2019年3月29日金曜日

17 km走:1時間55分58秒 キロ6分49秒  13キロでダウン

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13kmでダウン その後は走りながら休みながらの17kmであった

【 3月29日 17km  1時間55分58秒 キロ6分49秒 ベアフット・シューズ
5km    33:27      33:27
10km    32:52    1:06:19
15km    34:04    1:40:29
17km    15:35    1:55:58

【 3月20日 20km  2時間16分45秒 キロ6分50秒 ベアフット・シューズ
5km    34:23      34:23
10km    33:36    1:07:59
15km    33:30    1:41:29
20km    35:16    2:16:45

 前回走った20kmが目標である。
 チャンスがあれば21kmも、と思っていた。
 晴天だが雲が多く、ときどき朝陽が顔を出す。
 昨夜、少し雨だったようで、気温は若干低く走りやすい。
 5kmは前回よりも1分近くいい。
 体も足も動いてくれている。
 10kmは前回より45秒いい。
  合わせて10kmで1分40秒もいい。
 前回と比較するととにかくタイムがいい。
 こういう時は注意しないといけない。
 前半良すぎると、後半に入ってパタッと足が止まることがある。
 11km過ぎまで順調。
 だがここまで。
 太陽が雲を押しのけ朝日の矢を打ち始めた。
 そのせいかとは思えないが一気に体が変調モードへ入る。
 12kmを超える。
 何が体に起こっているのかまったくわからない。
 でも何かが急激に起こっている。
 アレーと思っているうちに足も体も動かなくなる。
 天候のせいか、それとも体調のせいか、何しろ動かない。
 うごけない!、13kmで日陰のベンチに倒れ込む。
 この間6分半少々くらいである。
 フルマラソンの練習ならよくあることだが、ハーフでこんなことがあっただろうか。
 さあ、どうする。
 帰るか、ここからならフィニッシュまでたどり着ければ15kmでリタイヤにはならない。
 ただ、走り切れれば、という条件がつくが。
 それとも北の折り返しまであと750mほどなので、とりあえずそこまで行って、あとは後のことにするか。
 後者を選択してまた走り出す。
 タイムは走った時間で計測し、休んだ時間はカウントしていない。
 例えばお手洗いに寄ったときとか、水を飲みにいったときも同じようにしている。
 本番では許されないが、練習ではさほどシビアにすることもない。
 何とか北のポイントを折り返す。
 15kmまであと500mのところでまたダウン。
 お休みタイムである。
 しばらく休んでまた走り出す。
 15kmを通過する。
 それでもこの5kmスプリットはキロ7分を余裕で切って、34分で走っている。
 15km通過ならリタイヤは消えた。
 さてここから歩こうかと考えるが、歩きであと2キロは遠い。
 何とかなるうちは走るしかない。
 スピードは恐ろしく極端に落ちている。
 16キロ少し手前のペリカンシーフードでまた休むことになる。
 体が動かない。
 16kmまでくればあとは歩いても1キロである。
 15kmから16kmの1キロは7分46秒かかっている。
 もうダメというモードに首までつかっている。
 歩き始める。
 タイムはとっている。
 がすぐに、横を中年のオバサンが駆け抜けていった。
 それを見ると、なんとか歩かず走って帰ろうという気分になる。
 ペースはキロ8分弱である。
 それほどに足も体も動かない。
 速足歩きのレベルまでに落ちている。
 どうにかこうにか、戻ってきた。
 ラストの1kmは7分49秒である。
 トータルの結果からみれば17km走ったことになり、前半の貯金が効いてキロ6分49秒なのでそこそこなのだが。
 こういう事もあるのだということだ。

 走っていればいろいろなことに出会う。
 とはいうものの一体何が起こったのかがトンと見当がつかない。
 朝陽の強さといってもこれまで経験していることだし、体調が悪いということでもない。
 何か突然に厚い高い壁にぶち当たったといった感じである。
 これに強いて理由をつければベアフットシューズという「新しいタイプのシューズに体が馴染んでいくときの通らねばならぬ関門」に出会ったということであろう。
 この関門を通り抜けられれば体がシューズに慣れてくるということになるのではないだろうか。
 よって、次の一、二回がいかにしてその壁を乗り越えるかという課題になってくるということだろう。
 
 帰ってきた後のダメージも大きい。
 風呂に入ったら目の前がボーとしてきて倒れそうになる。
 のぼせ状態に入っている。
 こんなところで倒れて一貫の終わりではみっともない。
 熱いお湯につかったとか、長湯をしたとかいうわけではない。
 ぬるいお湯につかっただけである、それだけである。
 早々に切り上げて、ベッドに横たわる。
 何かが起こった、ということしか説明のしようがない。
 
 さてベアフットシューズのカカトだが、こうなっている。


● 計114km 左足の上張ステッカーはテープを通してかろうじて靴についているだけ
 右足の上張りはなくなっており、テープの擦り切れによって張ステッカーが見えている

●左の上張りを取り除いてみる

  応急補修に入る。
 擦り切れたテープを外し、上張ステッカーもはずす


右足の方はステッカーを止めているテープも外してステッカーをむき出しにしてみる 


● 張ステッカーにテープを貼る



●右カカトの応急処理:新しい上張ステッカーを作り圧着ののちテープで押さえる。

 次に左足だが、要領は全く同じで張ステッカーの上にテープを貼り下地を作って、新しい上張ステッカーをカットして圧着し、テープを貼る。

 走り終わったら上張ステッカーは新しいものに交換すること、
これが要件になるようである。
 でないと張ステッカーにまですり減りが拡大する可能性がある。
 この距離なら張ステッカーにまでは被害は及んでいない。


● 応急修理完了:

 そのほかの個所では左足先が少し擦り切れている。
 このことは左足がうまく上がっていないことを示している。
 これによりつま先が擦るような’感じになって、つんのめることになり、いわゆる老年性転倒につながってゆく。


● 左つま先が擦り切れはじめている、「摺り足走行」になってうぃるということである

 ベアフットはこれで計114km走ったことになる。
 応急修理を繰り替えしていけば200kmはまずもつであろうと思う。
 それまであと4回、4月いっぱいである。

 余計なことだがステッカーの切りクズがでたので、ままよと貼り付けてみた。
 2mmの厚みがあるので切りクズを2枚重ねると4mmカカトが高くなる。
 走っているうちに小さな切りクズのステッカーはテープが擦り切れると剥がれて落ちていくだろう。
 まあ、ちょっとの時間稼ぎにはなるかな、といったところだろう。


●切りクズのステッカーをテープで貼り付けた


● 少々歩いてみた

  こうなるともう遊びである。
 テスラのベアフット・ランニングシューズを使っての。
 ならほかの遊び方も考えてみるかって気分になる。
 そのときベアフットはどう反応するか興味がわく。
 決まった一種類の履き方ではなく、
 ああでもないこうでもないとイジクリ回して履いてみる、
ということになる。
 きっとこの靴、イジクられたいのだろう、そんな風に思ったりもする。











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2019年3月26日火曜日

2019 「ちば映画祭」テーマ曲をキミはもう聴いたか?

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Yahooニュース 3/26(火) 17:00 壬生智裕  | 映画ライター
https://news.yahoo.co.jp/byline/mibutomohiro/20190326-00119636/

一度聴いたら忘れられない洗脳ソング!?
「ちば映画祭」のテーマ曲をキミはもう聴いたか?



■一度耳にしたら、なんだか頭から離れない!

 一度耳にしたが最後、なんだか頭から離れなくて、知らず知らずのうちに鼻歌を口ずさんでいるような中毒性の高い楽曲というものがある。
 個人的にはスーパーで流れていた「おさかな天国」や、ディスカウントストア、ドン・キホーテの「ミラクル・ショッピング」などはそんな曲のひとつではないかと思っているのだが、そんな作品群の中に、一部映画ファン・映画関係者を虜にし、「洗脳ソング」と評された知る人ぞ知る楽曲がある。


●花くまゆうさく氏によるイラストもインパクトがある(映画祭提供)

 「ちば映画祭のテーマ~初期衝動~」というタイトルを持つこの楽曲は、映画祭会場で繰り返し流され続け、やがてそれを聴いているうちにハマッてしまう人が続出。
 とある映画関係者が集まる新年会でもここ数年、このテーマ曲が流されているそうで、そこではみんなの頬がゆるみ、思わず肩を揺らすのだとか――。
 論より証拠、YouTubeで2019年版の最新バージョンがアップされているので聴いてみてもらいたい。


【2019年版YouTube】

監督:大河原恵
出演:福永朱梨、笠島智、木村知貴、朝間優ほか

 歌詞がなかなか味わい深く、かつこの映画祭の本質をズバリと言い当てているので、こちらに引用してみよう。(掲載許諾済み)。

■「ちば映画祭のテーマ~初期衝動~」
作詞/作曲:ユキミ
演奏:ジャパニーズ・ナード

ちょいとアンダーグラウンド だけど映画が何よりも好き
地味めな地方都市だって 最高にポップなのさ
僕らの好きな映画を 一緒に見てほしい
お金とかそうゆうんじゃなく 純粋な気持ち
ちばちば映画祭 ピーナッツ県からお届けします
ちばちば映画祭 初期衝動 忘れない
ここはホームグラウンド だけど味方は割と少ない
あのコと手を繋ぎたい 伸ばした手を引っ込めた
だから好きな映画を 1人で見るのさ
キャピタリズムをぶっとばす 上映が始まる
ちばちば映画祭 ピーナッツ県からお届けします
ちばちば映画祭 初期衝動 忘れない
自分に嘘はつきたくない まわるフィルムの中で
世界どこまでも広がる ブザーが鳴り響く
ちばちば映画祭 ピーナッツ県からお届けします
ちばちば映画祭 初期衝動
ちばちば映画祭 ピーナッツ県からお届けします
ちばちば映画祭 初期衝動 忘れない

 作詞作曲は映画祭スタッフのユキミさん。
 2019年版のMVを監督したのは第9回映画祭で特集上映を行った大河原恵監督。
 主演は、第10回映画祭上映作品となる『恋はストーク』(亀山睦実監督)や『彼女はひとり』(中川奈月監督)などに主演する女優の福永朱梨さん。
 すごい映画を観終わった時のような、人生を変えるような音楽を聴いた時のような、ビビビッと雷に打たれたような、思わず「チキショー」と言いたくなるような、なんだか泣けちゃうような、そんな青い感情を思い起こさせるようなギターポップチューンとなっている。

■この曲が生まれた背景

 この曲が生まれたのは2013年1月に開催された第5回映画祭から。
 そのきっかけについて、ちば映画祭実行委員会の鶴岡明史氏は
 「お金がない中、どうやって映画祭をいろいろな人に周知してもらおうかと話し合っていた時に、バンドをやっていたユキミちゃんが曲を作れますよと言ってくれたんです。
 それで周知されるかどうかは分からなかったんですが、映画祭のテーマソングって面白いなと思って。
 それでデモを作ってもらったんですけど、それがとても良かったんですね。
 そこで親交があった山田篤宏監督がMVを撮ってくれることになったんです。
 主演は前年の映画祭で上映した井土紀州監督の『犀の角』という映画に出ていた富岡英里子さん。
 音楽は地元のスタジオで録音して、バンドは即席。
 曲に関してのリクエストは特になかったですけど、当時の代表がひとつだけお願いしたのが『童貞っぽい曲にしてくれ』ということでした」。


●【オリジナルバージョン】
監督:やまだあつ☆ひろ
出演:富岡英里子ほか

 「MVを撮った時、ケーブルテレビ局に持っていったら珍しがられて、結構流してくれたんですよ」と笑う鶴岡氏は、
 「他の映画祭にいくと、休憩時間のロビーがけっこう静かで。
 それが気になっていたんです。
 だからせめて僕らだけは賑やかにしようと思って、うるさいくらいに流していました。
 さすがに最近はうるさいなと思うようになってきたけど(笑)。
 でも当時は映画祭を覚えて帰ってもらおうとして流しまくってました。
 このテーマソングが流れるとテンションが上がるなと思って」
と述懐する。


● 2015version】
監督:村松正浩
出演:廣田朋菜、阿久沢麗加、Velma、今村左悶ほか

■くじけそうな時はこの曲を聴く

 観客からも「洗脳ソング」「耳から離れない」といった反応があったという。
 「こちらとしては狙ったわけではなく、半分思いつきで作ったものなのに。
 今となってはこんなに重宝するとは。
 でも今になって聴き返すと意外にも、当時からユキミちゃんは芯をついた歌詞を書いていたんだなと思います。
 僕らが東京の映画祭と同じことをやってもしょうがない。
 千葉なら千葉なりの見せ方もあるだろうと。
 お金がないことを好転させるには手作りで戦うしかない。
 僕も映画祭を続けていく上でくじけそうになることが多いんですけど、そんな時はこの歌を聴いているんです」(鶴岡氏)。


●【2016ver. ほりはるmeetsちばピナ】
監督:村松正浩
出演:堀春菜、廣田朋菜、阿久沢麗加、Velma、今村左悶ほか

 そしてその後も回数を重ねるごとに、いろいろな監督がMVを担当してきた。
 そしてその監督はほぼ、映画祭の打ち上げの場で決まるという。
 自分の作品を上映してくれた映画祭に対する感謝の気持ちもあるようだ。
 「こちらからお願いしたわけではないんですが、皆さんが好意で撮ると言ってくれる。
 ちば映画祭を応援しよう、盛り上げようという気持ちがうれしいですよね」(鶴岡氏)。


●【2017version】
監督:杉田協士
出演:北村美岬、伊東茄那ほか

■では今年の映画祭は?

 「第10回」という記念すべき年となる今年のちば映画祭は、3月29日から31日にかけて千葉・千葉市生涯学習センターで開催される。
 今年は、ベルリン国際映画祭フォーラム部門に出品された『わたしたちの家』の清原惟監督の、ほぼ上映機会のない短編映画も含めた特集上映。
 そして2007年12月のクランクインから9年、幾多の困難を乗り越え、2017年に完成させたはずなのに、今でも編集をやり続けているという杉作J太郎監督の『チョコレートデリンジャー』など、数々のインディーズ作品が上映される(その他の上映作品は公式HPにて)。
 映画祭のラインナップについて鶴岡氏は「このまま埋もれていってほしくないなと思うような作品を選んでいます」と自負する。

■映画愛に満ちあふれたピーナッツ県の映画祭

 これまでのちば映画祭では、『ディストラクション・ベイビーズ』の真利子哲也監督や『溺れるナイフ』の山戸結希監督、『チワワちゃん』の二宮健監督、『真っ赤な星』の井樫彩監督、『ひかりの歌』の杉田協士監督ら、現在、第一線で活躍する監督たちの作品をいち早く紹介してきた。
 しかし鶴岡氏はそれを誇ることなく、「うちの映画祭は箸休めでいいんです」とキッパリ言い切る。
 そんなゆるさも、ちば映画祭の魅力のひとつである。

 デジタル機器の発達で自主制作の映画監督は次から次へと誕生している。
 日本の文化を豊かにするためには、“映画を作る”新たな才能の発掘ももちろん大切だが、それと同時に“映画を上映する場”、“映画を上映する人たちの力”も大切である。
 ちば映画祭のプログラムは、映画祭スタッフが各地の映画祭に足繁く通い、選りすぐった作品ばかりだ。
 それだけにちば映画祭は映画愛に満ちあふれている。
 まずはMVを通じて映画祭の魅力に触れてみてはいかがだろうか。

 なお余談だが、この原稿を書いている間も「ちば映画祭のテーマ~初期衝動~」のMVをリピート再生し続けていたのはここだけの話である。
 「うるせー! やりたかったんだよぉっっ!!」と頭に鳴り響いている――。





 



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2019年3月21日木曜日

移民受け入れを約15%削減:メルボルン、パース、シドニー、ゴールドコーストへの居住は認められない

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時事通信社  7/29(月) 8:44 配信
https://news.yahoo.co.jp/feature/1401

 スカイツリー建設にも貢献した南半球の資源大国、オーストラリアの強み

 雄大な自然に恵まれ、移民がもたらした多彩でユニークな文化が暮らしに根付くオーストラリア。
 英経済誌エコノミストの調査部門が発表した2018年の「最も住みやすい都市」番付では、メルボルンやシドニー、アデレードがトップ10に入り、日本人の間でも留学先や旅行先としての人気は引き続き高い。
 日豪関係のはじまりは19世紀の終わりにさかのぼる。
 家族2代で日本とつながりが深いリチャード・コート大使に、オーストラリアの魅力を聞いた。
(時事通信社/Yahoo!ニュース 特集編集部)


●【65秒でわかるオーストラリア】

■第2外国語として日本語が人気

――日豪関係の歴史について教えてください。

 日本が鎖国政策を廃止して以降、両国の交流の歴史は深いです。
 1889年に来日して夏目漱石に英語を教えた教師ジェームズ・マードックは、日本で約30年間すごし、帰国後はシドニー大学で日本語を教えました。


●リチャード・コート駐日大使(撮影:時事通信社)

 日本語はオーストラリアの学校で学ぶ第2外国語として最も人気です。
 1880年代頃からは、真珠産業に従事するため和歌山などから多くの日本人が、豪州に移住して(潜水士として)活躍しました。
 高品質な養殖真珠が生産される西オーストラリア州ブルームで毎年開催される「真珠祭り」には、私と妻も出かけます。
 私の父は第2次世界大戦では兵士として日本人と戦い、戦後は私と同じく西オーストラリア州首相を務めました。
 親子2代で日本への鉄鋼や液化天然ガス(LNG)の輸出関連ビジネスに携わっています。
 新幹線などのインフラ整備や、東京スカイツリーの建設には豪州産鉄鉱石が使われるなど、オーストラリア人が現代の日本の国づくりに貢献したことは誇りです。


●オーストラリアの国章(撮影:時事通信社)

――オーストラリアはどんな国なのでしょうか。

 769万キロ平方メートルの広大な国土に対して、人口は約2500万人と比較的小さいですが、およそ200の国と地域の人々が生活し、多様な人種・民族が共存しています。
 18世紀末の英国からの本格的な入植が始まるはるか前から、伝統的な生活を営んできた先住民のアボリジナルの人々や、トレス海峡諸島民の独自の文化もあります。
 表現豊かなアボリジナルの人々の絵画作品は人気が高く、大使館ではエミリー・ウングワレー氏の作品などを飾っています。
 そして、南欧、中国、ベトナム、インドなどからの移民がもたらした文化は豪社会に溶け込み、異文化に対して寛容な文化が国を強くしています。
 オーストラリア人の気質はとてもざっくばらんで、寛大であることを誇りとしています。
 スポーツは暮らしに欠かせないもので、私が趣味とするマリンスポーツを含めて野外スポーツを楽しむ人が多いです。

■南欧系移民が持ち込んだコーヒー文化

――日本でもオーストラリア流のカフェや朝食が注目されています。

 第2次大戦後に移住してきたイタリア人やギリシャ人が、コーヒーやカフェを楽しむ文化を広めました。
 濃いエスプレッソと、きめ細かく泡立てられたミルクが混ざり合う「フラットホワイト」はオーストラリアで生まれました。
 素晴らしいバリスタがいる独立系カフェも多いので、大手コーヒーチェーンが豪市場で生き残ることは難しいでしょう。
 私は朝早起きをして海で泳いでから、近くのカフェで朝ごはんを食べることを楽しんでいました。
 オーストラリアの定番メニュー「スマッシュアボカド」(味付けされたペースト状のアボカドをトーストなどにのせたもの)をよく注文します。
 西オーストラリア州パース近郊の海岸近くにある「Little Sup(リトル・サップ)」というお店がお気に入りです。
 オーストラリアの温暖な気候は野外活動に適していて、一部の地域では年中バーベキューができます。
 野外に備え付けの大型調理器具を設置して、真剣すぎるほどに熱心に取り組む人もいます。
 伝統的なメニューはソーセージやステーキ、骨付き肉ですが、ロブスターやエビなどシーフードが振る舞われることもあります。

■農産物から金融サービスまで多用な産業が成長

――オーストラリアはどんな産業が伸びていますか。

 歴史的には世界有数の農業・資源国ですが、フィンテックなどの金融サービスやヘルスケア、エンジニアリング、防衛分野で革新的な技術が誕生しています。
 米国を除く環太平洋連携協定(TPP)参加11カ国の新協定「TPP11」が締結され、対日貿易が拡大することを期待しています。
 2018年日本への輸出が解禁されたアボカドのほか、ブドウやかんきつ類などの農産物や、人口内耳などの医療機器など魅力的な産品があります。
 オーストラリア人は勤勉ですが、極端な長時間労働は労働生産性の向上につながらないことを認識しています。
 家族間の助け合いや、地域社会への貢献を大切に考えていて、大半の人は仕事が終わった後に、地域のボランティア活動などに参加し、子育てに携わる父親も増えています。
 女性幹部の活躍は豪社会のトレンドです。
 BHPビリトンなど大手エネルギー関連企業で女性幹部が増えていて、中小企業でもそうした前向きな動きが見られます。
 政界でも一部政党(労働党)では獲得議席のうち女性議員が占める比率は半分に近づき、大学での女性のキャリア教育も過去20年間で大きく変わっています。

リチャード・コート氏 略歴:
1947年西オーストラリア州生まれ。西オーストラリア大学で商学士取得。日本向けの資源ビジネスに長年携わった。82年に同州の下院議員に当選。93年から2001年まで西オーストラリア州の首相兼財務大臣を務めた。08年には日豪関係強化への貢献により、旭日重光章を受賞した。17年2月に駐日大使に着任。これまでに日本の都道府県の半分以上を訪問した。家族は妻と子供3人。ヨットやボート、ウオーキングが趣味で、スキーも楽しむ。

オーストラリアとは:
英連邦を構成する自治国で1901年に成立した。南半球に位置し、豪大陸本土と数千の島々からなる。二院制で、英女王を国家元首とする立憲君主制。先住民が暮らしていたが、15世紀以降に探検家が訪れるようになった。英国が18世紀末に領有化を宣言し、当初は囚人や移民が入植。現在は国民の4分の1が海外生まれで、多民族・多文化主義政策を導入。主要産業は農業や鉱業。



ロイター 2019年3月20日 / 16:40 / Reuters Staff
https://jp.reuters.com/article/australia-politics-immigration-idJPKCN1R10G5

豪、移民受け入れを約15%削減 
都市部の人口集中緩和目指す

[シドニー 20日 ロイター] -
 オーストラリアのモリソン首相は20日、都市部での人口集中の緩和に向け、年間の移民受け入れ人数を15%近く削減し、一部移民については3年間は主要都市への居住を認めない方針を示した。

 同国では、住宅価格の上昇や人口過密に対して有権者の不満が高まっており、一部では人口増加がこうした問題を引き起こしたとの声が出ている。

 モリソン首相は、年間の移民受け入れを従来の19万人から引き下げ16万人とすると発表。
 キャンベラで記者団に「これはオーストラリア国民が対策を望んでいた問題だ」と語った。

 首相は、新たな技能ビザで移住する最大2万3000人も移民制限の対象で、
永住権が取得できるのは主要都市以外に3年間居住した後になると説明。
 コールマン移民相によると、人口に対しインフラが不足している
 メルボルン、パース、シドニー、ゴールドコースト
への居住は認められない
 また、今後の永住権申請では要件を厳格化し、居住地と職場の住所を示す証拠の提出が必要となるという。

 昨年9月のリーチテルによる世論調査では、シドニーに住む人の63%が同市への移民の制限を支持すると回答した。

 ゴールドコーストはあるが、ブリスベンはない。
 どうしてだろう。


yahooニュース 3/21(木) 7:00 中野円佳  | ジャーナリスト/東京大学大学院教育学研究科博士課程
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakanomadoka/20190321-00118250/

海外と比較して気付いた「日本の公教育は水準が高い」 
ただ、多様性理解には課題も  小島慶子さんと語る

夫が会社を辞めたことを機にオーストラリアに移住し、一家の大黒柱として日本との行き来をして「出稼ぎ」する小島慶子さん。
2017年から駐在妻としてシンガポールに住むことになり、リモートで仕事をするジャーナリストの中野円佳が対談。
海外と比較して感じる日本の教育のメリット・デメリットについて聞きました。

※2018年夏に実施、海外×キャリア×ママサロンで配信したトークイベントを再編集したもので、BLOGOSからの転載です。(1、2、3から続く)

小島:
 息子たちは小2と小5まで日本で地元の公立の区立の小学校に通っていたんですけど、オーストラリアに来て、日本の教育のレベルの高さは実感しました。
 二人とも公立の小学校のごく普通の子だったんですよね。
 進研ゼミの教材なんて平均点98点とか、みんな親に手伝ってもらってるんじゃないかと思うくらい高いですけど、普通に50点とか。
 にもかかわらず、オーストラリアに行くと、まず算数の天才が引っ越してきたっていう感じでざわついていたらしいんですよね。

中野:
 それはいいような悪いような‥‥でも自己肯定感的にはいいですよね。

小島:
 最初IEC(非英語スピーカーのための専用プログラム、インテンシブ・イングリッシュ・センター)で2年目からは地元の公立中学校、小学校に入ったんですけど、「すっごい数学できるやつが来た!」みたいになって、彼らとしてもすごく安心できたみたいです。
 あと、体育も、私たちマットの耳はしまうとか、今日よーいどんだけで60分勉強しますとかって、細かく習うじゃないですか。

 オーストラリアでは「はい走りますよ、どうぞ」という感じで裸足で走るのもありだし、コースアウトしてもこっぴどく叱られないし、けっこうゆるいんですよね。
 そこで、息子たちが走ると、「すっごい足速いやつがやってきた」「めっちゃリレー上手なんだけど」とかってなるんですよ。
 つくづく日本の教育はよくできていると思いました。

■同調圧力や多様性のなさは課題

小島:
 ただそれが行き過ぎてしまっていたり、不必要な同調圧力とか、そういうところは改善の余地があるのではないかと思います。
 例えば、発達障害って日本ではネガティヴなイメージで学習支援も不十分だけど、長男が通っている公立のハイスクールでは発達障害が日本に比べるともっと身近な存在なんですね。
 発達障害を持つ子どもたちは期末試験の時間を15分多くもらえるんですよね。
 1分だけでもいいし、15分フルに使ってもいいし、それで他の人と同じように成績がつくんです。
 そんなの不公平だとか言う親もおらず、「あいつ発達障害持ち」とかからかうこともなく、日常の風景として、「目が悪い子ってメガネかけてるよねー」的な感じでなじんでるんですよね。
 発達障害というのは1つの多様性の例ですけど、日本ではまだ多様な学びに制度がついていけてないように思います。
 色々動きは進んではいますが、まだ浸透していませんし。
 友人が発達障害の子の学習支援をしているんですけど、普通の公立の学校だと、発達障害の子はただ置いて行かれるだけ。
 ところが、彼らに合った方法で教えると、すごくのびたりするんだそうです。
 公教育の標準装備としてそういう配慮があるといいですよね。

■各国の歴史を学ぶことの重要性を実感 

中野:
 アジア人というマイノリティとして過ごすうえでは、お子さんには、どのようなことを伝えていますか?

小島:
 オーストラリアではアジア人は多数派ではないです。
 アジア人の中では中国の人が多くて、インド、ベトナム、タイなどいろいろ。特に中国系、インド系は教育熱心な家庭が多い印象ですね。
 日本人は少ないので、マイノリティの中のマイノリティという感覚です。
 オーストラリアは1972年まで白豪主義という白人優位の国だったんですが、地理的に見ても欧米から遠いですし、かつての宗主国イギリスの勢いもいつまでも頼れないですから、73年以降はアジアと一緒に生きていくという多文化政策に切り替えている。
 多様性を尊重してみんなでやっていきましょうと謳っているので、日常生活であからさまな人種差別はないですけど、先住民との和解の問題や、中国との外交上の問題など、課題はいろいろあります。
 かつて日本が経済成長していた頃、、日豪の交流は盛んでした。
 私の世代では学校の外国語で日本語を習った人も多くて、親日家は多いです。

 息子たちには、歴史をきちんと勉強しなさい、と話しています。
 歴史というのはひとつの事実をAという国から見たとき、Bという国から見たとき、全く違う評価になるので、それも含めて勉強しなさい、と。
 将来あなたが、お友達とか一緒になった人と歴史の話になった時に、もう過去の不幸を繰り返さずにすむような関係を僕とあなたの間では作りましょうという話ができる人になりなさい、と。
 日豪はかつて敵国同士だったし、日中間にも不幸な過去があります。
 中国系の人がたくさんいる豪州で、日本人が生きていく上では歴史を知っておくことはとても大事です。
 何もオーストラリアで生きていくのに限らず、そうですよね。

 あとは「バンブー・シーリング」、竹の天井という言葉について。オーストラリア社会では、アジア人はある一定以上のポジションにはなかなかつけない、というんです。
 だからアジア系の住民は、教育熱心なんでしょうね。
 マイノリティはうんと優秀ではないと競争には勝てない、という事実もあることも息子には言っています。

中野:
 シンガポールのいいなと思うところは、インド系の方も西洋系の方も多く、やはり多様なところ。
 私の息子も最初にはじめて海外に来て街中を歩いていたときは、肌の色自体が違うということに驚き、少し抵抗感がありそうでしたが、ローカルの幼稚園に通ってだんだんこの子はどこから来たとか、この子はシンガポール生まれだけどおばあちゃんはこの国にいるみたいなことを聞くと、世界地図とか歴史にも興味を持ち始めますよね。

小島:
 目に見えるって、意識しやすいからいいですよね。
 見た目や言葉や習慣が違う人を目にする機会が多ければ、多様性を肌で感じやすい。
 でも、実はここにいるみんなも同じように見えてすごく多様なんですよね。
 たまたましゃべっている言葉が同じで、見た目も髪も目の色も似ているから同じだと思ってしまいますけど。
 たぶん多様性に寛容であることって、身近なところでの「違い」に丁寧に向き合うことなのだと思います。

(了)

関連記事:シンガポール「世界一の教育」に対する誤解と現実 PISA1位?競争が激しい?教育移住はありか?

小島慶子さん「帰国子女は自然と英語ができるようになる」は幻想 海外子育て、バイリンガル教育の悩み

中野円佳
ジャーナリスト/東京大学大学院教育学研究科博士課程
1984年生まれ。東京大学教育学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。大企業の財務や経営、厚生労働政策を取材。立命館大学大学院先端総合学術研究科で修士号取得、2015年4月よりフリージャーナリスト、東京大学大学院教育学研究科博士課程。厚労省「働き方の未来2035懇談会」、経産省「競争戦略としてのダイバーシティ経営の在り方に関する検討会」「雇用関係によらない働き方に関する研究会」委員。2017年4月よりシンガポール在住。カエルチカラ言語化塾、海外×キャリア×ママサロン等のオンラインサロンを運営。2児の母。著書に『「育休世代」のジレンマ』(光文社新書)、『上司の「いじり」が許せない』(講談社現代新書)






 





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2019年3月20日水曜日

20 km走:2時間16分45秒 キロ6分50秒  ベアフット20キロ初走り

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【 3月20日 20km  2時間16分45秒 キロ6分50秒 ベアフット・シューズ
5km    34:23      34:23
10km    33:36    1:07:59
15km    33:30    1:41:29
20km    35:16    2:16:45

【 3月13日 15km  1時間39分33秒 キロ6分38秒 ベアフット・シューズ
5km    34:01      34:01
10km    32:50    1:06:51
15km    32:42    1:39:33

【 3月06日 18km  2時間04分12秒 キロ6分56秒 ベアフット・シューズ
5km    35:00      35:00
10km    35:04    1:09:04
15km    34:41    1:43:45
18km    20:27    2:04:12

【 2月27日 17km  1時間59分27秒 キロ7分02秒 ベアフット・シューズ
5km    36:28      36:28
10km    35:44    1:12:12
15km    34:15    1:46:27
17km    13:00    1:59:27

  19kmを目標にするが、ここ2回ほど失敗している。
 原因は陽射しの強さだ。
 今日は青空の拡がる快晴。
 条件は悪い。
 足と身体は可もなく不可もない状態。
 前回は快調そのものであったのに走れなかった。
 今回はどうだろう。
 5kmはまあまあ。
 額は汗びっしょりで、陽射し相変わらずきついが、それでも前回よりはるかに優しい。
 これならいけるかもしれないと思う。
 10kmを超えたところで欲を出して20kmに目標をアップする。
 ベアフットでの最長は前々回の18kmである。
 ということは2kmアップということになる。
 15kmまでたんたんといった。
 でもやはり最後の5kmはきつい。
 この区間のスプリットはキロ7分をわずかではあるが超えた。
 それでも20kmを走り切ることができた。
 ベアフットでの初めての20kmである。
 トータルではキロ6分50秒になる。
 ハードルを一つ越えた。
 今月はあと1回残っている。
 もう一度20kmを走って、いよいよ来月からハーフ距離21kmの練習に入る予定でいる。


  さて前回走り終わった後は、靴底が擦り切れ穴が開く直前にまでなっていた。
 相当にヤバイ状態にあった。



  なんとかならないかなと思いダイソーにいった。
 目についたのが「靴底修理材」という製品。
 「靴の滑り止めステッカー:靴の修理屋さん」とサブタイトルもついている。
 オー、なんとかなりそうである。





 滑り止めなので表面は凸凹になっており、裏は接着剤が塗ってあり紙をはがしてそのまま圧着できる。
 面倒なことはいらないようだ。
 左右用で2枚入っている。
 これうまく使えるのではないだろうかと、さっそく買った。
 「百均品」なので大きな期待もしないが間に合わせにはなるのではなかろうかと思う。 
 カカト部分の補修なので1枚を使い、残りの1枚は予備とする。
  まずは穴あき寸前の地補修からである。
 擦り切れた形状に合わせてカットする。
 うらの紙をはがして圧着する。



● 地補修

 これだけでは剥がれてしまう不安があるので、テーピングテープで止める。
 これで地、というか穴あき補修が完成する。
 実にイージー。

 ステッカーの残りが出る。
 これで上張りを作ればすべり止め(ステッカー)を二重貼りにすることができる。
 二重貼りとなれば耐久力も格段にあがるはずだ。





● 上張り補強

 当然これもテーピングで止める。
 補強完了。
 そこそこに出来上がったのだが、外からみると全く醜い。
 見た目、使えなくなった靴をガムテープで急場しのぎでもたせる、という感じになる。
 

● 醜い補修跡

「ランニングシューズくらい買えよ!」
という声が聞こえそうである。
 まことに「貧乏臭い」。
 しかしここはじっと我慢である。



 これにより靴の中のスペーサーは必要なくなったのでとりはずす。
 よってインソールのみになる。
 てな具合で修理をしたわけである。
 靴底修理材と銘打っているので、そこそこ部材に耐久性がありモチがいいのではないだろうか、そんな希望を持つ。

 さて走ってみる。
 20km走った結果が下記である。
 テープは擦り切れ、上張ステッカーの一部が擦り切れている。


● 20km走った後、左のかかとの摩耗が激しい 計97km

 しかし、張ステッカーは丸々残って靴本体のカカト擦り切れを防止している。
 どういうわけか左カカトの摩耗が非常に激しい。
 半分ほどの大きさになっている。
 前回までの擦り切れ状態なのは右の靴だったはずだが。
 なぜ今度は左になるのだろう。
 これ厚さが2mmある。
 2枚貼ると4mmになる。
 この厚さに関係するのだろうか。
 
 まず破れているテープを少しづつはがしていく。
 やはり張ステッカーはまるで影響なく大丈夫である。
 これなら上張りのすべり止めを新しいのに取り換えればまだ使えそうである。

● 破れたテープを取り外し、残っている上張ステッカーをとりだす

 破れたテープをはがしとって、それがなくなったらその表面をテープ補強する。
 その上に上張ステッカーを置きテーピングする。
 このすべり止めは今回は旧来のものを使い、左右を交換して、左に右の摩耗の少ないすべり止めをつける。
 テープは3枚ほど貼りつけた。
 枚数が多いほど擦れ切れにくいとは思うが、まあこんなところだろう、ということである。
 
●下地をテープする

● 補強完了

●テーピングテープ(スポーツテープ:Sport  Strapping Tape)はウールワースで10ドルで売っている一般品である
 肉弾戦オージーフットボールの国である、バンドエイドの隣に必ず並んでいる

  これで修理が完了したわけである。
 わかったことはカカトの補強さえきちんとできれば、他の部処がダメになるまでベアフットを使い続けることができる、ということである。
 テーピングで少々貧乏臭いが。
 後ろにピタリとつかれて並走しないかぎり、人は靴など見てはいない。
 走者は自分のことで精いっぱいで他人のことなど考えていない。
 他人がどんな靴を履いていようと関係ないものである。
 さて、カカト以外の他の部処が壊れるというか、すり減るのは何時のことで何処であろうか。
 これまで約100キロほど走ったが、写真で見るようにカカト以外は無傷である。
 あと100キロは走れるのではと思ってみたりもしている。
  4月末まで5回このシューズが使えればキッドシューズとの併用は消えたことになる。
 ということはテスラ・ベアフットの耐久性はやりくりできれば200キロということにもなるということになる。

● [テスラ]ベアフット・ランニングシューズ
 左の黒が現在使用中のもの、右の2足は新品

つまり私は「テスラ ベアフット・ランニングシューズの効率良い使い方」を研究していることになる。
 日本にいるランナーたちはこのような実験はしないだろう。
 日本人はまず形から、格好から入っていくことが多い。
 マラソンもそうである。
 こんな貧乏くさい履き方はとても誰も嫌がってしない。
 ベアフットシューズのテストユーザーの仕事を面白がってやっているようなものである。
 でもこれも結構、楽しいものである。
 ただ走るだけでなく、別の目的も加わってくるから。

2019年3月17日日曜日

「ニュージーランドの最も暗い日」:100人近い死傷者

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Record china配信日時:2019年2月20日(水) 7時40分
https://www.recordchina.co.jp/b688685-s0-c30-d0135.html

中国人学生が激減、焦るニュージーランド―中国紙

2019年2月19日、環球時報は、「中国人学生が激減、焦るニュージーランド」と題する記事を掲載。
ニュージーランドに留学する中国人学生の数が激減しており、学校の予算の圧迫と保護者の経済的負担増を招く可能性があるとする現地メディアの報道を伝えた。

記事は、ニュージーランド紙ニュージーランド・ヘラルドの18日付報道を引用。
ニュージーランド最大規模の中等学校であるリンギトト・カレッジの校長が
「今年は71人の中国人留学生を集めたが、その10%が最終的に入学をキャンセルした。
こんなことは前にはなかった」
と語ったことを紹介した。

ニュージーランド国際教育商業協会の関係者によると、昨年同国内の留学生数1万2400人に対して、中国人留学生は約半数の6000人程度だったという。
それが今年は急減し、昨年よりも20~30%、人数にして1200~1800人程度減る見込みとのことだ。
関係者は「本当の原因は分からないが、貿易や通信設備の紛争が影響しているのではないか」とその理由を分析している。

同国の中等学校協会会長は「一部の学校で海外の生徒から集めた収入を教師の援助、学校のスポーツやキャンプなどの活動に用いてきた。中国人留学生が減ってしまえば、課外活動の数も減らさざるを得ない」と語った。

記事によると、同国のヒプキンズ教育相は中国人留学生の減少について、他の留学目的地との競争や、中国国内の教育体系改善、中国にあるインターナショナルスクールの増加といった要素によるものとの見方を示している。



サーチナニュース 019-03-15 15:12
http://news.searchina.net/id/1676737?page=1

中国の富裕層と同じく、海外へ「移住」していく日本のお金持ち・・・
その理由と行き先は?=中国メディア

 日本の情報を紹介する中国のサイト・日本通は14日、海外への「移住」が日本の富裕層のブームになっていると伝えた。
  外務省の「海外在留邦人数調査統計」(平成30年版)によると、生活の本拠を日本から海外へ移した永住者の数は、2017年10月1日時点で「48万4,150人」にのぼる。前年比約3.4%(1万5,722人)の増加で、10年前に比べると約14万人増えている。 

 日本のビジネス誌『PRESIDENT』は、かつて「日本の超富裕層が次々に米国移住するワケ」において、富裕層を長年取材してきたジャーナリストが、増加している海外永住者について、「富裕層の人がかなり含まれていると見ていいでしょう」と指摘し、「日本は、今や中国と並ぶ富裕層の輸出大国になっています」と述べていることを紹介した。

 中国メディア・日本通の記事は、日本が「生活レベルはもちろん、医療・衛生などさまざまな面で世界トップレベル」であるにもかかわらず、移住ブームが起こっているのはなぜなのか、と疑問を提示。
 その主な理由として、富裕層の所得税や相続税の負担が重く、税率がさらに上がっていることや、2015年から1億円以上の有価証券を持つ資産家が海外移住すると「出国税」が課せられるようになったこと、2018年からOECD(経済協力開発機構)加盟国間で金融機関の「口座情報」が交換されるようになったことなどを挙げた。

 それでは、富裕層はどこに移住しているのだろうか? 
 日本通の記事は、日本の富裕層が選ぶ移住先の条件として、
 第一に、「相続税がないか、非常に少ない」こと、
 第二に、「プライバシーを守る権利が重視されている」こと、
 第三に、「移住先の生活レベル・衛生・医療などの状況が日本と同じか近い」こと、
 第四に、「日本との距離が遠すぎない」こと
を挙げている。
 そして、資産10億円以上の場合の移住先ベスト3は、
1」:アメリカ、
2」:ニュージーランド、
3」:シンガポール
であると紹介した。
 それ以外に、マレーシアや香港も人気の移住先であり、香港で永住権を取得した日本人はすでに3,000名に達したという。
 富裕層の海外移住を食い止めるのは、日本にとっても中国にとっても難しい課題のようだ。



BBCニュース 2019年03月16日
https://www.bbc.com/japanese/47593652

ニュージーランド銃撃の容疑者、出廷 49人死亡、48人負傷


●殺人罪で訴追されクライストチャーチ地裁に初出廷したブレントン・タラント容疑者(16日、ニュージーランド・クライストチャーチ)

 ニュージーランド・クライストチャーチで49人が死亡し、48人が負傷したモスク(イスラム教礼拝所)銃撃事件の主犯として逮捕・訴追された男が16日朝、クライストチャーチ地裁に出廷した。
 オーストラリア国籍のブレントン・タラント容疑者(28)は、留置所の白いシャツを着て手錠をして法廷に立った。
 発言せず、罪状認否をしないまま勾留が決まった。
 4月5日に再出廷する。
 容疑者は今のところ、殺人容疑1件で訴追されているが、今後さらに容疑は増える見通し。

 ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は16日に記者会見し、タラント容疑者が銃砲所持免許と共に銃を5丁所持していたと説明し、「この国の銃規制法は変わる」と規制強化の方針を示した。
 デイヴィッド・パーカー司法長官は、政府として半自動小銃の禁止を検討すると述べた。
 首相によると、使用された銃は改造されていたもようで、容疑者の車両には大量の武器があったため、容疑者は「攻撃をさらに続けるつもりだったと推測できる」という。
 他に2人が勾留されている。
 事件当日には計4人が拘束されたが、その内1人は無関係と判断された。
 勾留されている3人はいずれも、犯罪歴がない。

 死亡した49人の1人はダウード・ナビさん(71)だと、遺族が明らかにした。
 ナビさんは1980年代後半にアフガニスタンからニュージーランドに移住したという。
 息子のオマールさんはAFP通信に対し、父親はニュージーランドを「まるで楽園」と呼んでいたと話した。
 他の犠牲者の身元はまだ公表されていない。

 銃撃事件では計48人が負傷した。
 中には、2歳と13歳の男の子も含まれる。
 クライストチャーチ病院のグレッグ・ロバートソン外科部長は、集中治療室で手当てを受けている負傷者のうち11人が重体だと明らかにした。
 バングラデシュ、インド、インドネシアの各政府はいずれも、自国民が事件で死亡したほか、行方不明になっていると発表した。
 クライストチャーチのリアン・ダルジール市長は16日、事件を「吐き気のする」「テロ行為」と呼び、被害者との連帯を強調した。

■「ニュージーランドの最も暗い日のひとつ」 2つのモスク襲撃

 「私たちは新しくこの街に来た人たちを歓迎しました。
 この人たちは友人で、隣人です」、
 「ひとつになって支援したい」
と市長は記者団に話した。
 市役所など行政庁舎では「当面」、旗を追悼の半旗で掲げる予定という。
 クライストチャーチ市内では厳戒態勢が続き、ニュージーランド全土のモスクは閉鎖している。

 最新国勢調査によると、ニュージーランドの人口425万人のうち、イスラム教徒は1.1%を占める。
 ニュージーランドは1990年代以降、様々な紛争地から難民を受け入れるようになり、イスラム教徒の数が急増した。


■事件の推移

 事件の最初の通報は15日午後1時40分(日本時間午前9時40分)ごろ、クライストチャーチ中心部にあるアルヌール・モスクで金曜の礼拝中に銃撃があったというものだった。
 銃撃犯が玄関に乗りつけ、自分を出迎えた人を射殺して中に入り、約5分間にわたりモスク内の信者たちに発砲を続けたという。
 銃撃犯は頭につけたカメラで撮影した動画をライブ配信し、自分はブレントン・タラントだと名乗っていた。
 映像では男が、相手が男性か女性か子供かを問わず、無差別に撃ち続ける様子が映っている。


●「ブレントン・タラント」を名乗るアカウントが銃撃の様子をソーシャルメディアで生中継した

 窓から逃げ出して助かったというモロッコ出身のヌール・タヴィスさんは、地元紙ニュージーランド・ヘラルドに対して、「みんな走っていて、いきなり次々と倒れ始めた」と話した。
 誰かが窓を割るのを見て「自分もそうした(中略)そこから逃げるのが一番安全だった」とも述べた。
 タヴィスさんの友人の妻は死亡したという。
 「銃声を聞いて彼女は夫の無事を確かめに行き、そこで撃たれた。夫は無事だった」
 アルヌール・モスクを襲った後、銃撃犯は約5キロ離れた近郊リンウッドのモスクへ車で移動し、そこでも銃撃を続けたとされる。
 目撃者の1人によると、信者の1人が男から銃を奪い、男は外で待機していた車両に走って逃げたという。

 ニュージーランド・クライストチャーチで70人以上が死傷したモスク銃撃事件の後、市内で警察が逮捕している映像がソーシャルメディアに投稿された
 警察はタラント容疑者を含め15日の内に4人を拘束したが、逮捕の状況は明らかになっていない。
 警察によると、2カ所のモスクで複数の銃器を押収したほか、1人の容疑者所有の車両から複数の即席爆発装置を発見したという。
 銃撃開始前には、「ブレントン・タラント」を名乗るオーストラリア人の白人男性が、攻撃を2年前から計画していたとする長文の犯行声明をフェイスブックに掲載していた。
 声明は激しい反イスラム感情や白人至上主義、移民排斥感情をむきだしにしていた。
 男は、2017年に欧州を訪れて目にした状況に怒りを覚えたため、今回の銃撃を計画し始めたと書いている。
 犯行声明の題名は「The Great Replacement(偉大なる置き換え)」で、フランス発のこの表現は欧州で移民排斥過激主義者の合言葉になっている。
 こうした表現を使う排斥主義者たちの主張は主に、「欧州人」とその文化が移民流入で「置き換え」られており、各国の移民受け入れ政策は「白人虐殺」だというもので、イスラム教徒が主な恐怖や排斥の対象になっている。
 犯行声明の中で男は、イスラム過激勢力「イスラム国」の支持者がスウェーデンで行ったトラック攻撃や、フランスで穏健派のエマニュエル・マクロン氏が大統領に当選したこと、フランスの人種多様性などを強く非難している。
 ニュージーランド・ヘラルドによると、犯行の10分前までにアーダーン首相を含む70人にの文書が送りつけられていたという。

 犯人が被害者に発砲しながら生中継したらしい動画も、フェイスブックに掲載された。
 フェイスブックはこの動画を削除した。

 容疑者の車内で再生されている音楽は、1992~95年のボスニア戦争でセルビア国家主義の民兵組織が行進曲として使ったもので、民族虐殺や戦争犯罪で有罪となったラドヴァン・カラジッチ受刑者を称賛している。


●容疑者のものと思われる銃器

 容疑者のものと思われる銃には、イスラム教徒や移民の殺害で有罪になった男たちの名前が書かれていた。
 そのほか、イギリスで起きた重大な児童虐待事件の場所を指す「ロザーサムのために」という言葉や、欧州諸国とオスマントルコ帝国の歴史上の戦いを意味する言葉などが書かれていた。
 ツイッターも同じ人物のものと見られるアカウントを凍結した。

■首相は銃規制強化を約束

 主犯として逮捕されたタラント容疑者について、アーダーン首相は記者団に「世界中を旅して回り、ニュージーランドにも時々滞在していた」と話した。
「長期滞在者とは言えない」と首相は述べたが、容疑者の名前は正式に特定しなかった。
 治安当局が極右過激主義者の捜査を強化していたものの、「殺人容疑で訴追された人物は、過激主義の要注意人物として情報当局は警察の捜査対象になっていなかった」と首相は述べた。
 アーダーン首相はさらに、「容疑者は銃砲所持免許を持っていた。これは2017年11月に取得したものと聞いている」と説明し、銃規制法の強化を約束した。

★:ニュージーランドでは、16歳から合法的に銃を所持できる。
 軍隊式の半自動小銃の場合は18歳から所持できる。

 銃の所持には必ず免許が必要だが、ほとんどの銃器は個別に登録する必要がない。
 ニュージーランドはこの点で異例だ。
 免許取得には、犯罪歴や病歴のチェックに合格する必要がある。
 精神病や家庭内暴力も審査対象になる。
 いったん免許を取得すると、購入できる銃器の数には制限がない。

■「テロ攻撃としか呼びようがない」

 首相は15日夜の記者会見で、事件は「テロ攻撃としか呼びようがない」と述べ、銃撃犯を「暴力的な過激右派テロリスト」と呼んだ。
 さらにその上で、「このような極端で前代未聞の暴力行為はニュージーランドにあってはならない」と非難した。
 アーダーン首相は、
 「クライストチャーチは、被害者の人たちの地元でした。
 多くの人にとっては、生まれた場所ではなかったかもしれない。
 多くの人は、わざわざニュージーランドを選んだのです。
 積極的にここにやってきて、ここの一員になった。
 多くの人はここが安全だから、この地に来たのです。
 自分の文化や宗教を自由に実践できる場所なので」
と説明した。

 首相はさらに、銃撃犯がニュージーランドを選んだのは、「ここが憎悪や分断にとって安全な場所だからではない」と強調。
 「私たちが選ばれたのは、まさに私たちが憎悪や分断を受け入れないからです」
と述べ、ニュージーランドが攻撃されたのは「多様性と優しさと思いやり」のためで、「私たちの価値観を共有する人にとっての安住の地、避難先を必要とする人にとっての避難場所だからです。
 私たちのこういう価値観を、揺らがせることはできませんし、私たちの価値観が揺らぐことはありません。それは保証します」
と力説した。

(英語記事 Christchurch shootings: Attack suspect Brenton Tarrant appears in court)


ニューズウイーク 2019年04月06日(土)楊海英
https://www.newsweekjapan.jp/youkaiei/2019/04/nz.php

トルコ大統領の怒りの裏にある、知られざるトルコとNZの歴史問題

●トルコ上陸作戦を行うアンザックの兵士(1915年4月) PHILIP SCHULLERーTHE AGEーFAIRFAX MEDIA/GETTY IMAGES

<「連合国」史観、白人至上主義思想、そして中国
......第1次大戦の激戦からモスク襲撃事件へとつながる点と線>

 3月15日、ニュージーランドのクライストチャーチでオーストラリア人ブレントン・タラントによる銃乱射事件が発生した。
 死亡した50人のほとんどがモスク(イスラム礼拝所)にいたムスリムだったため、イスラム世界のリーダーを自任するトルコのエルドアン大統領は18日、ニュージーランドとオーストラリアを激しく非難。
 両国が反発する事態となっている。
 「チャナッカレの戦いで、あなたたちの祖父は歩いて、あるいは棺桶で帰国した。
 また同じことをすれば、あなたたちの祖父のように棺桶で帰すことになるだろう」

 エルドアンが言及した「チャナッカレの戦い」は、第一次大戦の連合国側では「ガリポリの戦い」と呼ばれる。
 トルコ北西部チャナッカレはダーダネルス海峡に面し、エーゲ海からマルマラ海へ通ずる要衝だ。
 1915年4月25日、イギリスの作戦下、連合国軍が敵国オスマン帝国の要塞を占領しようと進軍し、オスマン軍の犠牲は死傷者約16万人に上った。
 だがムスタファ・ケマル大佐の果敢な抵抗に遭い、作戦は失敗に終わった。
 オーストラリア・ニュージーランド軍団(アンザック)も3万5000人以上の死傷者を出し、多くの兵士が棺桶で帰国の途に就いた。
 英連邦に属する両国にとって初めての本格的な海外派兵だっただけに、名誉ある軍功を勝ち取ろうとしていた。
 大敗は想定外だったが、今の国際社会では戦勝国としての連合国史観が主流のためだろうか。
 両国では毎年4月25日は「アンザック・デー」として、大々的な祝日となっている。
 筆者は17年にオーストラリアのキャンベラでこの行事を視察し、死傷数と戦功との「落差」について深く考えさせられた。
 一方、エルドアンやトルコにとって、ニュージーランドの銃乱射テロは「チャナッカレの戦い」から変わらない、西洋からイスラム世界に対する理不尽な暴力と映ったようだ。

■「多様性なき国」に共鳴

 そうした見方の背景には、チャナッカレ以後のトルコの歴史がある。
 英雄ケマルは大佐か高官(パシャ)に昇進。
 23年にはオスマン帝国を倒して共和国を建設し、「建国の父(アタチュルク)」の地位を得た。
 だが国は英連邦軍に勝ちながら、「ヨーロッパの病人」と呼ばれた弱い立場を逆転できなかった。
 しかもトルコはイスラム教国であるため、どんなにEU加盟交渉をしてもヨーロッパと肩を並べることさえできない。
 イスラム信仰を捨ててまで「ヨーロッパ人」になる発想がなく、オスマン帝国の再興を夢見るエルドアンからすれば、チャナッカレ以来の差別は続いている。

 その点で、テロ犯タラントが73ページにも及ぶ声明文の中で、中国の全体主義思想を称賛していたことは注目に値する。
 エルドアンは2月に、「ウイグル人弾圧は人類の恥」と中国によるイスラム敵視政策に注意を促したばかり。
 事実、タラントは中国共産党政権によるウイグル人弾圧の報道を知り、「多様性なき国家」中国に共鳴するに至ったと指摘されている。
 ニュージーランドのテロを受けて、中国共産党系のプロパガンダ紙「環球時報」幹部はネット上で、「過激派のテロ行為を事前に抑え込んでいる」と、改めて新疆ウイグル自治区での強制収容を正当化している。

 ニュージーランドのテロ事件は私たちに2つのメッセージを示唆している。
1」:第1に、イスラム世界に対する差別と偏見の根は深いことだ。
 それはともすれば、西洋諸国を「正義」と見なす連合国的な歴史観とも連動している。
2」:第2に、暴力に正当性が与えられている背景には、中国の存在が無視できないという点だ。
 中国の少数民族弾圧という暴力は国内にとどまらない。
 今回タラントが声明で称賛したように、中国の手法は各国の独裁者たちに加え、確実に個々のテロリストにも「輸入」されるようになってきたのだ。

<本誌2019年04月09日号掲載>






 



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2019年3月13日水曜日

15 km走:1時間39分33秒 キロ6分38秒  ベアフット擦り切れはじめる

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【 3月13日 15km  1時間39分33秒 キロ6分38秒 ベアフット・シューズ
5km    34:01      34:01
10km    32:50    1:06:51
15km    32:42    1:39:33

【 3月06日 18km  2時間04分12秒 キロ6分56秒 ベアフット・シューズ
5km    35:00      35:00
10km    35:04    1:09:04
15km    34:41    1:43:45
18km    20:27    2:04:12


  予報によればこのところ気温が高く、平年より10度くらい上がっているという。
 しまった扇風機を取り出し、夜は窓を半開し、扇風機をつけっぱなしで寝ている。
 前回は19kmの予定が18kmで終わってしまったので、今日は19kmを目指すがこの陽気ではあまり期待できない。
 昨日、体調不良だったので今日はダメだろうと思っていたが、なんのその足も体も絶好調である。
 5kmで34分である。
 34分そこそこというのはひさしぶりのタイムである。
 なにしろ足が軽い。
 5キロをすぎると朝陽がまぶしくなる。
 額は汗でまみれ、ときどきぬぐう。
 シャツはびっしょりである。
 やはり10kmをすぎると朝陽は熱を帯びてきつくなる。
 さらに悪いことに、帽子を忘れてきてしまった。
 陽射しがまともにふりそそぎ、目に入ってくる。
 15kmに切り替える。
 帽子があったら、17kmでも十分行かれると思うが間違いはあるものだ。
 その分、ラストの5キロはベアフットでのキロ6分半(32分30秒)をねらったのだがダメであった。


   さて、今日もベアフットで走ったのだが。
  もし今日20km走ったら踵は擦り切れるのではないかと予想していた。
 


● 77km 擦り切れ状態にはいる

 そこで、底ゴムとインソールの間にスペーサーを入れて、インソールを保護する細工をした。
 擦り切れて穴があいてもインソールが直接地面を擦ることにならないようにという考えでである。



● 底貼りとインソールの間にスペーサーをいれる

 使ったのは履き古したサンダルのゴムの甲表(鼻緒)である。
 甲表を切り取り、カカトの形状にカットして、それをテーピングテープでシューズの底に止めた。
 その上にインソールをいれて抑える、という段取りである。
 


● 古いサンダルのゴムの甲表をカットして使う

 実をいうとやってはみたが、こんな状態で長い距離走れるのかどうかまったく見通しはなかった。
 まあ、当然のことだろう。
 うまくいくことを期待する方がおかしい。
 いくらテープで止めているといっても走っているとどうしてもズレてきて、甲表の位置がおかしくなってきて、走れなくなるだろうと思っていた。
 ダメになったら途中で外してしまえばいいと考える。。
 言い換えればヤリクリ・小細工を弄してどこまで走れるかの実験である。
 信じられないことにこれが結構うまくいったのである。

 スペーサーといっても柔らかいゴムである。
 穴が開いてからこれが擦り切れるまで2回分40kmとみている。
 穴がどれほどの大きさになるのかも判断要素になる。
 大きくなりすぎたら打つ手がなくなる。
 インソールはその目的上柔らかいゴムなのですぐに擦り切れる。
 ということはベアフット・シューズに126キロ(ハーフ距離で6回)ほどを期待しているということになる。
 すべては実験でわかるだろうというこだ。
 なを今日はこのスペーサーは単なる踵のクッション機能にしかなっていない。
 余談を言えば、ベアフットは10kmを超える長距離ではカカトからの衝撃が大きいためジワジワと体をむしばむ。
 体が慣れてくればいいのだが、それまではインソールやクッションをカカト・フクラハギ保護のための緩衝材として使用した方がベターのように思える。
 充分に足と身体が出来てきたら、取り除けばいいだろう。
    
 ベアフットのストックはあと2足で、うち1足は本番用で、本番のGCハーフを含めて4回の使用を予定している。
 もう1足は最低5回100kmは使いたい。
 とすると、この2足で5月半ばから7月7日の本番まで使うことになる。
 ということは5月前半までのあと8回をこの使用中のベアフットとキッドシューズでやりくりすることになる。
 ベアフットを履きつぶしたら、キッドシューズで走ることになるが、もし実験で150km(ハーフ距離で7回)くらい使えることが分かったら、2足目のシューズは5月初めから6月半ばまでとなるので、キッドシューズは3回の使用になるのだが。
 さてどうか。

 最大の問題はベアフットシューズの衝撃の大きさに耐えられ足を本番までに作ることができるかということである。
 走れるような気候になってくると、スピードは上がってくる。
 それに合わせて足にかかる負荷も加速度的に大きくなってくるだろう。
 特に本番での負荷は時に想像を超える。
 一昨年のキッドシューズでの苦い経験がある。
 15キロ過ぎに左右のフクラハギがびんびんになり、歩くような感じでのゴールだった。
 本番直前の2カ月はベアフットのみで走り、出来るだけ長くベアフットに足を慣らさせたいと思う。
 ヤリクリが試される。






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2019年3月6日水曜日

なぜオーストラリアは日本に焦点を絞って反捕鯨なのか

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日本、IWC脱退へ


 


3/7(木) 11:51配信 PHP Online 衆知(Voice)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190307-00010000-voice-pol

鯨を“殺し続ける”反捕鯨国アメリカの実態

 日本政府は昨年12月26日、鯨資源の管理を担うIWC(国際捕鯨委員会)からの脱退と1988年以来となる商業捕鯨再開を表明した。
 今年7月から、日本近海の排他的経済水域内(200海里)において商業捕鯨を再開する予定である。

 八木景子氏は2015年、和歌山県太地町のイルカ漁を批判した『ザ・コーヴ』(2009年、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞)の反証として『ビハインド・ザ・コーヴ 捕鯨問題の謎に迫る』を発表し、大きな話題を呼んだ。
 捕鯨をめぐる政治の裏側を取材した八木監督は今回、政府の決断をどう評価したのか。
 さらにIWCという国際組織の実態について聞いた。

※本稿は『Voice』3月号、八木景子氏の「反捕鯨プロパガンダに屈するな」を一部抜粋したものです。
聞き手:編集部

■反捕鯨国からも評価された作品

――八木監督の『ビハインド・ザ・コーヴ』は、日本の豊かな捕鯨文化を伝え、反捕鯨の環境保護団体への取材も敢行することで、運動の実態を浮き彫りにしました。
 作品に込めた思いについて教えてください。

【八木】:
 本作を撮ろうと思ったきっかけは、2014年3月に国際司法裁判所が日本の調査捕鯨の中止を命じた、と報じられたことです。
 日本の鯨文化がなくなってしまうのではないか、という危機感を覚えると同時に、捕鯨の歴史や文化が国内外で正しく伝わっていない、と感じました。
 そこで、イルカの追い込み漁を行なっている和歌山県太地町に4カ月間滞在しながら、取材・撮影を行ないました。
 制作と配給に掛けた800万円はいずれも自費で、なぜあれほど捕鯨問題にのめり込めたのか、自分でも不思議です(笑)。

――その甲斐あって2015年の公開以降、同作は世界中で注目を集めています。

【八木】:
 2018年にはロンドン国際映画制作者祭で長編ドキュメンタリー最優秀監督賞、ニューヨーク国際映画制作者祭で審査員特別賞を受賞するなど、反捕鯨国と思われていたイギリスやアメリカの映画祭でも幸い、高評価をいただきました。
 ロンドンの同映画祭では、パッション(熱意)とバランス(調和)がある、映画の構成が良い、という3つの評価をいただき、ニューヨークの同映画祭では「これまで知らなかった捕鯨に関する歴史的背景を伝え、教育的な側面もある」とのことでした。
 審査員は反捕鯨の人ばかりでしたが、ある意味でフラットに見てもらえたと思います。
 本作が日本の捕鯨を世界に理解してもらう1つの契機になったとすれば、嬉しい限りですね。

■科学的議論が通用しないIWCの実態

――IWCからの脱退を決めた日本政府の決断をどのように受け止めましたか。

【八木】:
 政府の決定は当然で、むしろ遅すぎたのではないか、と思います。
 メディアでも報じられているとおり、IWC脱退の決断については、安倍晋三首相と二階俊博・自民党幹事長の力が大きい。
 安倍首相の地元である山口県下関市は「近代捕鯨発祥の地」として知られます。
 また、和歌山県太地町は二階幹事長の選挙地盤です。
 『ビハインド・ザ・コーヴ』が2015年にモントリオール世界映画祭に正式出品されたことを受けて、自民党本部で上映された際、二階幹事長には隣の席で一緒に鑑賞していただきました。
 同じく和歌山県が地盤で捕鯨議連メンバーの鶴保庸介議員も、入院中に2回、自民党本部で1回、計3回も観たとのことでした。

――脱退の経緯をあらためてお聞かせください。

【八木】:
 IWCが1982年に「商業捕鯨」のモラトリアム(一時停止)を決定して以降、日本は87年から鯨のデータ収集のために南極海や北大西洋で「調査捕鯨」を開始する一方で、翌年に商業捕鯨を停止しました。
 その後、30年にわたり日本が科学的データをもとに商業捕鯨の再開を訴え続けても、いっこうに提案は聞き入れられません。
 たとえばIWCの科学委員会は
 「鯨資源包括的評価の結果、南氷洋のミンククジラは76万頭と認め、現在の管理方式に基づけば、百年間に毎年最低2000頭から4000頭を捕獲することが資源に何の問題も及ぼさず可能である」
とすでに公表しています。
 しかし、日本がこの実証結果をもとに商業捕鯨の再開を求めても、反捕鯨国はいっさい取り合わずに「鯨そのものがエコの象徴」と言い続ける。
 日本がIWC分担金の最大の負担国として毎年、約2000万円を支払ってきたにもかかわらず、「自然保護に逆行する捕鯨は時代遅れ」というイデオロギーによって声を封じられてきたのです。
 IWCは本来、「世界の鯨類資源を保存管理し、貴重な海の幸を将来にわたって利用を可能とすることを目的として」(国際捕鯨取締条約=ICRWより)発足した組織です。
 ところが、実際は「利用」の側面はなかったかのように無視され、鯨の保護のみが強調される組織に変質してしまった。
 たとえば昨年9月、ブラジル・フロリアノポリスで開催されたIWC総会で、日本は以下の提案をしました。

(1)関連小委員会でコンセンサス合意が得られた措置について、総会の可決要件を緩和(現行の4分の3から過半数に引き下げ)
(2)資源が豊富な鯨種に限り、商業捕鯨のための捕獲枠設定を規定

 しかし、反捕鯨国は
 「先住民生存捕鯨と商業捕鯨とは異なるものであり、商業捕鯨につながるいかなる提案も認めない」
 「IWCは保護のみを目的に『進化』しており、『持続的捕鯨委員会』の設立やモラトリアムの一部解除はいっさい認められない」
 「このように重要な提案について短期間で結論を出すことは、手続き上問題がある」
として、日本の提案を粉砕しました。
 議決の結果、アメリカやオーストラリア、EU(欧州連合)加盟国などの反捕鯨国による反対41票、棄権2票(韓国、ロシア)、賛成は太平洋やカリブ海の島嶼国など27票のみでした。
 鯨類の保護・持続的利用の両立と、立場の異なる加盟国との共存を訴える日本の立場について、反捕鯨国は「商業捕鯨を認めるいかなる提案も認めない」と強硬に反対したのです。

■鯨を“殺す”米軍のソナー音

――捕鯨を産業とする国と反捕鯨国とのあいだには、認識の埋めがたい隔たりが存在する。

【八木】:
  ところがその反捕鯨国のアメリカやイギリスが、じつはプラスチック廃棄や重油流出による環境汚染や商業船の騒音によって、鯨やイルカを苦しめ、死に至らせている事実はクローズアップされません。
 とりわけ深刻なのが、アメリカ海軍の軍事演習などで発せられる大音響のソナー音です。
 低周波の音源から480km離れた地点でも140デシベル(ヘビーメタルのライブ並み、大型の鯨の動作に影響を及ぼすとされる水準の100倍以上とされる)の大音量で、中周波ソナーはさらに広く使われています。
 最近、ニュースで話題になる浜辺に打ち上げられた鯨の死因について、ソナー音が原因ではないか、といわれています。
 多数の鯨やイルカがソナーを浴びて方向感覚を失い、脳内出血を起こして沿岸に座礁しているという。

 当の米海軍も2013年9月、ソナー音によって
300頭以上の鯨やイルカが死に、
重傷を負うものが1万頭以上、
異常行動を起こす個体に至っては2000万頭に上る
ことを認めています。

――2000万頭以上の海洋哺乳類を危険に晒すほうが、捕鯨よりよほど問題に思えてしまいます……。

【八木】:
 しかし、米海軍はソナー音が海洋哺乳類に与える害について認めながらも、演習を中止することはありませんでした。
 カリフォルニア地裁は同年、ソナー音の危険性を訴えた環境活動家の主張を受け入れる判決を下したものの、演習の許可基準を再検討するよう求めるにとどめました。
 アメリカは捕鯨国を糾弾する一方、大量の鯨をいまでも殺し続けているともいえるのです。

八木景子(映画監督)




映画『ビハインド・ザ・コーヴ~捕鯨問題の謎に迫る~』予告編


『ビハインド・ザ・コーヴ』捕鯨問題の謎に迫った映画をアメリカで配給・上映支援プロジェクト



人民網日本語版配信日時:2019年4月2日(火) 21時30分
https://www.recordchina.co.jp/b699687-s10-c20-d0035.html

30年続いた南極海での「調査捕鯨」終了、
日本が商業捕鯨再開へ―中国メディア

南極海で2018年度の「調査捕鯨」終了させた日本の船団が3月31日に日本に帰国した。
日本政府は国際捕鯨委員会(IWC)から脱退することを発表しているため、約30年間続けてきた南極海での「調査捕鯨」はこれで幕を閉じることになる。
中国新聞網が伝えた。

日本の水産庁は、IWCから脱退した日本は、7月から日本の領海と排他的経済水域(EEZ)での商業捕鯨を再開する計画で、南極海における国際協同鯨類目視調査は継続するとしている。

提供/人民網日本語版・編集KN)



人民網日本語版配信日時:2019年7月2日(火) 16時20分
https://www.recordchina.co.jp/b726341-s10-c30-d0035.html

日本がIWC脱退 「商業捕鯨」の背後で何を考えているのか

 6月30日、日本は国際捕鯨委員会(IWC)から正式に脱退し、南極と太平洋北部における「調査目的」での捕鯨活動を停止した。
 7月1月には商業捕鯨を再開するという。
 中国新聞網が伝えた。

▽:捕鯨は日本の「文化遺産」? 

 世界最大の捕鯨国である日本が、なんとしてでも捕鯨の権利を守り抜こうとする最大の理由として挙げるのは、クジラを捕獲し、クジラの肉を食べるのが日本の伝統文化であり、4千年も昔の縄文時代にさかのぼる保護すべき文化遺産だからということだ。
 しかしこれは必ずしもすべての真相ではない。
 海洋学者のティロ・マアクさんは、「古代に日本人がクジラの肉を食べていたとしても、ごく限られた上層の人だけで、庶民の口には入らなかった。だから飲食の伝統だとはまったくいえない。おまけに遠い南極海での捕鯨行為はここ数十年の間に始まったことで、古い歴史的な根拠は何もない」と話す。

 日本が挙げるもう1つの理由は、一定の回復期間を経て、一部のクジラは数が増え、すでに絶滅の危機には瀕していないので、それを捕獲しても生態系への影響はないということだ。
 しかし実際の状況をみると、捕鯨活動の多くはすでに停止したものの、海洋の生態環境の悪化と人類の活動の影響、クジラ類の長い生長期間などにより、クジラの数が回復するには非常に長い時間がかかる。
 シロナガスクジラ、イワシクジラ、ナガスクジラなどは、数十年間にわたり厳しく保護されてきたが、未だに絶滅の危機から脱せていない。
 また日本は絶滅危惧種のクジラは捕獲しないとしているが、実際の捕鯨プロセスでは、誤って捕獲するケースがたびたびみられる。
 より懸念されるのは、英紙「ガーディアン」の報道によれば、2018年の南氷洋の夏の捕鯨シーズンに、日本は捕鯨船を2隻しか出動させなかったにもかかわらず、ミンククジラ333頭を捕獲し、そのうち妊娠中の母クジラが122頭がいたほか、子どものクジラも114頭に上ったことだ。
 ミンククジラの妊娠期間は10カ月で、1回の出産で生むのは1頭だ。
 このペースで捕鯨活動が続けば、一度は絶命の危機から脱したミンククジラは再び危機に瀕することになる。
 文化的な理由や環境に関する理由のほか、捕鯨支持派の人々は捕鯨は水産資源の保護につながると奇妙なロジックを持っている。
 「クジラ類が食べる魚は人類の漁獲量の5倍にあたるので、クジラの数を制限する必要がある。そうしなければクジラが他の魚類の生存を脅かし、人類から食物を奪うことになる」と述べる日本の政府当局者がいる。

▽:「商業捕鯨」の背後で何を考えているのか? 

 分析によると、日本が捕鯨にこだわる主な原因は経済、文化、政治など多方面にわたる。
 まず、捕鯨を禁止すると失業問題を引き起こす可能性があるという。
 捕鯨産業では約10万人が働いて生活しており、捕鯨が取り締まりの対象になれば、捕鯨が行われる地方では失業、企業の倒産、財政収入の減少といった危機が確実に起こるという。
 しかしデータをみると、捕鯨が実際にもたらす経済効果はそれほど大きくない。
 日本人は第二次世界大戦後、食糧が不足したためクジラの肉を大規模に食用していたが、今の日本ではこうしたニーズと市場が大幅に縮小した。
 また捕鯨を行う企業は政府からの補助金を受けて、なんとか経営を維持しているというところが多い。
 よって経済的要因は商業捕鯨再開の主要因ではないといえる。
 一部の日本人にとって、文化的な自尊心がより重要である。 
 メディアの論考によれば、日本の一部の人からみると、欧米諸国が日本の捕鯨を批判するのは、自国の文化的観念を日本に押しつけることにほかならないという。
 こうした人々によって、「反捕鯨勢力」の主張を受け入れるかどうかが、「日本の伝統文化が西側と妥協しなければならないのかどうか」という違う次元の話にすり替わっている。 
 海洋資源への依存度の高い島国の日本にとって、一度捕鯨をやめれば、日本の漁業政策と漁業の未来を保障することが難しくなるため、捕鯨は権力闘争のように見えてくる。
 それだけではない。英BBC放送が紹介した日本の研究者・佐久間順子さんによると、「日本がなかなか捕鯨を停止できないのは、政治と大いに関係がある」という。
 報道によれば、日本の捕鯨には政府が関わっており、巨大な官僚構造があり、研究予算や年間計画、キャリアアップの道、年金や保障がある。農業、林業、漁業、牧畜業に従事する人は政権与党の自民党にとって重要な票田であるため、自民党がその利益を保護するのは当然のことだという。



人民網日本語版配信日時:2019年7月4日(木) 18時40分
https://www.recordchina.co.jp/b727170-s10-c20-d0035.html

商業捕鯨を再開した日本、
失敗するに決まっている?

 7月1日、日本は正式に商業捕鯨を再開した。
 捕鯨船8隻が北海道の釧路港と山口県の下関港を相次いで出発し、日本の領海と排他的経済水域(EEZ)内での操業に向かった。
 同日午後にはミンククジラ2頭が捕獲され、港で水揚げされた後、作業員により解体された。
 4日に市場に出されるという。
 中国新聞網が伝えた。

 釧路港で終日情報収集していた日本小型捕鯨協会の貝良文会長は、「商業捕鯨が復活した初日に捕獲できた。31年も待った甲斐があった」と述べた。
 国際捕鯨委員会(IWC)は1948年に発足し、日本は51年に加盟した。
 82年にIWCが商業捕鯨の一時停止(モラトリアム)を決議すると、日本は解除を訴え続けてきた。
 日本は88年に商業捕鯨の停止を余儀なくされたが、「科学的調査」の名目で「調査捕鯨」を続けてきた。
 2018年末から19年春にかけて、日本の調査捕鯨は南極海域だけでミンククジラ333頭を捕獲した。
 IWCを脱退して今後は調査捕鯨を続けることができなくなったため、このほど商業捕鯨を再開したが、
 商業捕鯨の通年のクジラ肉供給量は調査捕鯨を下回り、水産庁は20年以降は捕獲可能な頭数を383頭と定める。

 日本の共同通信社の指摘によると、日本政府はIWC脱退後の海外からの厳しい批判を恐れて、一般の魚類よりも厳格な捕獲枠を設定し、どの種類のクジラも資源量の1%以下という持続可能な捕獲枠を設定した。
 日本は「100年間捕獲を続けても資源に悪影響はない頭数だ」としている。

▽商業捕鯨の再開に多方面から批判の声 

 日本の商業捕鯨再開に対し、外部から非常に激しい批判の声が上がっている。
 英紙「タイムズ」や英BBC放送を含む多くのメディアが6月29日、日本が国際社会の批判を無視して、捕鯨船を大海に乗り出したことを批判したと同時に、日本の捕鯨の持続性に疑問を投げかけた。
 IWC本部がある英国では同日、日本の捕鯨再開に抗議するデモが行われた。
 参加者は「日本は恥を知れ」とのプラカードを掲げ、「クジラを救え」と叫びながら行進した。
 日本はこれまでずっと「伝統」を捕鯨再開の理由にしてきたが、日本紙「日本経済新聞」の論説によれば、日本国内でも捕鯨再開を支持する声は小さいという。
 日本の業界関係者の多くが懸念するのは、過去31年の間に、クジラ肉は大衆が食べたい食品ではなくなっており、「伝統食」の復活というのは疑わしいということだ。
 また国際的に非難を浴びる中で、日本のイメージが悪化し、捕鯨を行う都市の観光産業が打撃を受けるのではないかとの懸念もある。
 ここ数年、商業捕鯨に対する国際社会の各界からの批判は、日本の国家イメージと観光産業にマイナス影響を与えている。
 日本以外の捕鯨国のノルウェーやアイスランドなどは、捕鯨への支援を徐々に削減している。
 IWCのまとめた統計によれば、17-18年のアイスランドの捕獲頭数は17頭しかなく、捕獲枠の378頭を大きく下回り、ノルウェーも432頭で捕獲枠の1278頭を遥かに下回っていた。
 AP通信はさらに踏み込んで、「日本人も生態環境ツアーの方が捕鯨よりずっとよい選択肢だと考えるようになってきた」と伝えた。

 これまでずっと捕鯨に反対してきた人からみると、クジラ肉に対する市場のニーズが減少し、動物愛護の考え方が変化してきた時代背景の中、日本が31年ぶりに商業捕鯨を再開したことは、「失敗するに決まっている行動」だという。



現代ビジネス 2019.07.05 松岡 久蔵ジャーナリスト
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65701

「商業捕鯨再開」欧米の日本バッシングはなぜ盛り上がらなかったのか
そもそも、捕鯨を取り巻く状況は厳しい

 今月、商業捕鯨が約31年ぶりに再開された。
 懸念されていた国際社会からの批判は、日本政府の周到な根回しにより最小限に抑えられたが、問題は鯨肉の需要があるかどうかだ。
 かつてのような消費量は到底見込めない上、むしろ今後の業界では、これまでのように、捕鯨再開に取り組む自民議員の力を借りて補助金を受け取ることも難しくなる。
 皮肉なことに、商業捕鯨の再開によって、捕鯨業界の真価が厳しく問われることになるのだ。

■「無風の船出」ではあったが…

 7月1日、捕鯨基地のある北海道釧路市と山口県下関市で捕鯨船の出港式が開かれた。
 商業捕鯨には、
1」:下関港を出発して、領海と排他的経済水域(EEZ)内の沖合で数ヵ月間操業する母船式捕鯨と、
2」:釧路市や宮城県石巻市などを拠点に日帰りで操業する沿岸捕鯨
二つの方式があり、それぞれの船が操業を開始した。
 水産庁が同日発表した捕獲枠は、年内の捕獲上限を227頭、来年以降は383頭とする計画だ。
 ニタリクジラやミンククジラなど、いずれも「推定される資源量の1%未満」を基準に算出している。
 ただ、これまで行っていた調査捕鯨では、南極海で333頭、北西太平洋で304頭、計600頭以上を年間で捕獲していただけに、半分以下になる。
 同庁によると、「100年間捕獲を継続しても資源に悪影響を与えないとIWC科学委員会が認めた、極めて保守的な基準」という。
 追加船舶の増強もなく、淡々と再開された商業捕鯨だが、危惧されていた日本に対する国際的批判は、ごく一部の欧米メディアで取り上げられたのみで「ほぼ無風」の船出となった。

 1日の両出港式にはオーストラリアなどから複数の海外メディアも取材に駆けつけたが、取り上げた記事は少なかった。
 その背景に、捕鯨問題自体が国際的関心を失いつつあること、また日本政府による周到な根回しがあったことについては、以前の記事(「安倍首相が『商業捕鯨再開』のために豪首相を説得した30分間」)ですでに報じた。
 6月28、29日に大阪市で開かれた20カ国・地域(G20)首脳会議が直前にあったため、捕獲枠の発表をぎりぎりまで伏せていたことも功を奏したようだ。

■消費量はかつての「約80分の1」

 ついに再開にこぎ着けた商業捕鯨だが、多くの国民は、「いまさらクジラを捕っても、需要がないのではないか?」という疑問を抱いていることだろう。
 これまでも、調査捕鯨に税金を投入することに対して「無駄遣い」と批判する声は決して小さくなかった。
 水産庁の資料などによると、国内の2017年度の鯨肉消費量は約3000トンで、最盛期の1962年度の約23万トンに比べ、約80分の1にまで激減している。
 30代以下の若年層は、食べたこともないという人が大半だ。
 現在では、捕鯨文化のある下関市や和歌山県太地町などを除けば、専門店などでしか提供されていない。
 これまで、調査捕鯨で捕れた鯨肉は、調査主体である日本鯨類研究所(鯨研)が販売委託した共同販売(株)が、加工業者や卸売業者へ売る形式をとってきた。
 しかし現在、鯨肉は「在庫過剰」の状態になっているという。
 ある水産庁OBはこう指摘する。
 「調査捕鯨では毎年決まった量の頭数を捕獲するため、鯨肉の供給量自体は一定でした。
 消費が追いつかず、在庫過剰になるのは当然のこと。
 今でも、共同販売が保有している鯨肉在庫量は『極秘中の極秘』です。
 業者からは足下を見られかねないし、反捕鯨団体からも『こんなに余っているなんて、調査捕鯨は必要あるのか』と突き上げられかねませんからね。
 ステーキや刺身にして食べられる赤身肉は比較的早く売れるのですが、問題は『白手もの』と呼ばれる皮などの部分。
 これは味噌汁などにして食べるのですが、捕鯨文化が根付いた地方でないと馴染みがないので、はけにくい。
 これが在庫を増やしているのです。
 自民党捕鯨議員連盟の議員の中には、『自衛隊に食べさせればいい』とか『給食で復活させればいい』ということを言う人がいますが、自衛隊に『余った食材を処理させる』なんてことをすれば、まずバッシングを受けるでしょうし、給食にクジラを出すにはコストがかかる。
 今回の商業捕鯨再開にあたって、年内の捕獲枠が少なめに設定されたのは、調査捕鯨で余った鯨肉を先になるべく処分したいからだ、というのが業界での見方です」

■「給食で使う」のも簡単ではない

 調査捕鯨では乱数表を使って捕獲する鯨を決めるため、クジラを性別や大きさで選んで捕獲することはできない。
 漁場も選べず、割高なコストを支払ってきた。
 一方の商業捕鯨は、捕獲対象のクジラを自由に選べるため、効率は上がり、価格は下がるとされる。
 実際、業者側はどう考えているのだろうか?
 九州地方の老舗鯨肉加工・卸売業者はこう話す。
 「基本的には、捕鯨文化が根付いた地方で細々と続いていく産業になると思います。
 大規模商業捕鯨が始まったのは戦後の食糧難の時代で、その当時は『クジラ御殿』が建つほど我々の取扱量も多かった。
 しかし、それ以前の捕鯨はあくまで各地域に根ざしたものでしたから、これでようやく時代が一周して、昔の姿に戻ったと冷静に捉えている業者が多いのです。
 給食については、釧路や下関、太地などならまだしも、全国的には難しいでしょう。
 よく鯨肉には独特の臭みがあると言われますが、給食で使うとなると、どうしても水揚げの後に何回も冷凍・解凍されるため、鮮度が悪くなってしまう。
 子供たちに無理に食べさせれば、むしろクジラ嫌いを増やすことにつながりかねないとも感じています」

■スーパーも取り扱いに慎重

 かつてのように全国的に消費を拡大するのは無理としても、産業として採算が合うようにするには、新たな販路の開拓が欠かせない。
 鯨研は販路拡大を目指し、4月からノルウェーの捕鯨企業の日本法人ミクロブストジャパンに新たに販売を委託し、飲食店向けのネット販売を始めた。
 このことについて専門紙記者はこう解説する。
 「いまさらネット販売か、と思うかもしれませんが、鯨肉の閉じられた商流の中では、新規参入はほぼ不可能でした。
 卸売・加工業者への連絡手段は電話とFAXしかないという状況で、長野など内陸部で扱おうと思っても不可能だった、という事情があります。
 そのようなローテクで、鯨肉の販売が増えるはずもありません。
 今回、販売委託先となったノルウェー企業の日本法人社長は元鯨研社員。
 といっても天下りではなく、鯨研の保守的な雰囲気が合わず、販路開拓と鯨肉食の普及を目指して独立したようです。
 むしろ、そういうやる気のある社員が、外へ飛び出さなければ活動できないところに鯨研の体質が反映されているともいえる。
 果たして今後、どれだけ伸ばせるか」
 さらに、いまのところはスーパーをはじめ大手流通各社も、反捕鯨団体からの抗議を恐れて鯨肉の取り扱いには慎重な姿勢を取っている。
 販売拡大の前途は多難といえそうだ。

■捕鯨議連から業者への不満
 昨年末の政府によるIWC脱退決定までに、自民党捕鯨議連による長年の働きかけがあったこと、また同議連が動物愛護を主張する欧米諸国に対抗してきた経緯は、筆者の以前の記事でも詳報している(「もう脱退しかないのか?日本が窮地に陥った『国際捕鯨委員会』の内幕」「国際捕鯨委員会脱退を日本政府が決めるまでの全深層」)。
 だが、「悲願」を実現した今になって、議連内部では捕鯨業界に対する不満が出始めているという。
 議連幹部がこう解説する。
 「年明け頃から『調査捕鯨の時のような税金のサポートがなくなってしまうと、十分な供給責任を果たせる自信がない』と弱気なことを言う捕鯨業者が出始めて、辟易する幹部も出てきている。
 『障壁がなくなったのだから、後は民間でやってくれ』というやり方ができないとなると、サンマやマグロのような他の魚種の業者に対して、説明がつかない。
 『なぜ、売れもしないクジラだけがいつまでも特別扱いなのか?』と、不満が噴出する事態にもなりかねません。
 一番の『重石』は我々がどかしたわけだから、そこから先は業者が自分たちでやってほしいのですが」
 また、今後いつまで商業捕鯨が続くかについては、全国紙社会部記者がこう指摘する。
 「太地町のある和歌山県出身の二階俊博幹事長がいなくなれば、一気にトーンダウンするでしょうね。
 二階氏は商業捕鯨再開をライフワークにしてきましたが、若い議員はもうそこまで捕鯨に熱心ではない。
 水産庁も2、3年は補助金を出すでしょうが、そこから先は望み薄でしょう」

■結局、捕鯨問題とは何だったのか

 クジラは20世紀以降、国際政治の波にもっとも翻弄された動物といえる。
 欧米と日本の食文化の差異、人種差別、環境運動の高まり、米ソ冷戦など様々な要素が複雑に絡み合い、政治的な争点となった。
 実際にIWCでも、日本の商業捕鯨を停止させるために、アメリカなどがEU諸国をIWCに突如引き入れて反捕鯨陣営の票をかさ増しし、日本もそれに対抗してアフリカ諸国などを捕鯨賛成陣営に引き入れるといった攻防があった。
 このとき日本が味方に引き入れた国には、見返りとして政府開発援助(ODA)をはじめ様々な便宜が図られたことは公然の秘密となっている。
 自民党捕鯨議連幹部によると、今回のIWC脱退騒動絡みでも、日本に協力したラテンアメリカ諸国において、鯨肉加工施設を数億円規模で建設するといった施策が決定しているという。
 和牛受精卵やイチゴ種苗の海外流出が大きく取りざたされたことを見ても、食文化にかかわる問題は容易にナショナリズムへ接続する性質がある。
 世界中で、いや日本でもさほど食べられているわけではない鯨肉をめぐり、反捕鯨国と捕鯨国との間で馬鹿馬鹿しいほどのエネルギーを使った対立が繰り広げられてきた。
 しかしいまや、日本の地位低下や人々の環境問題に対する関心の変化により、捕鯨に対する関心は国際的にも下火になり、「過去の問題」となりつつある。
 捕鯨をめぐる様々な騒動で、もっとも振り回されたのは、伝統的に地元で捕鯨を営んできた漁師であり地域住民だろう。
 反捕鯨団体による時に暴力的な活動の標的となり、映像に撮られて世界中に「野蛮な民族」として晒され、理不尽な思いを味わったことは想像に難くない。
 一方で日本の新聞・テレビなどマスコミも、「捕鯨は日本の文化」と過剰にナショナリズムをあおるか、「捕鯨を再開すれば国際社会から批判を受ける」と孤立論を展開するか、という紋切り型の報道ばかり。
 反捕鯨国の真のモチベーションや、税金頼みの捕鯨産業が抱える構造的問題といった論点に切り込むことはほぼなかった。
 令和の日本にとって、捕鯨問題は振り返るべき「教訓」の塊であると言うこともできるだろう。
 それを持ち越さないためには、まずは客観的事実と向き合うことが不可欠だ。
 イデオロギー闘争の具となりがちな捕鯨という領域にこそ、なおさら冷静な報道と分析が必要ではないか。


Record china配信日時:2019年6月23日(日) 17時30分
https://www.recordchina.co.jp/b722797-s0-c30-d0058.html

年間2000頭のクジラの死を放置する韓国、
日本の捕鯨再開にも「抗議は難しい」=韓国ネット「恥ずかしい」

  2019年6月21日、韓国・京郷新聞は「年間2000頭の鯨の死を放置している韓国、日本の乱獲にも抗議は難しい」と題する記事を掲載した。
 記事によると、韓国国会で19日に行われた討論会「韓国内の海洋哺乳類の保護および不法・未報告・未規制(IUU)漁業根絶案と米国の海洋哺乳類保護法改正への対応の論議」で、国際環境団体である環境正義財団のキム・ハンミン運動家は
 「国際捕鯨委員会(IWC)に韓国が報告した2014年の鯨類混獲(漁獲対象ではない魚類を意図せずに獲ること)数は1835頭だが、これは他の10カ国の平均である19頭に比べて非常に高い水準」と説明し、
 「韓国では混獲した鯨を売って食べられることが原因の1つ」と指摘した。

 同日の討論会は、米国が2015年8月に海洋哺乳類保護法を改正し、2022年から海洋哺乳類混獲リスクのある方法で漁獲した水産物の輸入を禁止することに対応すると共に、韓国内の海洋哺乳類を保護する方法を模索するため開催された。
 韓国では確認されているだけでも年間約2000頭の鯨類が混獲により犠牲となっているが、特に網を使用する漁法は混獲の発生率が高く、こうした方法で漁獲された水産物は対米輸出が不可能になる上、今後は欧州輸出にも影響を及ぼす可能性があるという。
 韓国では捕鯨が禁止されているが、混獲・座礁した鯨肉の販売や流通は禁止されていないため、鯨の移動ルートを調査し、意図的な混獲で収入を上げている漁民もいるという。
 特に韓国の海に残る唯一のヒゲ鯨であるミンク鯨は「海のロト」とも呼ばれているという。
 また、討論会では日本政府が7月からIWCを脱退し、捕鯨を再開することも韓国内の鯨類の保全に悪影響を及ぼすと指摘された。
 しかし記事は「混獲された鯨の販売を許可している韓国の実情を考えると、日本の鯨乱獲に抗議することは難しい」と指摘している。
 そのため討論会に参加した専門家や市民団体の多くが
 「混獲された鯨肉の流通を禁止したり、段階的に縮小したりするべき」との意見に賛同していたという。

 これについて、韓国国立水産科学院鯨研究センターのキム・ヒョンウ博士は「鯨の保全のためには実態の把握が最も必要だが、人員と予算の問題で難しい状況」と説明した。
 韓国政府関係者は「先月訪韓した米国立海洋大気庁関係者が『韓国政府は対米輸出だけを気にかけているが、米政府が気にしているのは水産物ではなく、海洋哺乳類をどう保護するかという点だ』と皮肉を言っていた」とし、「韓国政府は対米輸出の減少を最小化させると共に、哺乳類の混獲を減らすため学会、市民団体、水産業界と協力していく」と述べたという。

 これに、韓国のネットユーザーからは
 「他に食べるものはいくらでもあるのにまだ鯨を食べるの?」
 「流通を禁止すればいい。鯨が自らやって来て網に引っかかるケースが1800を超えるなんて常識的におかしい」
 「網に引っかかる鯨が他の国の約100倍?恥ずかしい」
 「鯨の通る道はだいたい決まっていて、漁民らのほとんどがその道を知っている」
 「日本の捕鯨を批判している場合じゃなかった。急いで対策を講じるべきだ」
などと訴える声が寄せられている。

 一方で
 「死んだ鯨を販売できなければ、ただ海に捨てることになる。それもどうかと思う」
 「急に禁止にしたら漁民たちも困るだろう。数を決めて獲れるようにしたら?」
との声も見られた。



カンガルーの年間駆除枠780万頭
実際駆除数140万頭
オーストラリアは偽善国家?


注)音声のみ





 
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