではない。
 ただ、豪州はある程度まで自らの運命を決めることができる。
 まず、低金利とはいえ、金利は1.5%ある。
 必ずしも利下げで住宅購入を促せるわけではないが、日欧に比べれば金融政策の余地は大きい。
 これに加え、財政政策の発動も可能だ。
 政府は今年度の財政赤字予想を下方修正しており、金融危機後初となる黒字計上に向かっている。

 5月の選挙を控え、減税だけでなく、人口増大で急務となっている道路・公共交通機関への投資も可能だ。
 同国の人口は2031年までに3000万人を超えると見込まれている。

 独立政府機関である豪州インフラ委員会が作成した2019年のリストには、総額400億ドル以上の開発計画が記載されている。
 国内労働人口の半数以上は、就職後に大きな不況を一度も経験したことがない。
 このため、企業経営者やエコノミストから見ると、今回のような景気減速が集団心理にどのような影響を及ぼすのか、予測は難しい。
 ただ、少なくとも、選挙で選ばれた政府には、豪州経済の浮揚という離れ業を続けるだけの力がある程度まで残されているはずだ。

●背景となるニュース
・第4四半期の豪GDPは前期比0.2%増、予想下回る伸び [nL3N20T0DI]
・豪中銀、成長と雇用のバランスに配慮 住宅市場巡り議論=議事要旨[nL3N21608M]

*筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。



ロイター 2019年5月15日 / 09:57 / 2時間前更新 Wayne Cole
https://jp.reuters.com/article/trump-junior-testify-idJPKCN1SL01R

焦点:消えた豪輸出、実質成長率が実態より弱く見える訳

[シドニー 13日 ロイター] -
 オーストラリアの輸出額は資源価格の急騰によって膨らみ続けている。
 ただし統計上のからくりのため、最も注目される実質国内総生産(GDP)に大部分が反映されず、同国経済が実態より弱く見えてしまう状況にある。
 実際には輸出増で得られたお金はオーストラリア国内にきちんと出回り、企業利益を押し上げて配当支払いや株価上昇、税収増といった形で価値を創造している。
 ただGDP算出上は、これらは「インフレ」として実質ベースの数字から除外されるのだ。
 もちろんこうした処理は世界的に普及しており、通常の場合は何の問題もない。
 つまりもしGDPが10%増えても、物価が10%上がれば大半の国民は全く豊かにならない。

 しかしオーストラリアのケースを見ると、価格が上がった分の支払いは国民ではなく外国の買い手が負担し、国内の物価上昇率は2年ぶりの低い伸びにとどまっている。
 オーストラリア統計局のチーフエコノミスト、ブルース・ホックマン氏は
 「異例ではあるものの、オーストラリアは輸出するコモディティの範囲の広さは他に類がなく、そのほとんどの価格が上がっている」
と指摘した。
 例えば今年1─3月期の鉄鉱石価格だけでも、前期比で約13%、前年比で25%上昇。
 3月までの1年間では輸出品全体の価格は15%上がって、オーストラリアに過去最大の貿易黒字をもたらした。
 それでもなお、輸出額の増加分は実質GDPに含まれていない。
 昨年のオーストラリアの名目輸出額は過去最高の「4380億豪ドル」なのに、実質輸出額にすると「3970億豪ドル」にすぎなくなる。
 この差額の410億豪ドルは、名目GDPの2.1%にも相当する。
 昨年10─12月の名目輸出額は成長率を0.8%ポイント押し上げたのに、実質輸出額は0.1%ポイントの成長押し下げ要因となった。
 10─12月の成長率が予想外の低調さに終わったのは主にこうした仕組みが原因だった。

■<好循環>

 オーストラリアの1─3月輸出額は、鉄鉱石の高騰を背景に過去最高に達したため、名目と実質の金額差は大きくなる一方だ。
 もっとも実質GDPから消えたからといって、輸出額の増加が幻であるはずがない。
 昨年の税引き前利益が27%増え、株価が上がって増配が実施された鉱業セクターに聞いてみればそれはすぐ分かる。
 フォーテスキュー・メタルズ・グループ(FMG.AX)、BHP(BHP.AX)、リオ・ティント(RIO.AX)の株価は第1・四半期にそれぞれ約70%、12%、25%の上昇を記録した。
 オーストラリアの主要株価指数が年初来で新たに生み出した価値は2000億豪ドルに上り、各企業は2月から6月までに290億ドルを超える配当を支払うと見込まれる。
 手元資金が潤沢になったことで一部企業は何年も減らしてきた新規投資に乗り出そうとしている。
 準備銀行(中央銀行)はこうした動きを強調し、今月利下げを見送った。

 企業の増益は税収も押し上げていることから、18日の総選挙を前に与野党双方が減税を公約している。
 ウェストパックのシニアエコノミスト、アンドルー・ハンラン氏は「オーストラリアの輸出品に対して他の国々が多額の支払いをしている。政府は減税と支出拡大を通じて家計を支援する余地がある」と述べた。

■<名目GDPに軍配>

 名目ベースのGDPや所得統計にはこれらの差分が明示されているのだが、市場はずっと見過ごしてきた。
 10─12月の名目GDPの伸びが5.5%と、実質の2.3%をはるかに上回っても気づかないとは何とも残念ではないか。
 名目ベースでは昨年全体で国民1人当たり2320豪ドルの所得増につながった。
 これが単に物価上昇加速のせいだとすれば消し去ることができるが、昨年末時点のオーストラリアの物価上昇率は1.8%、1─3月では1.3%と2年ぶりの低さだ。
 過去の例からすると、名目GDPの伸びが先行する局面では時間差はあるものの実質GDPが追随する傾向があり、足元の景気の足踏みは一時的だとの希望が持てる。

 コモンウェルス・バンク・オブ・オーストラリアのチーフエコノミスト、マイケル・ブライス氏は
 「オーストラリアは名目と実質のGDPが大きくかい離する可能性がある数少ない先進国の1つで、その理由はとにもかくにもコモディティだ」
と語り、コモディティ輸出が実質GDPに含まれない国民所得の大幅な増加をもたらすと説明するとともに、現段階ではオーストラリア経済を読み解く上では「名目GDP」の方が適切との見方を示した。





 
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2019年2月17日日曜日

「天皇」の外国語訳への違和感:エンペラーかカイザーか、あるいはキングか?

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東洋経済オンライン 2019/02/17 5:50 宇山 卓栄 : 著作家
https://toyokeizai.net/articles/-/265425

天皇の外国語訳に違和感があるこれだけの理由
本当はエンペラーともカイザーとも違う

世界中で唯一の存在である、日本の天皇。
天皇は「天皇」であり、本来、外国語に訳すのは無理があるかもしれませんが、世界の人々が「tennou」と呼ぶわけではありません。
「天皇」は世界各国で、どのように訳され、どのように呼ばれているのでしょうか。
また、その訳語にどのような意味や歴史的背景があるのでしょうか。

■「天皇」の英語、ドイツ語、ロシア語訳は?

 「天皇」は英語で「エンペラー(emperor)」、
 ドイツ語で「カイザー(Kaiser)」と訳されます。
 「エンペラー」も「カイザー」も「皇帝」という意味を持ちますが、両者はその語義が異なります。
 「天皇」は「カイザー」よりも「エンペラー」に近いと言えます。

 ドイツ語の「カイザー」は、古代ローマ時代のカエサル(英語でシーザー)のドイツ語読みです。
 ローマ帝国の初代皇帝はカエサルの養子のアウグストゥスですが、帝国の基礎を築いたのはカエサルなので、カエサルを追慕するとともに、「カエサルの後継者」という意味で、個人名が最高権力者を意味する称号となり、受け継がれるようになりました。
 したがって、「カイザー」は「カイザー」なのであり、本来、「皇帝」という意味はありません。

 一方、英語の「エンペラー」はローマ軍の最高司令官を意味する「インペラトゥール(ラテン語: imperator)」を語源にしています。
 「インペラトゥール」は「インペリウム(命令権)を持つ者」という意味です。
 したがって、「エンペラー」はその語源に照らせば、「最高指導者」や「君臨者」という意味になります。
 ドイツ語の「カイザー」が後継者としての称号であるのに対し、英語の「エンペラー」は役割者としての称号です。

 ロシア語には、「皇帝」を表す語は2つあります。
 「インペラートル(император)」と「ツァーリ(царь)」です。
 「インペラートル」はラテン語の「インペラトゥール」から派生した語で、英語の「エンペラー」と語義が同じです。
 「ツァーリ」はツァー(Czar)、つまりシーザー(=カエサル)のことで、ドイツ語の「カイザー」と語義が同じです。
 ロシア語では、「天皇」の訳に「ツァーリ」は当てられず、「インペラートル」が当てられます。
 「天皇」にはカエサルの後継者称号よりも、君臨者としての役割者称号を当てることのほうが適切であるからです。

 ドイツ語とロシア語の「皇帝」が「カエサル」という意味を持つのは、理由があります。
★:ヨーロッパで、皇帝家はドイツ語圏とロシア語圏にのみありました。
 ドイツ語圏に、オーストリアのハプスブルク家、ドイツのホーエンツォレルン家の2つの皇帝家があり、
 ロシア語圏に、ロシアのロマノフ家があります。
 この3つの家系のみがヨーロッパでは皇帝家です。

 イギリスのエリザベス1世を輩出したテューダー家もフランスのルイ14世を輩出したブルボン家も、強大であったとはいえ、皇帝家ではありません。
 なぜならば、彼らはカエサルの後継者ではなかったからです。
 19世紀に、ナポレオンが「皇帝」を名乗りますが、正統な皇帝とは言えません。
 ブルガリア王シメオン1世(在位893年~927年)なども東ローマ皇帝の後継者を自認し、一方的に「皇帝」を名乗りましたが、やはり正統性はありません。
 ヨーロッパ人は、自らの歴史がローマ帝国からはじまると捉えています。
 ローマ帝国は約400年間続き、西暦395年、東西に分裂します。
 ローマ帝国の分裂以降、皇帝位は東西の2つに分かれ、西ローマ皇帝と東ローマ皇帝が並び立つことになります。
 西ローマ帝国の継承者が神聖ローマ帝国の歴代皇帝であり、この流れの中に、前述のオーストリアのハプスブルク家とドイツのホーエンツォレルン家があります。
 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の継承者がロシアのロマノフ家です。

■血統の系譜ではなく、政治的系譜

 西側(旧西ローマ帝国領域)では19世紀、新勢力ホーエンツォレルン家が台頭し、神聖ローマ皇帝位を歴代世襲したハプスブルク家に対抗します。
 北ドイツのプロイセンから発祥し、ドイツ全土を支配したホーエンツォレルン家は神聖ローマ帝国の流れをくむ分派でした。
 ホーエンツォレルン家は衰退するハプスブルク家に代わり、自らが皇帝位を引き継ぐことを主張し、1871年、ドイツ帝国を樹立します。
 このとき、神聖ローマ帝国の皇帝継承者として、旧勢力のハプスブルク家と新勢力のホーエンツォレルン家が並び立つことになります。
 ドイツにおいて、962年発足の神聖ローマ帝国は第一帝国、1871年発足のホーエンツォレルン家のドイツ帝国が第二帝国、ヒトラーのナチス・ドイツが第三帝国となります。
 ヨーロッパの皇帝家であるハプスブルク家とホーエンツォレルン家、そしてロマノフ家はカエサルの後継者として「皇帝」を名乗っていました。
 ヨーロッパの皇帝家はその祖先をたどっていくと、ローマ帝国のカエサルに行き着きます。
 ただし、この系譜は血統・血脈を受け継いでいるものではなく、飽くまでも政治的な系譜にすぎません。
 ここが、血統の継承を前提とする日本の皇室と違うところです。

 ヨーロッパでは、ローマ帝国時代から優秀な者を養子に迎え、帝位を引き継がせていました。
 また、実力者が武力闘争やクーデターによって皇帝になることもありました。
 近世・近代以降、先の3つの皇帝家が帝位を独占的に世襲しますが、それまでは選挙や実力争いで帝位が継承されていたのです。

■「天皇」は「tennou」と言い表すほかない

 前述のように、「天皇」の訳には、英語の「エンペラー」に代表される役割者称号が当てられる場合と、ドイツ語の「カイザー」に代表される後継者称号が当てられる場合があります。
 「エンペラー」系統の例として、スペイン語の「エンペラドール(emperador)」、フランス語の「アンペラール(empereur)」、イタリア語の「インペラトーレ(imperatore)」などがあります。
 アラビア語の「イムベラートール」も「エンペラー」の系統に属します。
 アラビア語圏の皇帝に相当する最高権力者はスルタンでした。
 「スルタン」はアラビア語で「権威」を意味します。
 オスマン帝国などの中東では、ヨーロッパの皇帝の訳語として、「スルタン」を当てることはなく、ヨーロッパ由来の「イムベラートール」を当てました。
 それが現在、「天皇」にも当てられるわけです。
 彼らにとって、スルタンは唯一者であり、たとえ他国の皇帝がスルタンと同格であったとしても、「スルタン」と呼ばれることはなかったのです。

 一方、「カイザー」系統の例として、オランダ語の「カイザラ(keizer)」、スウェーデン語の「シェイサレ(kejsare)」をはじめとする北欧ノルウェー語やデンマーク語があります。
 「カイザー」系統のこれらの言語を使う国々、つまり、ドイツ語系の国々では、天皇は「カエサル」と呼ばれているのです。
 われわれ日本人にとってはやはり違和感があります。「君臨者」を意味する「エンペラー」の訳語が当てられるのは理解できても、「カエサル」と呼ばれるのはどうかなと思ってしまいます。

 「天皇」の称号はその由来や歴史的背景からしても、いわゆる「皇帝」とも異なります。
 「天皇」に「エンペラー」や「カイザー」の訳語が当てられることが近代以降、一般化しており、「世界に唯一残るエンペラー」と評されることは、われわれ日本人として誇らしいことですが、「天皇」は本来、「tennou」としか言い表せません。
 かつて、オスマン帝国の皇帝であったスルタンをドイツ語圏で「カイザー」と呼ぶことはなく、そのまま「スルタン(sultan)」と呼んでいました。
 これと同じく、天皇を「tennou」と呼んだとしてもおかしいことではありません。



東洋経済オンライン 2019/03/03 5:10 宇山 卓栄 : 著作家
https://toyokeizai.net/articles/-/265649

欧米人が天皇を"キング"とは呼ばない深い理由
世界で残るたった一人の「エンペラー」の謎

現在、世界で「エンペラー(emperor・皇帝)」と呼ばれる人物はたった一人だけいます。
それは日本の天皇です。
世界に王はいるものの、皇帝は天皇を除いて、残っていません。
国際社会において、天皇のみが「キング(king・王)」よりも格上とされる「エンペラー」と見なされます。

「天皇」は中国の「皇帝」と対等の称号であるので、「キング」ではなく、「エンペラー」であるのは当然だと思われるかもしれません。
これは日本人にとって、当然かもしれませんが、欧米人もこうしたことを理解して、「エンペラー」と呼んでいたのでしょうか。

一般的な誤解として、天皇がかつての大日本帝国 (the Japanese Empire)の君主であったことから、「エンペラー」と呼ばれたと思われていますが、そうではありません。
1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布時よりも、ずっと前に、天皇は欧米人によって、「エンペラー」と呼ばれていました。

■17世紀、すでに天皇は「エンペラー」だった

江戸時代に来日した有名なシーボルトら3人の博物学者は長崎の出島にちなんで「出島の三学者」と呼ばれます。
「出島の三学者」の1人で、シーボルトよりも約130年前に来日したドイツ人医師のエンゲルベルト・ケンペルという人物がいます。
ケンペルは1690年から2年間、日本に滞在して、帰国後、『日本誌』を著します。
この『日本誌』の中で、ケンペルは「日本には2人の皇帝がおり、その2人とは聖職的皇帝の天皇と世俗的皇帝の将軍である」と書いています。
天皇とともに、将軍も「皇帝」とされています。
1693年ごろに書かれたケンペルの『日本誌』が、天皇を「皇帝」とする最初の欧米文献史料と考えられています。
ケンペルは日本の事情に精通しており、「天皇」の称号が中国皇帝に匹敵するものであるということ、さらにその歴史的な経緯をよく理解したうえで、天皇を「皇帝」としました。

1716年にケンペルは死去します。
その後、『日本誌』の遺稿はイギリスの収集家に売られ、1727年、その価値が認められて、『The History of Japan』というタイトルで英語訳で出版されます。
この本は話題となり、フランス語、オランダ語にも翻訳出版され、ヨーロッパ中で大ヒット・ベストセラーとなりました。
18世紀後半、ドゥニ・ディドロが『百科全書』を編纂(へんさん)した際、日本関連の情報のほとんどを『日本誌』に典拠したことが知られています。
ケンペルの『日本誌』が普及したことで、日本の天皇および将軍が「皇帝」と呼ばれることがヨーロッパで完全に定着しました。

こうした背景から、1853年、ペリーが黒船を率いてやって来たとき、天皇と将軍をともに「emperor(皇帝)」と呼んだのです。
ペリーのみならず、日本にやって来た欧米各国の学者や外交官たちも天皇と将軍を「皇帝」と呼び、日本には「2人の皇帝が存在する」などと記録しています。
また、ケンペルは『日本誌』の中で、天皇は紀元前660年に始まり、当時の1693年まで続いていることに触れ、「同じ一族の114人の長男の直系子孫たちが皇帝位を継承しており、この一族は日本国の創建者である天照大神の一族とされ、人々に深く敬われている」と説明しています。
ケンペルは、皇統の「万世一系」が日本で重んじられていることに言及したのです。

■宣教師たちは天皇をどのように呼んだのか?

では、戦国時代の16世紀にやって来たイエズス会の宣教師たちは天皇をどのように呼んでいたのでしょうか。
フランシスコ・ザビエルとともに日本にやって来て、18年間、日本で宣教したコスメ・デ・トーレスは「日本には、聖権的な絶対指導者が存在する」と記録し、その存在を三人称的な「彼」と表記しています。トーレスが「彼」としたのは天皇のことであると考えられています。
織田信長と親交のあったルイス・フロイスは天皇を「Dairi」(ポルトガル語原文)と表現しています。
「Dairi」とは 「内裏(だいり)」のことで天皇を指し示します。

「天皇」という呼び名は、明治時代以降、一般化しました。
「天皇」は中国などの対外向けに制定された漢語表現で、また、法的な称号でもあり、日本国内では、普段から使われていた呼び名ではなかったのです。
明治政府が天皇を中心とする新国家体制を整備する段階で対外向けの「天皇」を一般化させていきます。

それ以前、天皇は御所を表す「内裏(だいり)」と呼ばれたり、御所の門を表す「御門(みかど)」と呼ばれていました。
「みかど」に「帝」の漢字を当てるのもやはり、中国を意識した対外向けの表現であったと考えられます。

こうした状況で、ルイス・フロイスは天皇を「Dairi」と表記しました。
いずれにしても、16世紀の段階で、天皇を「エンペラー」とする表記はありませんでした。

■天皇は本来、「キング」に近い存在

皇帝は一般的に、広大な領域を支配する君主で、複数の地域や国、民族の王を配下に持ちます。
つまり、王の中の王が皇帝なのです。
その意味では、天皇は明治時代以前、日本一国の君主でしかないので、皇帝よりも王に近いと思われます。

「王」を意味する英語の「king(キング)」やドイツ語の「König(ケーニヒ)」は、古ゲルマン語の「kuni(クーニ)」が変化したものです。
「kuni」は「血族・血縁」を意味します。
英語やドイツ語などの「王」には「血族・血縁」という意味が表裏一体のものとして内在されています。
王は「血族長」として、1つの部族をまとめ、さらに1つの民族をまとめ、一定の領土を支配領域とすることで、最終的に一国の君主となります。

一方、皇帝は血縁に関係なく、実力者がなるという前例が数多くあります。
ヨーロッパでは、ローマ帝国時代から優秀な者を養子に迎え、帝位を引き継がせ、実力者が武力闘争やクーデターによって皇帝となることもありました。

しかし、王は違います。
王になるためには必ず、血統の正統性が要求されます。
例えば、ナポレオンなどは皇帝になれても、王になることはできませんでした。
皇帝は王よりも格上の存在です。ナポレオンが格上の皇帝になることができて、格下の王になれなかったというのは一見、矛盾した話のように聞こえますが、こうした背景があるのです。

ただし、神聖ローマ皇帝位をハプスブルク家が世襲しはじめる15世紀には、皇帝位にも、血統の継承性が重んじられるようになり、各国の王位の継承性とバランスを取ることが慣習的に定着します。
そのため、ナポレオンが19世紀初頭に突如、皇帝になったことはヨーロッパの保守派の間では到底、認められるものでないばかりか、ほとんど嘲笑の的でした。

「万世一系」の皇統を持つ(諸説あり)天皇は、血統による正統な君主という意味でも、「キング」の訳を当てたほうが適切かもしれません。
しかし、天皇という「キング」とは異なる言葉の意味や、天皇が中国皇帝に対抗したという歴史的経緯もあり、前述のケンペルをはじめとする欧米人たちは天皇を「エンペラー」と見なし、そのような称号で扱うことを一般化し、国際儀礼としたのです。



東洋経済オンライン 2018/12/22 7:00 伊藤 賀一 : 「スタディサプリ」日本史講師
https://toyokeizai.net/articles/-/255911

なぜ日本の天皇は125代も続いてきたのか
織田信長もGHQも倒そうとしなかった

来る2019年4月、天皇の生前退位が行われ、平成の時代が幕を下ろします。
高齢と健康上の理由で天皇としての公務を果たすことが難しくなったためですが、天皇の生前退位は119代光格天皇以来、実に202年ぶり。
私たちは歴史の転換点に立っているのです。
しかし、どれだけの人が「天皇制」についてしっかりと理解しているでしょうか。
それを知るには近現代の天皇を知るだけでなく、過去の歴史をひも解く必要があります。
『ニュースの“なぜ?”は日本史に学べ 日本人が知らない76の疑問』を上梓したスタディサプリの人気講師が、歴史をひも解きながら、「天皇」の存在に迫ります。

 みなさんは日本が、「世界唯一の単一王朝国家」だと呼ばれていることをご存じでしょうか。
 これは、今上帝(在位中の天皇をこう呼ぶ)まで125代、2700年にわたって万世一系の天皇が存在しているということを指しています。
 たしかにヤマト政権(のち律令国家の「朝廷」)は、一度も王朝交代は行われていません。
 世界にこのような体制は存在せず、ローマ帝国でさえ1000年強の歴史です。
 どれだけ珍しいかがおわかりいただけるのではないでしょうか。

 大王(のち天皇)が125代連続で確実につながっているかどうかは不明です。
 少なくとも初代の神武天皇から25代目の武烈天皇までは、実在していたかどうかはっきりとはわかりません。
 ある程度正確に把握できているのは、26代目の継体天皇からです。
 最初の頃は、『古事記』や『日本書紀』の神話世界ですから。
 それでも、100代ほどにわたり万系一世で続いているというのは、驚異的なことです。

■日本ではなぜ単一王朝が続いたか

 日本が他国に乗っ取られたことがないことも、背景にあります。
 太平洋戦争後、GHQ(連合国軍総司令部)すなわちアメリカ軍に一時的に占領されたとはいえ、外圧によって天皇の存在自体が途絶えることはありませんでした。
 では、内圧はどうでしょう。
 なぜこれだけの間、単一王朝の継続が可能だったのでしょうか。
 実は、歴代天皇の処世術にその答えがあります。
 時代をさかのぼってひも解いていきたいと思います。

 天皇号の始まりは、飛鳥時代(=古墳時代終末期)です。
 672年の壬申の乱に勝利した大海人皇子が、従来の「大王」にかわり天武「天皇」と称し即位しました。
 大王は、ヤマト政権内の「王」である各豪族のリーダー的存在だったのに対し、天皇はその次元を超えた“別格の存在”です。
 当時の天武天皇や、妻の持統天皇は強大な権力者で、皇子(親王)たちが補佐をし、自ら政治を執り行っていました(=皇親政治)。

 奈良時代になると、天皇の下で「藤原不比等→長屋王→藤原四子→橘諸兄→藤原仲麻呂→道鏡→藤原百川」と、政権が目まぐるしく入れ替わり、最終的には藤原氏が最有力となります。
 しかし、あくまでもトップは天皇で、地位や権威は安泰でした。

 平安時代に少し様子が変わります。
 858年、清和天皇が9歳で即位すると、母方の祖父である藤原良房が、幼少の天皇の政務を代行する「摂政」に就任しました。
 そして良房の養子基経は、884年に光孝天皇が55歳で就任すると、成人後の天皇を補佐する「関白」に初めて就任。
 これが「摂関政治」の始まりです。
 天皇が処世術として長けていたのは、摂関政治が始まると、母方の親戚(=外戚)である藤原氏に、政務だけを任せた点です。
 形式的に権威は保った状態のままですから、悪い話ではありません。
 一方、藤原氏も天皇を排除して名実ともにトップに立とうとは考えませんでした。
 圧倒的な権威(金メダル)を持つ天皇の外戚として、政務を代行・補佐しているからこそ摂政や関白に価値があり、転じて自らの権威付け(銀メダル)もできます。
 天皇の価値をあえて下げ、貴族の分際で暫定トップに立つことには、メリットがなかったのです。
 このようなスタンスで、11世紀前半の平安時代後期には、藤原道長・頼通親子により摂関政治は全盛期を迎えます。
 このように、変化する政治状況を巧みに利用しながら、古代の天皇は自らの地位や権威をキープし続けたのです。

■「摂関政治」「院政」と天皇

 さて、平安時代末期、中世に突入すると、もと天皇により「院政」が始まります。
 外戚(=母方の父や伯父・叔父)として藤原氏の摂政・関白もいるのですが、父や祖父が皇位を退いたあとも新天皇の後ろ盾となり、政務をみることが常態化しました。

 国民的アニメ『サザエさん』を例に、摂関政治と院政を説明してみましょう。
 フグ田家のタラちゃんが天皇の場合、同居する磯野家の波平やカツオ(=母方の祖父や叔父)が摂政や関白を務めるのが摂関政治。磯野家が外戚の藤原氏にあたるわけです。
 一方の院政は、フグ田家すなわち皇室内の話です。
 もと天皇のマスオさんが新天皇のタラちゃんを擁し上皇として院政を敷くというイメージです。
 院政は、新天皇に圧倒的な権威(金メダル)を引き継ぐ際、もと天皇がメダルを首にかけてあげ、そのまま抱っこしている感じ。
 藤原氏から反発を買うことはありませんでした。
 なぜなら、摂政・関白という地位(銀メダル)を取り上げなかったからです。
 貴族ナンバーワンという立場は保障されています。
 1086年、白河天皇が8歳の子(堀河天皇)に皇位を譲り、上皇(太上天皇のち出家して法皇)となったのが院政の初めです。
 この後、鳥羽上皇や後白河上皇、後鳥羽上皇などが院政を続けます。

 中世に院政が行われている間(後醍醐天皇の親政など例外はありますが)、鎌倉幕府や室町幕府といった武家政権が誕生します。
 幕府は朝廷より軍事的には強大なパワーをもち、実質的に全国を支配していたわけですが、天皇や上皇にとって代わろう、排除しようとはしませんでした。
 源頼朝にしても足利尊氏にしても、朝廷から賜った「征夷大将軍」という地位(銅メダル)で満足していました。
 なぜなら、権威(金メダルや銀メダル)を持つ朝廷から将軍に任命されることに価値があったからです。
 新興勢力である武家は自らを裏付ける伝統的な権威がなく、軍事力だけで政権は長続きしないことを知っていたのです。
 このように朝廷の天皇(上皇)は、軍事力や経済力で上回る幕府の将軍に対し、ある程度の権威を承認するという方法で、自らの地位や権威を維持するようになったのです。
 クレバーな処世術といえるでしょう。

 戦乱期を経た近世の江戸時代も、基本的なスタンスは同じです。
 江戸幕府は圧倒的に強い存在でしたが、天皇は、政権を将軍に委任する伝統的権威の象徴として生き残りました。
 幕末の大政奉還も、「幕府の将軍が朝廷の天皇から預かった政権をお返しする」という構図ですね。
 朝廷の天皇は、その時点で最も強い勢力を持つ人物を積極的に承認することで権威を保ち続け、生き延びてきました。
 これは相対する勢力と直接戦って、やがて滅びていく運命をたどったヨーロッパの王朝とは、大きく異なる点なのです。
 基本的に天皇が率いる朝廷は処世術に長けていて、幕府と持ちつ持たれつの関係をキープしながら単一王朝を維持してきたといえるでしょう。

■天皇とは日本人にとってどんな存在か?

 巨大な経済力・軍事力をもつ江戸幕府は、その気になれば朝廷を滅ぼすこともできたはずです。
 なぜ、そうしなかったのか。
 すでにおわかりでしょう。
 ここまで述べてきたように、朝廷の天皇と有力な権力者は、持ちつ持たれつの関係を維持してきました。
 朝廷は時の権力を承認することで利用し、一方の権力者は天皇の権威を借りることで統一を進めました。

 権力者は天皇に権威づけてもらわなければ国をまとめ、政権を維持することができなかったのです。
 それゆえ、朝廷の天皇勢力が当時の権力者に本気で逆らった「承久の乱」や「建武の新政」の際も、朝廷の天皇そのものを滅ぼすという発想はありませんでした。
 これは細かく歴史を振り返ってみても、終始一貫した日本独自の国民性といえます。
 たとえば、飛鳥時代の蘇我馬子。
 当時は相当な権力者でしたが、本人が大王になろうとまではしませんでした。
 平安時代の藤原道長も平清盛もそう。
 2人とも、自分の娘を天皇に嫁がせて外戚となり、権威を利用しただけです。
 室町幕府の3代将軍・足利義満も、天下統一直前だった織田信長も、天皇になろうとか排斥しようと思ったことはありません。
 天下を統一した豊臣秀吉も、朝廷を滅ぼすだけの力を持っていましたが、あえて関白に就任しています。
 天皇の補佐をすることで、農村の足軽出身という出自の低さをリカバーしようとしました。
 日本史上最強である徳川家康の一族でさえも、朝廷の天皇から代々征夷大将軍・内大臣に任命される道を選び、朝廷を潰そうとはしませんでした。
 明治時代以降も、どんなにいいポジションにいても、誰一人として天皇に成り代わろうと考えた人物はいないのです。

 そういう意味では、太平洋戦争後、GHQのマッカーサーが天皇制を維持した判断は正しかったといえます。
 天皇や国のために神風特攻隊や人間魚雷として命を投げ出すような国民ですから、天皇制を廃止してしまったら何をするかわからないし、日本はまとまらないと考えた背景には、これだけの歴史があったのです。


2019-02-17 13:12 サーチナニュース
http://news.searchina.net/id/1675710?page=1

「亡国の危機」のたびに自らを成長させてきた日本、
何度も勃興できた理由=中国

 日本は中国に比べると天然資源に乏しく、人口や国土という点でも大きく劣っている。
  それゆえ中国人からすれば、日本が先進国となれた理由が気になって仕方がないようだ。
 中国メディアの今日頭条はこのほど、日本の歴史を見てみると「亡国の危機などの重大な局面になると、日本はこれまで改革を通じて危機を乗り切ってきたことがわかる」と伝えつつ、日本は危機を乗り切るだけでなく、危機のたびにより強く成長してきたと主張、日本はなぜ何度も勃興することができたのかと問いかける記事を掲載した。

 記事は、日本は「国土の小さい島国」だと強調する一方で、他国による侵略など「亡国の危機」に直面するたびに自らを成長させてきたと指摘。たとえば第2次世界大戦で敗れても、日本は短期間で国を再建し、わずか数十年で世界第2位の経済大国へと成長したと論じた。

 続けて、日本にとって強大な国になるためのもっとも良い方法は「他国に学ぶこと」だったとし、国の体制などを改革するうえでは「天皇制」という制度が大きな役割を果たしたと主張。
 天皇を中心とする国家体制は、天皇の号令さえあれば「全国民が一致して改革に取り組む」ことができる体制であったとし、こうした体制が高い効率のもとでの改革を現実のものとしたと論じた。

 さらに、日本の歴史をよく見てみると「中国のような輝かしい歴史はない」と主張する一方で、日本人は模倣や学習の能力が非常に高いことが分かると主張。
 だからこそ、明治維新のように「極めて短期間で国家体制を変更し、他国に学びながら改革を行う」ことができるのだとし、こうした点は「中国が学ぶべきものではないか」と主張している。








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2019年2月16日土曜日

娘から年賀:日本酒の詰め合わせ

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 娘から年賀が届いた。
 日本酒の詰め合わせ。
 曰く「全国新酒鑑評会 金賞受賞蔵 清酒呑み比べ」だそうである。
 越乃寒梅・八海山・天領盃いつもありがとう・吉野川・ふなぐち菊水一番搾り、の5本詰めである。
 すべて新潟のお酒である。
 そして大漁おつまみ一袋。
 1月5日発送とあるから、船便で40日ほどかかったことになる。
 さてさて、どんなキッカケで飲もうか?
 ただ飲んだらアットいうまに空瓶になる。
 いつもは箱の酒の安酒でいい。
 質より量である。
 何かイベントが’ないと開けにくい。


【参照】

JB Press 2019.6.23(日)早坂 隆 
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56787

「生魚も食べられない」外国人に日本酒を広めた男
逆算思考に“未来評価”を加えた蔵元・南部美人がつなぐバトン


●新酒を楽しむ会2013(盛岡グランドホテル)での南部美人の日本酒樽【Wikimedia Commonsより】

 岩手県の一蔵元にすぎなかった株式会社南部美人が、自社の日本酒「南部美人」を世界的なブランドに押し上げた。
 さらなるグローバル展開を推し進める5代目蔵元・久慈浩介氏は、戦略やマーケティングありきではない「情熱」「心」「志」の重要性を説く。
 ノンフィクション作家・早坂隆氏の著書『現代の職人 質を極める生き方、働き方』より、そんな全国の匠たちの熱量と、物づくりにかける思いを紹介する。(JBpress)

※本稿は『現代の職人 質を極める生き方、働き方』(早坂隆著、PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。

■技よりも「人」が大事

 研ぎ澄まされた感覚を持つ職人たちを蔵元として束ねる久慈さんは、「技術が大切なのは当然の上で」と前置きした後、こう話す。
 「酒造りにおいて最も大切なのは、結局は『人』なんです。
 とにかく我が酒蔵では『人』にこだわっています。
 細かな技術などは腐るほどありますが、それらを操る『人』がきちんとしていなければ駄目だろうと」
 「技の凄さよりも『人』。
 『人』を育てるのが私の仕事です。
 そういった哲学から、私たちは人事の体制を具体的に改めました」
 「昔から南部杜氏は季節派遣の出稼ぎ採用となるのが慣習だったのですが、それを改めて、杜氏を社員として採用するようにしました。
 そうすることによって、技術の育成と継承を図ったわけです」
 久慈さんがにこやかな笑みを見せる。

■「和」の心が良い酒をつくる

 「最も大切にしている言葉は『和醸良酒』ですね。
 これは『どんなに良い原料、どんなに良い技術を持っていても、それだけでは良い酒はできない。
 本当の意味で酒造りに重要なのは、造り手たちの和である』という意味の言葉です。
 『和をもって造ってこそ良い酒ができる』ということですね」
 「たとえば、日本で最も高価な原材料を使えば良い酒ができるかと言えばそれは違う。
 また、天才杜氏が1人いれば良い酒ができるかと言うとそれも違うんです。
 『和をもって造る酒こそ良い酒である』ということを、昔の人たちは身をもって知っていたのでしょう。
 私はこの言葉がすべてだと思っています」

 日本有数の名酒を生み出す達人が、酒造りに最も大切な言葉として挙げたのは、なんと「和」の精神であった。
 我が国で最初に制定された成文法(憲法十七条)は、「以和為貴(和ヲ以テ貴シトナス)」から始まる。
 これほど日本人の民族性を表す一字は他にないであろう。
 熟成された南部美人の穏やかな妙味の中には、日本人の伝統的な「和のこころ」が込められていたのである。

 思えば、久慈さんも松森さんも、その言葉の端々に「酒造りへの畏怖」を漂わせていた。
 畏怖の念があるからこそ、そこに謙虚さが生まれる。
 独善(どくぜん)や驕慢(きょうまん)、不遜(ふそん)を嫌い、謙虚であることの肝要さを知る者たちが集まった時、初めて生まれ出づるのが「和」の織り成しのように思える。酒とはまさに民族性の鏡であろう。

■なぜ?世界への挑戦

 そんな久慈さんが目を向けたのが、世界の市場であった。
 1997(平成9)年、久慈さんは他の蔵元たちと協力して、日本酒輸出協会を設立。
 同協会の目的は、蔵元自らが海外へと赴き、日本酒に関する普及活動を行うことだった。
 「3代目である祖父が二戸市の南部美人を岩手の南部美人にした。
 4代目である父が岩手の南部美人を日本の南部美人にした。
 それでは私ができることは何か。
 私は日本の南部美人を世界の南部美人にしたいと思いました」
 しかし、周囲からは、
 「蔵元が世界に日本酒を持って行って売る? 
 何を考えているんだ? 
 そもそも生魚も食べられない外国人に、日本酒の味なんてわかるわけがない」
といった反対の声があがった。
 しかも、1990年代後半、日本酒は全国的な「地酒ブーム」の中にあり、南部美人も東京や大阪への出荷が増えて、ただでさえ多忙な時期だった。
 そんな中、わざわざ海外に出ることに懸念を示す意見が大半を占めたのは、当然のことだったとも言える。
 それでも久慈さんは、果敢にアメリカへと渡った。
 久慈さんはこう考えていた。
 「海外に進出するのは今のためじゃない。将来のために行くんだ」
久慈さんはこう語る。

■未来のために、道を拓く

 「誰かが何もない野原に道を拓かないと、いつまで経っても歩道はできないし、アスファルトの道路にもならない。
 ましてや、日本の人口は減っていくのだから、未来を考えて道を拓いておかなければ日本酒に未来はない。
 そんな思いでした」
 当時は国の補助なども全くなかったが、同協会はニューヨークで日本酒に関するセミナーや試飲会を開催。
 この時のアメリカ人たちからの反応は、驚くほど良いものだった。
 「いつも飲んでいる日本酒と全然違う。どうしてだ?」
 久慈さんは確かな手応えを感じた。
 「これまで君たちが飲んでいた日本酒なんて偽物だ。
 これが本当の日本酒だよ」
 当時、アメリカに流通していた日本酒は、カリフォルニアなどで造られたコストの安いものが大半だった。
 増醸酒という苦難の時代を乗り越え、それぞれの酒蔵で工夫と研鑽を積み重ねてきた本物の日本酒とは、酒造技術に雲泥の差があった。

(これはいける。勝負できる)
 久慈さんはそう感じた。
 一滴にまで心を砕いた雑味のない日本酒の味わいと香りが、ニューヨーカーたちの心を摑んだ。
 そして、反響はニューヨークからボストン、シカゴへと広がり、やがては世界各地へと伝わっていった。
 久慈さんはその後も日本酒の普及のため、世界中を飛び回った。
 進出当初には、試飲会は盛況でも実際の販売数が伸び悩む時期もあった。
 しかし、飲食店を1軒、1軒回るといった地道な営業活動を継続した結果、着実に販路は拡大していった。

■「世界」に認められた酒

 2010(平成22)年、経済産業省製造産業局に「クールジャパン室」が開設され、「クールジャパン戦略」が打ち出されると、日本酒の輸出はいよいよ加速した。
 すなわち、民間の力によって切り拓かれた可能性が、国の後押しを得るまでに至ったのである。
 2013(平成25)年には、「和食(日本人の伝統的な食文化)」がユネスコ無形文化遺産に登録され、これも大きな追い風となった。
 「和食は世界3大料理になれるだけの可能性を秘めています。
 その際、美味しい本物の日本酒は欠かせない存在となります」
 現在、南部美人は「サザンビューティー」の名称で、実に世界28カ国で親しまれている。
 アメリカやヨーロッパはもちろん、アラブ首長国連邦といった中東地域でも高い人気を誇り、エミレーツ航空の国際線の機内酒にも採用されている。
 世界的な認証である「モンドセレクション」では8年連続で金賞以上を受賞。
 南部杜氏のこだわりは、世界を席巻したのである。

■繋ぐ使命感と、成功の意味合い

 これまでの道のりのすべてが順調だったわけではない。
 2011(平成23)年の東日本大震災の際には、酒蔵の設備が破損。
 さらに、震災後に広がった全国的な自粛ムードの中で、日本酒の消費は落ち込んだ。
 久慈さんも親しい友人を失った。
 しかし、そんな悲嘆の底にあっても、(落ち込んでいても仕方がない。自分よりもずっとひどい地獄を見ている人たちが大勢いる)と久慈さんは懸命に前を向いた。
 久慈さんは「東北の食材や酒を通じた復興支援」を、SNSを通じて発信。
 「ハナサケ! ニッポン!」と題した活動を展開して大きな話題を呼んだ。
 そんな久慈さんは、今後の展望についてこう語る。
 「私が大切にしている言葉の1つに成功は次の世代が決めるというものがあります。
 酒蔵の使命は何かと言えば、私は『続いていくこと』だと思うんです。
 継続していくことが大事
 「過去にしっかりとした仕事をしてくれた人たちがいたおかげで今の私たちがいます。
 今この瞬間の南部美人の評価というのは、これまで頑張ってくれた人たちの積み重ねのおかげです。
 これを次の世代に繫(つな)げていかなければならない」
 「そして、次の世代がさらに頑張って私を追い抜くことにより、そこで初めて私の成功が認められるわけです。
 私の成功は私のためにあらず。
 私の成功は親父の成功となります」
 「そして、私への評価は私の息子や孫の世代がどうするかによって決まる。
 目先の評価に意味はありません。
 息子はまだ中学生で野球に夢中になっていますが、まあこれからでしょう」
 久慈さんはそう言って破顔一笑した。
 それはまさに南部美人の飲み心地を思わせる、爽やかで柔らかく、ごまかしのない笑顔であった。


●『現代の職人 質を極める生き方、働き方』(早坂隆著、PHP研究所)






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2019年2月15日金曜日

ゴールドコースト居酒屋「希実」:一杯飲み屋風の異世界雰囲気濃厚

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● 夜の感じ、レストランとは思えないほどに何だかわかりにくい


● 入口:まるで目だたない


● 内部 

 大学病院の前にある「希実:のぞみ」という日本食レストランへ行った。
 レストランというより居酒屋といった方がピッタンコであろう。
 サーファーズパラダイスあたりの日本食とは全く違って、お客はほぼ非日本人。
 場所柄ここまで日本食のレストランを求めることはないだろう。
 昼間も夜もほとんど目立たない。
 どちらかというとランチ・弁当屋さんといったところ。
 よくまあこんなところで日本食をやっているなと思うほど。
 日本食レストランで日本人客がいないとなるとアニメの「異世界居酒屋のぶ」を連想してしまう。


  日本酒が置いてある。
 上善如水である。



 酒が飲める、そのことだけで近いから行く。
 日本料理というのは皿にチビットということになるが、ここはグリフィス大学のちかくということもあって量がオージー向けでボリュウムたっぷり。
 下手に頼むと食べきれない、というのが正直なところ。
 夜ではあるが頻繁に電話が入る。
 しばらくすると、料理をとりにやってくる。
  持ち帰りである。
 中にはハダシでやってくる。
 ここでハダシを見ると少々びっくり。
 この後ろに学生の寮があるのである。
 量が多いのも納得。
 まあ、サーファーズからブロードビーチの中心街に住む人のためのレストランではない。
 近くに住む私には大満足であるが。
 
 メニューをコピーしておく。




● 異世界居酒屋「希実」メニュー

  これ以外にその日のスペシャルがある。
 サーモンとホタテの刺身を注文した。


 サーモンには[Tasmanian Salmon]、ホタテには[Hokkaido Scallop]と印刷された紙片が添えられていた。
 生産地の表示ということのようである。


NICHIGO PRESS 3月号 希実ジャパニーズレストラン




NICHIGO PRESS 4月号

』 


話は大きく変わるが「希実」と聞くと田中希実(のぞみ)を思い出す。
 昨年、アンダー20の世界陸上選手権3000mでエチオピア勢を振り切って優勝した選手である。 
 今は大学一年生である。
 小学6年と中学1年のときにゴールドコーストマラソン・ジュニヤダッシュ4kmにエントリーして連覇している。

● 優勝して公式写真に載った田中のぞみ(小六)

 レストラン「希実」はそれ以降の開店なので、田中希実を関係があるのだろうか。
 彼女は来年の東京オリンピックでの出場を目指す中距離ランナーである。
 まったく余計なことなのだが、ちょっと気になったので書いてみた。






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2019年2月14日木曜日

17 km走:1時間58分04秒 キロ6分57秒 ラスト3キロの強風

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● 10.5km付近を走る
 場所はレンフォックス公園中央部、右へいくとブロードウオーターパークランドへ、左へいくとランドエンドへ、ハーフだとここが中間点になる。
 スタート地点でもあり、中間地点でもあり、ゴール地点でもある。
 ここからランドエンドを折り返してくると6.5kmで、合計で17kmになる。
 これが現在のランニング距離になる。
 ハーフ練習ではペリカンシーフードからランドエンド折り返しまで2kmなので、ここをもう一往復してプラス4kmを加算し、21kmとしている。


 このところヒートウエーブ(熱波)で気温が上昇している。
 なにより太陽がギラギラしている。
 今日も同じだろうと覚悟し、行かれるところまで行ってリタイヤしてもいいと思っていた。
 しかし、曇天模様である。
 だが、強い南風が吹いている。
 遊歩道の枯れ葉がコロコロ流れていく。
 向かい風はとんでもなくつらくなりそうである。
 それでも太陽にいたぶられるよりかはいい。
 強い風に感謝する、というのはランニングをしていてそうあるものではない。
 風が止まれば、陽射しがなくとも気温は30度ちかくまで上昇する。
 風様々、である。
 
 10キロまではほぼブロードウオーター・パークランドの中で片道1キロほどのコースを選んで行ったり来たりなので追い風、向かい風が交互に来る。
 8キロ手前のゴールドコースト・ブリッジが南の折り返し点になる。
 ここからランドエンド・ブリッジまでの6.5キロは追い風になる。
 ランドエンド・ブリッジを越えてすぐが北の折り返しとなり、残りの3キロほどが内海沿いの風の強い地域になる。
 何しろ前に進まない。
 めんどうなことに加えて左横っ腹が痛み出す。
 踏んだり蹴ったりである。
 やはり、14kmまで追い風で貯金した時間が15kmまでの1キロでパーになる。
 15kmでやめて、歩いて帰ろうかとも思う。
 15kmならリタイヤにならない。
 15kmポイントを過ぎる、やめるか? 走るか?
 あと2キロ、キロ7分50秒で行かれれば、トータルではキロ6分台でゴールすることになる。
 なんとかやるか! といった気分、というよりやけくそでそのまま走り続ける。
 ラスト1キロは護岸歩道である。
 内海からのさらに強い向かい風がまともに吹きつける。
 帽子を押さえ、ただただ路面に目線を落とす。
 体はボロボロもどきである。
 走り終わった後はベンチに倒れ込む。
 ハーハーの過呼吸がしばらく続く。
 この2kmはキロ7分25秒ほどであった。
 強風向かい風の3キロは倍の6キロを走った感じである。
 トータルでは17kmをキロ6分57秒で走ったことになる。
 17kmを走り切れるとは期待していなかっただけにこのタイムは想定外にすばらしい。
 ちなみに腹痛はゴールするまで収まることはなかった。
 
 

【 2月14日 17km  1時間58分04秒 キロ6分57秒 
5km    34:46      34:46
10km    34:14    1:09:00
15km    34:17    1:43:17
17km    14:47    1:58:04

【 2月09日 12km  1時間22分56秒 キロ6分55秒 
5km    34:52      34:52
10km    33:45    1:08:37
12km    14:19    1:22:56

 今日もキッド・シューズである。
 右足のフクラハギの付け根からクルブシの下あたりにかけて少し痛みが出ている。
 アキレス腱とその周辺と言うことだと思う。
 おそらくこれもベアフット・シューズの後遺症だろう。
 ベアフットで本番のハーフを走るというのは相当にきついことに気が付きはじめた。
 実際、クッションの薄いKidsシューズで1カ月走り込んだ後に、本番に出て15kmまでは順調にいったが、そこからゴールまでは左右のフクラハギがビンビンになり、歩くみたいな感じでゴールしたことがある。
 練習でハーフ距離を数回走れてもそれですまない。
 本番はさらに負荷が大きくなる。
 一般のランニングシューズはその負荷を軽減するように作られているが、キッド用短い距離用であり、ベアフットでは底が薄すぎる。
 もしベアフットを使うなら安易に考えずに、十分な走り込みをそのシューズでやって、充分に足を鍛えておくことがどうしても必要になる。
 そうしないと、レースで何が起こるかわからない。
 ならその十分な距離とは、どんなことになるのだろう。
 Kidsでは100km(21km走数回)でダメだった。
 300kmは必要だろうか。

 まずはサロンパスを貼って、テープで止めた。
 ありがたいことに痛みは走っているうちに収まってきた。
 慣れるまでの過渡的症状なのかもしれない。

 
 
 

● 風呂に入ったあとの測定では46kg少々である。

 今日は終日強風が吹き荒れていた。
 そのせいで気温がガタンと下がり、短パンでは涼しく、ジーンズに履き替えた。
 2月も後半に入ると晩夏ということになるようである。






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