
● google画像から
我が人生を大づかみに分けてみると、3つになるだろう。
生まれ育った「昭和の時代」
オーストラリアを軸とした「平成の時代」
そして明日から始まる「令和の時代」。
平成元年は節目として人生に大きくかかわっている。
昭和64年は1月7日で終わり、平成元年は1月8日から始まった。
この年(1989年)の4月に育ち住み慣れた土地を離れ郊外に引っ越している。
永住権の取得とか不動産の購入とか、あるいは日本での生活の整理とかいったオーストラリア移住へのもろもろの準備に入るためである。
疎開地からの引っ越しは別にして物心ついた小学校入学前あたりからこの年まで住み続けた土地を離れたことになる。
それが昭和の終了であり平成の始まりとなる。
まさに人生の大きな区切りが元号の変更とともに訪れている。
そして四年後の平成5年4月(1993年)に移住を実行する。
それから26年と少々、この地で生活をすることになったわけである。
よって平成の30年間はオーストラリアとの関わり合いの中で過ごした日々になるといっていい。
私にとって少なくとも昭和よりは安穏の時代として過ごさせてもらったと思う。
まさに「平成」であった。
平成時代を否定的に論じる人が多い昨今だが、私にとって平成は最高の時代だった、といっていいだろう。
そのせいか平成を悪くいう人には無性に腹が立ってくる。
時代よりも国が違うということの方が大きいかもしれないが。最後の区分の時代に入ることになる。
七十を半ばに近くなると、生きることにさほど興味がなくなる。
生にしがみつくことに、どちらかというと軽蔑まで覚えてくる。
いかに充実した形で死すか、に意識のウエイトがかかってくる。
「令和」より「零和」になる。
「和して零になる」といったところであろうか。
「ゼロになる」、すなわち終焉の時になる。
よって令和は「残された時」になる。
平均寿命というのは女性は87歳で男性は81歳だそうである。
ということは「死に時」は女性は80歳代である。
男性は「70歳代」になる。
一般的には80歳を越えての死は「ご長命で」と言われる。
また60歳代での死は「お若いのに」と表現される。
中間の「七十歳代が死にどき」ということになる。
つまり言いたいことは
「必ず来るであろう死との間隔を計りながら、研ぎ澄まされた感覚で、厚みのある残りを過ごしてみたい」
ということである。
それが「零和の時代」の有り様、生き様になる、ということである。
なを「平均寿命」のほかに「健康寿命」というのがあって、男性は72歳、女性は76歳だそうである。
平成をちょっと振り返ってみる。
メデイアが悪く言う平成の大きな事件はバブル崩壊である。
1991年ということである。
平成になってたった2年後のことだからしかたがないのかもしれない。
バブルが崩壊してもそれが形として巷に現れてくるのはタイムラグがあり2年後3年後になる。
そのころ、私はオーストラリアでの生活をスタートさせている。
よって、バブル崩壊による狂乱は日本からのニュースで知ることになるので、肌で味わったことはない。
日本の経済成長は終焉し、いわゆる「失われた10年」「失われた20年」、最近は「失われた30年」とまで言われる時代へと入っていく。
何が「失われた」のかというと「高度成長」が失われた、ということである。
近代経済学は「成長経済学」である。
後進国が中進国へ、中進国が先進国へと発展していく過程の理論を生み出したのが近代経済学である。
なら先進国がさらなる経済発展をしたらどうなるのか。
近代経済学は沈黙する。
なぜなら、それは近代経済学の分野ではないからである。
近代化をトレースする経済学である。
近代化した後は別の経済学の分野になる。
近代経済学は先進国を生み出すまでの学問である。
それ以降はないのである。
近代化後の経済学はまだ生まれていない。
そこで経済学者ああでもない、こうでもない、とアワを飛ばす。
そしてノーベル経済学賞が乱発される。
でもこれが当たらない。
当然のことである。
ベースに古い成長経済学がドーンと居座っているからである。
成長経済学は成長が終わった後の経済を論じる「成熟経済学」へと進まねばならぬのに、あまりにも近代経済学の影響力が強すぎるのである。
バブル処理に追われた「失われた10年」の次に、日本の立て直しに動いたのが小泉純一郎である。
バブル処理とは突き詰めれば不動産バブル処理である。
あらゆる企業が不動産屋をやっていた。
目先の欲に目が眩んでいた。
この負債を返すのに10年余の歳月がかかった。
これはまちがいなく「失われた10年」と言われてしかるべきである。
小泉純一郎がやったことは不動産バブル処理の後の事、すなわち経済・産業の立て直しのための構造改革である。
平成13年から18年の5年間、首相を務める。
彼の口から出た言葉で強く印象に残っているものがある。
曰く『いまは、国民のだれもが我慢の時である』
政治家というのは決して「我慢しろ!」とは言わない。
「私が当選した暁にはバラ色の世界が待っています」
としか言わない。
それが政治家である。
でなければ議席は確保できないことになる。
しかるにこの人、国民に我慢を訴えた稀有な政治家となった。
バブルが崩壊して「一億総不動産屋」が一気にしぼんだ。
企業は本来の持ち分の領域へ戻っていった。
更には事業内容の洗い出して利益拡大を見込めない分野から撤退して、専業業種の絞り込みに入っていく。
事業の構造改革を推し進め、その結果として特に例に出されるのが「白物家電」からの撤退である。
典型的な例は松下電器グループである。
いまのパナソニックである。
ゴールドコーストのロイヤルパインは松下興産の開発物件であったがこれを処分し、さらには主力の家庭電化品からも撤退をはじめた。
代わって消費者向けから企業向けの製品群に切り替えている。
今はこちらが主力となっている。
この構造改革で日本が撤退した後、その穴を埋める形で入ってきたのが韓国のサムスン電子である。
サムスンは労せず「ウハウハ」と旧日本製品のマーケットを手にいれる。
そして曰く「日本の製造業は没落して、失われた時代へ入った」と宣言した。
サムスンは白物家電、スマーとホンそしてメモリー半導体がメインである。
日本はスマートホンを白物家電とみなし、これに傾注することはなかった。
白物家電は最後は人件費の高で価格が決まるモノで、究極は安値戦争へ入っていくという判断をしたからである。
現在、サムスンの白物家電は中国に追い抜かされ、スマートホンも安物メイドインチャイナによって駆逐されつつあり、残るはメモリ半導体だがこれも背後に中国の影が迫ってきている。
サムスンは構造改革を行う時期を持つことはなかった。
このため次の世代に向かっての企業を支えるエンジンになるものが何もない。
儲けに専念したため次世代技術の集積ができなかった。
儲け頭が失速するとき、没落して失われた時代に入り、最後は消えていく企業になるかもしれない。
日本は成長経済から成熟経済へ入っている。
成熟経済とは成長せずとも己が力で回転する経済のことである。
だがこの経済に対する学問的セオリーはまだ出ていない。
成長経済が「所有欲」なら、
成熟経済の背骨は「モノ離れ」である。
「断捨離」とか「低欲望社会」とか言われているものがその形になる。
少なくとも、この2つの現象を的確に包み込める経済学はまだ姿を現していない。
いまだに経済学者とか経済評論家とかジャーナリストは「モノ所有」を経済行動の原動力と見ている。
人口減少が経済を崩壊させる、と言っている。
成熟経済では人口減少はパワーである。
人間パワーを馬力に換算することで成り立っている成長経済学では明日は見えてこない。
平成時代のもう一つの大きな出来事は地震である。
平成7年1月に起きたのが阪神淡路大震災 である。
これは6千4百人を超える死者を出している。
『
●阪神淡路大震災 発生の瞬間
』
このニュースはこちらの報道で知った。
引っ越して1年9カ月目のことである。
日本語のニュースはそれから10日ほど経って新聞やビデオなどが郵便で届き始めてからである。
これではいけないと思い、日本からソニーのFMラジオをとりよせ、午後4時頃にはじまる海外FM放送に耳を傾けることになった。
その後、SBSテレビで朝の5時にNHKの前夜の9時のニュースを放送するようになり、ビデオ録画して朝起きてから楽しみに見るようになった。
その後さらに有料で日本のテレビをみられるシステムもできてきた。
そして、平成23年3月11日にあの1万8千人を越える死者を出した東日本大震災が起こる。
阪神淡路地震から16年後のことである。
この16年間の間にインターネットの普及は目覚ましかった。
デジタルカメラには動画機能が標準装備され、これにより多くの人たちがユーチューブに劇的な一瞬をほぼリアルタイムで配信した。
これにより恐ろしいの一言につきる動画が’インターネットにあふれ出た。
呆然とし、何をか言わんやになる。
ウソだろう、夢だろう、そう思いたくなる数々の惨劇が目の前で展開されたのである。
『
●Tsunami Kesennuma 2011-03-11 (1/2) (2/2) 津波 気仙沼
』
そしてこのリアルな映像は経済成長といった人間の安易は願望を見事に打ち砕いた。
人為ではどうすることもできない自然が厳然とあり、それにより「足る以上のつまらぬモノ」の所有は塵芥であり、不安を生む源泉でしかないという「断捨離」と「低欲望社会」に行きついてしまったわけである。
断捨離は平成22年の流行語になり、低欲望社会は単行本として平成27年に発売された。
平成は最後に人は不要な欲望を求めるべきではない、という諦念を日本民族に刷り込んだ時代であったのかもしれない。
成長経済の終焉を見事に見せてくれたのかもしれない。
知足経済へのゲート下に立っているのかもしれない。
そしてこれに最も貢献したのは、インターネットというリアルタイム装置であったと思う。
平成の大きな出来事として、「失われた時代」と「大震災」の2つを取り上げた。
もし3つなら何が入ってくる?
この問いに、私なら日本の外交姿勢の変換を上げるだろう
このきっかけになったのは、東日本大震災の翌年の平成24年の中国での反日暴動である。
当初は中国政府の扇動で行われた官製デモであったが、日ごとに狂暴化して当局の手に負えなくなり、共産党が抑え込みに動くことになった。
市民が日々のウップンをこの時とばかりに爆発させたのである。
以後、あらゆるデモは規制されてできなくなった。
ただ、軍人のデモだけは例外のようである。
この反日デモで膨大な被害を被った日本政府はこれまでの「お詫びと反省」という外交姿勢を抹消する。
「積極的防衛」というコンセプトに切り替える。
以降、二度とこれまで当たり前に発っせられていた「お詫びと反省」という言葉は使われたことはない。
その前年の東日本大震災での活躍で圧倒的な信頼を勝ち得た自衛隊が、国民の中で市民権を獲得したため、この変更はすんなりと日本国民に受け入れられることとなった。
中国のたゆまぬ軍事拡大、北朝鮮の核実験と日本列島を飛び越えるミサイルの発射、韓国のまるでつじつまの合わない反日姿勢、と日本をとりまく環境は日ごとに危険度が増幅している。
よって、この「積極的防衛」という政府の姿勢に異議を唱える者がいなくなってしまった。
「暴力いけません、暴力は!」と叫んでいた連中は空気を読んで口にチャックをして知らん顔になってしまった。
中国の台湾進攻、尖閣諸島占領、北朝鮮の韓国収奪と懸念材料は多々あるがそれらの根は平成の時代に生まれている。
平成が終わり令和になって、これからどうなるのか、誰にも分らない。
私にとって
『平成は良い時代であった!』
これから世界はさらなる過酷な時代へと入っていくように思える。
火種はゴロゴロとそこいらじゅうに散らばっている。
世界は『冷和』の時代へと向かう
平成を越えるようないい時代がくるとはまったく思えない。
そんな気分になってくるのが昨今の世界の姿である。
【 2019 残りの時、好きにおやり 】
『
ダイヤモンドオンライン 2019.5.3 塚崎公義:久留米大学商学部教授
https://diamond.jp/articles/-/200897
令和の日本が平成初期のバブル当時より豊かである理由
バブル真っ盛りだった平成元年のほうが豊かだった、と思っている人は少なくありませんが、実際には今のほうが日本人の暮らしは豊かになっています。
新しい時代が始まった。
まずは、新しい時代の到来を祝おう。
今回は、読者が明るい気持ちで新時代を祝えるように、明るい内容の寄稿をしたので、これを読んで明るい気分になっていただければ幸いである。
まずは、拙稿を読んで、令和元年の日本経済がバブル最盛期であった平成元年の日本経済より豊かであることを認識しよう。
平成時代の日本経済というと、「長期停滞」のイメージしかないが、それでも経済は成長し、日本人の生活は豊かになったのだ。
■実質GDPは年平均1.3%成長
平成時代というとゼロ成長のイメージが強いが、実際に統計を見てみると、年平均1.3%の成長を見せている。
30年間で4割も実質GDPが増えているわけだ。
一方で、人口はおおむね同水準であるから、1人当たりで見てもGDPは増えていることになる。
つまり、我々の生活は当時より豊かなのである。
当時は、夜中まで飲んで、タクシーがつかまらないのでもう1軒ハシゴした、という経験をした人も多いだろうし、大企業の独身寮には駐車場に高級車が並んでいたし、とにかく皆がぜいたくをしていた印象が強いが、統計を見る限り、今の方が豊かに暮らしているわけだ。
その理由について考えてみよう。
■スマホは当時100万円の機器より素晴らしい
スマートフォンは、今では子どもでも持っているが、バブル期にこれと同じものを買おうとしたら、想像もつかないほどの資金が必要だったはずだ。
そもそも当時は存在しなかった技術も多い。
まず、携帯電話は非常に高価で大きくて重かったので、マスコミの記者が事件現場に取材に行くときに持ち歩く程度の商品だった。
それ以外には持ち歩く人はおらず、自動車に積んで、社長が移動中に通話をするのに使うくらいだったと思う。
カメラとしても、音楽プレーヤーとしても、おそらく当時の高級な機器と同等の性能を今のスマホは持っているだろう。
スマホで遊べるゲームは、当時のゲームよりはるかに質が高い。
そして、当時は一般的な人はまだ使用できていなかったインターネットによって、今では新聞や本などに載っている情報が無料で得られるようになった。
読者は拙稿を無料で読んでいるが、バブル当時であれば市販の雑誌に掲載された拙稿を読むために雑誌を購入する必要があったわけだ。
当時はファックスや郵便を送る必要があったが、今ならメールで済むケースも多い。
このように、技術の進歩によって良いものが安く手に入るようになったので、当時と比べて給料が増えていなくても、豊かに暮らせるようになっているのである。
■道路も鉄道も増えタワマンも建った
道路の建設は、建設された時点のGDPに公共投資として載るが、それ以降は載らない。
したがって、バブルが崩壊してから巨額の公共投資が行われ、多くの道路が造られ、我々はそれらを自由に使えているが、それは上記のGDPの計算には入っていない。
要するに、GDPが増えた分以上に我々は豊かに暮らしている、ということだ。
鉄道網も整備された。
従来であればバスや電車を乗り継がなければ行けなかったところへ、簡単に行けるようになった。
そして、都心のタワーマンションに住んでいる人も多い。
バブル期に最初のタワーマンションが売り出された時は、庶民には全く無縁のものであったが、その後、都心の地価が大幅に値下がりし、タワーマンションの建設技術の進歩もあって、今では庶民でも共働きであれば、手が届くかもしれないところまできている。
■見栄を張らない文化も、実質的な豊かさに
バブル当時は、男性がで無理をして高級乗用車を買って彼女をドライブに連れていき、高級レストランで食事をする、というのが典型的なデートであった。
今ではアパートで2人、コンビニ弁当を食べながらゲームをするのが典型的なデートなのかもしれない。
どちらも幸福度が同じなのだとすれば、同じ給料でも今の方がはるかに豊かに暮らしていることになるだろう。
デート以外のことに給料を使えるのだから。
当時は、新品を買うのが普通だったが、今では中古品を買うことに抵抗を感じない人が多いようだ。
中古品の個人間売買もインターネットにより容易になった。
それによって、安い費用で従来と同様の生活をすることができるようになったわけだ。
これも、以前と同じ給料で以前より豊かに暮らせている一因だろう。
■ネット、スマホなどの「便利さ」も豊かさ
インターネットがなかった時代のことを想像してみよう。
レポートを書く時には図書館へ行って調べ物をする。
レストランを探すには、友人知人にレストランの情報を聞く。
どこかへ行くときには時刻表を見る。
飲み会の日程調整は、メンバー全員に順番に電話をかける。
今ならメールで「全員に返信」を頼めばいいだけなのに。
携帯電話を持てなかった時代を想像してみよう。
待ち合わせに遅れそうでも、相手に連絡する手段がない。
駅の東口と西口の改札でお互いがイライラしながら相手を待ち続けることもあったはずだ。
こうした点から考えても、我々が当時よりはるかに便利な生活をしているとわかる。
当時はお金を出しても買えなかったサービスが安価に手に入るのも「豊かに暮らしている」ことに違いない。
■バブル期より豊さを実感できないのは気分の問題も
このように、日本人の生活はバブル当時よりもはるかに豊かで便利なのだが、それが実感できていないのは、当時を想像できない、忘れてしまったのも大きいだろう。
当時は「インターネットがなくて不便だ」と感じていたわけではないので、当時が不便だったことが記憶として残っていないのだろう。
賃金が上がっていないことも一因かもしれない。
当時より少しだけ安い給料で、当時よりはるかに安く生活できているとしても、豊かになったと感じにくいのかもしれない。
格差が拡大しているといわれている。
平均的な日本人は当時より豊かであったとしても、個々人の生活レベルからすれば上がっているとは感じられない可能性もある。
あるいは、他者との比較で自分を貧しいと感じてしまうケースもあるだろう。
友人がスマホを持っているのに自分だけスマホが買えなかったら、「自分は貧しいから質素に暮らしている」と感じる。
実際にはバブル期の普通の日本人より豊かに暮らしているとしても、だ。
このように、当時より豊かであることを実感できない理由は多数あるようだが、客観的に自分の生活がバブル期より豊かである事実をしっかり認識し、少しでも明るい気分で新しい時代を迎えられれば、素晴らしいことだろう。
』
ということは「死に時」は女性は80歳代である。
男性は「70歳代」になる。
一般的には80歳を越えての死は「ご長命で」と言われる。
また60歳代での死は「お若いのに」と表現される。
中間の「七十歳代が死にどき」ということになる。
つまり言いたいことは
「必ず来るであろう死との間隔を計りながら、研ぎ澄まされた感覚で、厚みのある残りを過ごしてみたい」
ということである。
それが「零和の時代」の有り様、生き様になる、ということである。
なを「平均寿命」のほかに「健康寿命」というのがあって、男性は72歳、女性は76歳だそうである。
平成をちょっと振り返ってみる。
メデイアが悪く言う平成の大きな事件はバブル崩壊である。
1991年ということである。
平成になってたった2年後のことだからしかたがないのかもしれない。
バブルが崩壊してもそれが形として巷に現れてくるのはタイムラグがあり2年後3年後になる。
そのころ、私はオーストラリアでの生活をスタートさせている。
よって、バブル崩壊による狂乱は日本からのニュースで知ることになるので、肌で味わったことはない。
日本の経済成長は終焉し、いわゆる「失われた10年」「失われた20年」、最近は「失われた30年」とまで言われる時代へと入っていく。
何が「失われた」のかというと「高度成長」が失われた、ということである。
近代経済学は「成長経済学」である。
後進国が中進国へ、中進国が先進国へと発展していく過程の理論を生み出したのが近代経済学である。
なら先進国がさらなる経済発展をしたらどうなるのか。
近代経済学は沈黙する。
なぜなら、それは近代経済学の分野ではないからである。
近代化をトレースする経済学である。
近代化した後は別の経済学の分野になる。
近代経済学は先進国を生み出すまでの学問である。
それ以降はないのである。
近代化後の経済学はまだ生まれていない。
そこで経済学者ああでもない、こうでもない、とアワを飛ばす。
そしてノーベル経済学賞が乱発される。
でもこれが当たらない。
当然のことである。
ベースに古い成長経済学がドーンと居座っているからである。
成長経済学は成長が終わった後の経済を論じる「成熟経済学」へと進まねばならぬのに、あまりにも近代経済学の影響力が強すぎるのである。
バブル処理に追われた「失われた10年」の次に、日本の立て直しに動いたのが小泉純一郎である。
バブル処理とは突き詰めれば不動産バブル処理である。
あらゆる企業が不動産屋をやっていた。
目先の欲に目が眩んでいた。
この負債を返すのに10年余の歳月がかかった。
これはまちがいなく「失われた10年」と言われてしかるべきである。
小泉純一郎がやったことは不動産バブル処理の後の事、すなわち経済・産業の立て直しのための構造改革である。
平成13年から18年の5年間、首相を務める。
彼の口から出た言葉で強く印象に残っているものがある。
曰く『いまは、国民のだれもが我慢の時である』
政治家というのは決して「我慢しろ!」とは言わない。
「私が当選した暁にはバラ色の世界が待っています」
としか言わない。
それが政治家である。
でなければ議席は確保できないことになる。
しかるにこの人、国民に我慢を訴えた稀有な政治家となった。
バブルが崩壊して「一億総不動産屋」が一気にしぼんだ。
企業は本来の持ち分の領域へ戻っていった。
更には事業内容の洗い出して利益拡大を見込めない分野から撤退して、専業業種の絞り込みに入っていく。
事業の構造改革を推し進め、その結果として特に例に出されるのが「白物家電」からの撤退である。
典型的な例は松下電器グループである。
いまのパナソニックである。
ゴールドコーストのロイヤルパインは松下興産の開発物件であったがこれを処分し、さらには主力の家庭電化品からも撤退をはじめた。
代わって消費者向けから企業向けの製品群に切り替えている。
今はこちらが主力となっている。
この構造改革で日本が撤退した後、その穴を埋める形で入ってきたのが韓国のサムスン電子である。
サムスンは労せず「ウハウハ」と旧日本製品のマーケットを手にいれる。
そして曰く「日本の製造業は没落して、失われた時代へ入った」と宣言した。
サムスンは白物家電、スマーとホンそしてメモリー半導体がメインである。
日本はスマートホンを白物家電とみなし、これに傾注することはなかった。
白物家電は最後は人件費の高で価格が決まるモノで、究極は安値戦争へ入っていくという判断をしたからである。
現在、サムスンの白物家電は中国に追い抜かされ、スマートホンも安物メイドインチャイナによって駆逐されつつあり、残るはメモリ半導体だがこれも背後に中国の影が迫ってきている。
サムスンは構造改革を行う時期を持つことはなかった。
このため次の世代に向かっての企業を支えるエンジンになるものが何もない。
儲けに専念したため次世代技術の集積ができなかった。
儲け頭が失速するとき、没落して失われた時代に入り、最後は消えていく企業になるかもしれない。
日本は成長経済から成熟経済へ入っている。
成熟経済とは成長せずとも己が力で回転する経済のことである。
だがこの経済に対する学問的セオリーはまだ出ていない。
成長経済が「所有欲」なら、
成熟経済の背骨は「モノ離れ」である。
「断捨離」とか「低欲望社会」とか言われているものがその形になる。
少なくとも、この2つの現象を的確に包み込める経済学はまだ姿を現していない。
いまだに経済学者とか経済評論家とかジャーナリストは「モノ所有」を経済行動の原動力と見ている。
人口減少が経済を崩壊させる、と言っている。
成熟経済では人口減少はパワーである。
人間パワーを馬力に換算することで成り立っている成長経済学では明日は見えてこない。
平成時代のもう一つの大きな出来事は地震である。
平成7年1月に起きたのが阪神淡路大震災 である。
これは6千4百人を超える死者を出している。
『
●阪神淡路大震災 発生の瞬間
』
このニュースはこちらの報道で知った。
引っ越して1年9カ月目のことである。
日本語のニュースはそれから10日ほど経って新聞やビデオなどが郵便で届き始めてからである。
これではいけないと思い、日本からソニーのFMラジオをとりよせ、午後4時頃にはじまる海外FM放送に耳を傾けることになった。
その後、SBSテレビで朝の5時にNHKの前夜の9時のニュースを放送するようになり、ビデオ録画して朝起きてから楽しみに見るようになった。
その後さらに有料で日本のテレビをみられるシステムもできてきた。
そして、平成23年3月11日にあの1万8千人を越える死者を出した東日本大震災が起こる。
阪神淡路地震から16年後のことである。
この16年間の間にインターネットの普及は目覚ましかった。
デジタルカメラには動画機能が標準装備され、これにより多くの人たちがユーチューブに劇的な一瞬をほぼリアルタイムで配信した。
これにより恐ろしいの一言につきる動画が’インターネットにあふれ出た。
呆然とし、何をか言わんやになる。
ウソだろう、夢だろう、そう思いたくなる数々の惨劇が目の前で展開されたのである。
『
●Tsunami Kesennuma 2011-03-11 (1/2) (2/2) 津波 気仙沼
』
そしてこのリアルな映像は経済成長といった人間の安易は願望を見事に打ち砕いた。
人為ではどうすることもできない自然が厳然とあり、それにより「足る以上のつまらぬモノ」の所有は塵芥であり、不安を生む源泉でしかないという「断捨離」と「低欲望社会」に行きついてしまったわけである。
断捨離は平成22年の流行語になり、低欲望社会は単行本として平成27年に発売された。
平成は最後に人は不要な欲望を求めるべきではない、という諦念を日本民族に刷り込んだ時代であったのかもしれない。
成長経済の終焉を見事に見せてくれたのかもしれない。
知足経済へのゲート下に立っているのかもしれない。
そしてこれに最も貢献したのは、インターネットというリアルタイム装置であったと思う。
平成の大きな出来事として、「失われた時代」と「大震災」の2つを取り上げた。
もし3つなら何が入ってくる?
この問いに、私なら日本の外交姿勢の変換を上げるだろう
このきっかけになったのは、東日本大震災の翌年の平成24年の中国での反日暴動である。
当初は中国政府の扇動で行われた官製デモであったが、日ごとに狂暴化して当局の手に負えなくなり、共産党が抑え込みに動くことになった。
市民が日々のウップンをこの時とばかりに爆発させたのである。
以後、あらゆるデモは規制されてできなくなった。
ただ、軍人のデモだけは例外のようである。
この反日デモで膨大な被害を被った日本政府はこれまでの「お詫びと反省」という外交姿勢を抹消する。
「積極的防衛」というコンセプトに切り替える。
以降、二度とこれまで当たり前に発っせられていた「お詫びと反省」という言葉は使われたことはない。
その前年の東日本大震災での活躍で圧倒的な信頼を勝ち得た自衛隊が、国民の中で市民権を獲得したため、この変更はすんなりと日本国民に受け入れられることとなった。
中国のたゆまぬ軍事拡大、北朝鮮の核実験と日本列島を飛び越えるミサイルの発射、韓国のまるでつじつまの合わない反日姿勢、と日本をとりまく環境は日ごとに危険度が増幅している。
よって、この「積極的防衛」という政府の姿勢に異議を唱える者がいなくなってしまった。
「暴力いけません、暴力は!」と叫んでいた連中は空気を読んで口にチャックをして知らん顔になってしまった。
中国の台湾進攻、尖閣諸島占領、北朝鮮の韓国収奪と懸念材料は多々あるがそれらの根は平成の時代に生まれている。
平成が終わり令和になって、これからどうなるのか、誰にも分らない。
私にとって
『平成は良い時代であった!』
これから世界はさらなる過酷な時代へと入っていくように思える。
火種はゴロゴロとそこいらじゅうに散らばっている。
世界は『冷和』の時代へと向かう
平成を越えるようないい時代がくるとはまったく思えない。
そんな気分になってくるのが昨今の世界の姿である。
【 2019 残りの時、好きにおやり 】
【付録】
ダイヤモンドオンライン 2019.5.3 塚崎公義:久留米大学商学部教授
https://diamond.jp/articles/-/200897
令和の日本が平成初期のバブル当時より豊かである理由
バブル真っ盛りだった平成元年のほうが豊かだった、と思っている人は少なくありませんが、実際には今のほうが日本人の暮らしは豊かになっています。
新しい時代が始まった。
まずは、新しい時代の到来を祝おう。
今回は、読者が明るい気持ちで新時代を祝えるように、明るい内容の寄稿をしたので、これを読んで明るい気分になっていただければ幸いである。
まずは、拙稿を読んで、令和元年の日本経済がバブル最盛期であった平成元年の日本経済より豊かであることを認識しよう。
平成時代の日本経済というと、「長期停滞」のイメージしかないが、それでも経済は成長し、日本人の生活は豊かになったのだ。
■実質GDPは年平均1.3%成長
平成時代というとゼロ成長のイメージが強いが、実際に統計を見てみると、年平均1.3%の成長を見せている。
30年間で4割も実質GDPが増えているわけだ。
一方で、人口はおおむね同水準であるから、1人当たりで見てもGDPは増えていることになる。
つまり、我々の生活は当時より豊かなのである。
当時は、夜中まで飲んで、タクシーがつかまらないのでもう1軒ハシゴした、という経験をした人も多いだろうし、大企業の独身寮には駐車場に高級車が並んでいたし、とにかく皆がぜいたくをしていた印象が強いが、統計を見る限り、今の方が豊かに暮らしているわけだ。
その理由について考えてみよう。
■スマホは当時100万円の機器より素晴らしい
スマートフォンは、今では子どもでも持っているが、バブル期にこれと同じものを買おうとしたら、想像もつかないほどの資金が必要だったはずだ。
そもそも当時は存在しなかった技術も多い。
まず、携帯電話は非常に高価で大きくて重かったので、マスコミの記者が事件現場に取材に行くときに持ち歩く程度の商品だった。
それ以外には持ち歩く人はおらず、自動車に積んで、社長が移動中に通話をするのに使うくらいだったと思う。
カメラとしても、音楽プレーヤーとしても、おそらく当時の高級な機器と同等の性能を今のスマホは持っているだろう。
スマホで遊べるゲームは、当時のゲームよりはるかに質が高い。
そして、当時は一般的な人はまだ使用できていなかったインターネットによって、今では新聞や本などに載っている情報が無料で得られるようになった。
読者は拙稿を無料で読んでいるが、バブル当時であれば市販の雑誌に掲載された拙稿を読むために雑誌を購入する必要があったわけだ。
当時はファックスや郵便を送る必要があったが、今ならメールで済むケースも多い。
このように、技術の進歩によって良いものが安く手に入るようになったので、当時と比べて給料が増えていなくても、豊かに暮らせるようになっているのである。
■道路も鉄道も増えタワマンも建った
道路の建設は、建設された時点のGDPに公共投資として載るが、それ以降は載らない。
したがって、バブルが崩壊してから巨額の公共投資が行われ、多くの道路が造られ、我々はそれらを自由に使えているが、それは上記のGDPの計算には入っていない。
要するに、GDPが増えた分以上に我々は豊かに暮らしている、ということだ。
鉄道網も整備された。
従来であればバスや電車を乗り継がなければ行けなかったところへ、簡単に行けるようになった。
そして、都心のタワーマンションに住んでいる人も多い。
バブル期に最初のタワーマンションが売り出された時は、庶民には全く無縁のものであったが、その後、都心の地価が大幅に値下がりし、タワーマンションの建設技術の進歩もあって、今では庶民でも共働きであれば、手が届くかもしれないところまできている。
■見栄を張らない文化も、実質的な豊かさに
バブル当時は、男性がで無理をして高級乗用車を買って彼女をドライブに連れていき、高級レストランで食事をする、というのが典型的なデートであった。
今ではアパートで2人、コンビニ弁当を食べながらゲームをするのが典型的なデートなのかもしれない。
どちらも幸福度が同じなのだとすれば、同じ給料でも今の方がはるかに豊かに暮らしていることになるだろう。
デート以外のことに給料を使えるのだから。
当時は、新品を買うのが普通だったが、今では中古品を買うことに抵抗を感じない人が多いようだ。
中古品の個人間売買もインターネットにより容易になった。
それによって、安い費用で従来と同様の生活をすることができるようになったわけだ。
これも、以前と同じ給料で以前より豊かに暮らせている一因だろう。
■ネット、スマホなどの「便利さ」も豊かさ
インターネットがなかった時代のことを想像してみよう。
レポートを書く時には図書館へ行って調べ物をする。
レストランを探すには、友人知人にレストランの情報を聞く。
どこかへ行くときには時刻表を見る。
飲み会の日程調整は、メンバー全員に順番に電話をかける。
今ならメールで「全員に返信」を頼めばいいだけなのに。
携帯電話を持てなかった時代を想像してみよう。
待ち合わせに遅れそうでも、相手に連絡する手段がない。
駅の東口と西口の改札でお互いがイライラしながら相手を待ち続けることもあったはずだ。
こうした点から考えても、我々が当時よりはるかに便利な生活をしているとわかる。
当時はお金を出しても買えなかったサービスが安価に手に入るのも「豊かに暮らしている」ことに違いない。
■バブル期より豊さを実感できないのは気分の問題も
このように、日本人の生活はバブル当時よりもはるかに豊かで便利なのだが、それが実感できていないのは、当時を想像できない、忘れてしまったのも大きいだろう。
当時は「インターネットがなくて不便だ」と感じていたわけではないので、当時が不便だったことが記憶として残っていないのだろう。
賃金が上がっていないことも一因かもしれない。
当時より少しだけ安い給料で、当時よりはるかに安く生活できているとしても、豊かになったと感じにくいのかもしれない。
格差が拡大しているといわれている。
平均的な日本人は当時より豊かであったとしても、個々人の生活レベルからすれば上がっているとは感じられない可能性もある。
あるいは、他者との比較で自分を貧しいと感じてしまうケースもあるだろう。
友人がスマホを持っているのに自分だけスマホが買えなかったら、「自分は貧しいから質素に暮らしている」と感じる。
実際にはバブル期の普通の日本人より豊かに暮らしているとしても、だ。
このように、当時より豊かであることを実感できない理由は多数あるようだが、客観的に自分の生活がバブル期より豊かである事実をしっかり認識し、少しでも明るい気分で新しい時代を迎えられれば、素晴らしいことだろう。
』
_