元号は「令和」に決まった。
残念なことにあまりにインパクトのない元号である。
まあ「安永」よりかは少しいいかも、といったところである。
ツッコミどころがまるでないといった感じを受ける。
昭和と同じく冷ややかな記号元号であり、意思とか願いとか希望といった人間の想いを文字に載せて託す元号ではない。
どう心に映るかは個人それぞれであるが。
この時期、インパクトのまるでない年号の方が世界情勢を鑑みて穏やかでいいのかもしれない。元号の名称よりも、独自の元号制度を持つというほうがインパクトがある。
イスラムにはイスラム暦(ヒジュラ太陰暦)があり、それ以外では多くは西暦である。
中国も韓国も元号制度は捨ててしまい、今は西暦である。
それに対して日本は独自の元号制度をもっている。
ただやたらシンプルに周囲に合わせることもなく、その国民族の有り様に合わせて制度を持つというのはその分、文化の深さになる。
強いて言えば中国と韓国は文化の根をうしなった、というか根を殺してしまったように思われる。
元号の形が日本という体系をつくりあげて、それが日本民族をまとめ、そして他国には見られぬ変異性をもって世界に向いている。
安易に西暦に統一すべきなどというのは、文化のもつ美しさを自ら廃棄することにもなりかねない。
『
朝日新聞デジタル 2019年4月1日11時58分
https://www.asahi.com/articles/ASM3Z4V6QM3ZUTFK007.html?iref=comtop_8_01?ref=yahoo
新元号は「令和」(れいわ)
万葉集典拠、国書由来は初
【動画】安倍首相が記者会見し、新しい元号について説明した=瀬戸口翼撮影
菅義偉官房長官は1日午前11時40分ごろ、首相官邸で記者会見し、新しい元号は「令和(れいわ)」と発表した。
典拠は奈良時代に完成した日本に現存する最古の歌集「万葉集」。日本で記された国書に由来する元号は確認できる限り初めてとなる。
元号を改める政令は即日公布され、皇太子さまが新天皇に即位する5月1日に施行される。
天皇退位に伴う改元は憲政史上初めて。
1989年1月に始まった「平成」は、残り1カ月で幕を閉じる。
万葉集にある歌の序文「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」(書き下し文)から二文字をとった。
新元号は645年の「大化」から数えて、248番目。
「大化」から「平成」までは、確認されている限り中国の儒教の経典「四書五経」など漢籍を典拠としており、安倍政権の支持基盤である保守派の間には国書由来の元号を期待する声があった。
安倍晋三首相は記者会見して典拠を万葉集とした理由について「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だ」と説明した。
元号の選定手続きは1日午前9時ごろから始まった。
政府の要領に沿って、菅氏は横畠裕介・内閣法制局長官の意見を聴いたうえで、元号の原案として数案を選定した。
午前9時半すぎから、ノーベル賞受賞者の山中伸弥京大教授ら、各界の有識者9人による「元号に関する懇談会」に原案を提示。
元号候補とその典拠、意味などについて説明し、メンバーそれぞれから意見を聴いた。
菅氏は午前10時20分ごろから衆院議長公邸で、大島理森衆院議長ら衆参両院の正副議長の意見を聴取。
その後、全閣僚会議を開き、新元号を記した元号を改める政令を臨時閣議で決定した。
元号を改める政令は天皇陛下の署名・押印、官報掲載を経て、1日中に公布される。
憲法は政令の公布について、天皇が内閣の助言と承認の下で行う国事行為の一つと定めている。
新元号の公表に先立ち首相官邸は、宮内庁を通じて天皇陛下と皇太子さまに閣議決定後に新元号を伝達した。
政府は前回の改元でも、即位直後の天皇に「平成」を事前伝達している。
新しい元号をめぐって政府は、「平成」が始まって間もない時期から、国文、漢文、日本史、東洋史などの学者に元号の考案を水面下で依頼。
今年3月14日付で正式な委嘱手続きをとった。政府は「元号に関する懇談会」に示した原案すべてについて、考案者を記した記録を公文書として残すが、当面は明らかにしない方針だ。
政府は元号について、
▽国民の理想としてふさわしいようなよい意味
▽漢字2字
▽書きやすい
▽読みやすい
▽これまでに元号またはおくり名として用いられたものでない
▽俗用されているものでない(広く一般に使われていない)
――の六つの要件を定めている。
天皇陛下は4月30日に退位。5月1日に皇太子さまが即位し、新元号が始まる。
天皇退位に伴う改元は、光格天皇の退位で「文化」から「文政」に改元された1818年以来、約200年ぶり。
』
4/1(月) 11:52配信 東京商工リサーチ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00010000-biz_shoko-bus_all
新元号に「令和」が決定
社名に漢字「令和」を冠した企業はゼロ
「れいわ」「レイワ」は合計6社
「平成」に代わる新元号は「令和」-。
4月1日午前11時40分過ぎ、政府は5月1日からの新元号を「令和」と公表した。
東京商工リサーチは保有する企業データベース(317万社)で、社名に「令和」を冠した企業(以下、「令和」企業)を調査した。
これによると漢字で「令和」を冠する企業は全国で1社もない(ゼロ)ことがわかった。
ただ、読みが一致するひらがなで「れいわ」を冠する企業は3社、カタカナの「レイワ」は同3社で、計6社だった。
4月をもって幕を閉じる「平成」企業は1270社存在する。
64年まで続いた「昭和」(2640社)のほぼ半数(48.1%)で、平成と昭和は年数の長さに比例した構成比となっている。
一方、「大正」は435社、「明治」は764社だった。
■「平成」企業は平成1桁年代に半数が設立された
「令和」企業が今後増える可能性も
「平成」企業の1270社のうち、設立年別をみると、平成1桁年代(平成元年~同9年)の設立が653社(構成比51.4%)と半数を占めている。
漢字「令和」を冠する企業は現在、全国で1社も存在せず「れいわ」「レイワ」企業は合計6社だが、平成時代を踏襲するとすれば、今後数年間で「令和」企業が加速度的に増加する可能性が高い。
また、会社設立が昭和以前の「平成」企業は、143社あった。
これは元号が平成に変わり、社名を「平成」を冠したものに変えたケース。
今後、新たな時代の幕開けの流れに乗り、心機一転を込めて、令和を冠した社名に変更する企業が増えていくことも予想される。
※ 東京商工リサーチの企業データベース(317万社)から社名に元号(令和、平成、昭和、大正、明治)を含む企業を抽出した。
※ 社名に含まれる元号は、漢字表記の他、かな・カナ・英文表記を含む。
※ 倒産企業や休廃業・解散企業は含まない。
』
4/1(月) 6:16配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190331-00000363-sph-soci
新元号予想一般応募1位の「安永」

政府は4月1日、「平成」に代わる新元号を決定する。
有識者懇談会や全閣僚会議などを経て、菅義偉官房長官(70)が午前11時半ごろに発表する。
続いて安倍晋三首相(64)が正午ごろに記者会見し、談話を公表する。
これまで元号の出典は中国古典から選ぶのが慣例だったが、今回は日本古典(国書)を初めて引用した案を採用するかどうかも焦点の一つ。
NHKや民放各局は特番態勢で臨む。
新元号の予想を一般応募している酒類通販サイト「年号ワイン.com」の最新集計での1位は「安永(あんえい)」だった。
栗原周平代表取締役によると、ここ最近は「永」の字がつく予想が急上昇。
半月前に圏外だった「永光」が4位に躍進しているという。
「新元号に『永』が付くかも」という雰囲気が、日本中に漂っているといえそうだ。
』
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Record china配信日時:2019年4月1日(月) 14時20分
https://www.recordchina.co.jp/b699373-s0-c10-d0135.html
日本の新元号「令和」にまつわる4つの「初」―中国メディア
2019年4月1日、環球網は、日本で新しい元号「令和」が発表されたことについて、過去の改元とは異なる四つの「新しいこと」があったと報じた。
1日午前11時42分、菅官房長官が記者会見で新しい元号の「令和」を発表した。
記事は、645年の「大化」以降、日本の歴史上で248番目の元号であると紹介するとともに、四つの「新しいこと」を伝えている。
★」:一つ目は、日本の憲政史上初めて天皇の生前退位に伴う改元であること。
★」:二つ目は、新天皇が即位する前に今上天皇が新元号の政令に署名を行ったこととした。
「今上天皇の署名についてはこれまでに一世一元の堅持を主張する保守層から激しい批判が出ていたが、改元による種々の不便を考慮したうえで、日本政府が今上天皇の退位1カ月前に新元号を発表することを決めた」
と紹介した。
★」:三つ目は、初めて日本の古典書籍から引用したこと。
記事は、過去247の元号はいずれも「四書五経」など中国の古典書籍を典拠としたものだったとしたうえで、今回日本最古の和歌集「万葉集」から引用された背景について
「従来は中国の古典文化に通じた学者が元号の選定を担当していたが、今回は日本文化、中国文学、日本史学、東洋史学の分野から有識者を集めて案を募った」
と説明している。
★」:そして四つ目は、初めてインターネットで新元号発表の様子が中継されたことを挙げた。
1989年の平成改元時は官房長官の元号発表会見がテレビ中継されたが、今回は時代の流れに合わせてTwツイッターなどSNSの首相官邸公式アカウントを通じてネットでも中継されたことを紹介した。
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4/2(火) 1:30配信 朝日新聞デジタル
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190402-00000003-asahi-pol
新元号、政府提示6案に英弘・広至など
典拠に古事記も

●「令和」の典拠
新元号「令和(れいわ)」を決めるにあたり、政府は1日、六つの原案を選び、有識者による「元号に関する懇談会」などに提示した。
政府は原案の数も含めて公表していないが、「令和」のほか、「英弘(えいこう)」「広至(こうじ)」「万和(ばんな)」「万保(ばんほ)」などがあったことがわかった。
複数の政府関係者が1日夜、朝日新聞の取材に明らかにした。
6案の典拠は国書と漢籍が三つずつで、国書は「令和」の万葉集に加え、日本書紀、古事記だった。
「万和」は、6世紀に中国で成立した全30巻の詩文集「文選(もんぜん)」が典拠。
漢詩研究の第一人者として知られる石川忠久・元二松学舎大学長(86)が政府に提出した13案の一つだったことも判明した。
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Yahooニュース 4/1(月) 18:48 石戸諭 | 記者 / ノンフィクションライター
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidosatoru/20190401-00120614/
新元号「令和」の典拠「梅花の宴」とはどんな宴?
梅から見えてくる中国との結びつき
「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」。
新元号「令和」の典拠となった万葉集の一節だ。
原典を辿ると、これは730年(天平2年)正月13日に開かれた宴の描写であることがわかる。
今の福岡県、大宰府にあった万葉集を代表する歌人、大伴旅人の邸宅であった「梅花の宴」である。
一体、どのような宴だったのか。
太宰府展示館によると、当時、九州全体を司る役所が太宰府にあり、大伴旅人はそのトップとして派遣されてきた「中央官僚」だった。
彼を中心に優れた歌人としても知られた山上憶良ら計32人が集まり、酒に酔い、邸宅に咲き誇った梅の花をめでたという。
「いまでこそ、梅の花は当たり前のように日本に咲いていますが、当時は中国からやってきた流行の最先端とも言うべき花。最先端の文化を象徴する花だったのです」(同館)
太宰府は外交の入り口としての役割も担っていた。
大陸や朝鮮半島からやってきた渡来人も行き交う都市で、海外との文化交流の窓口であり、まさに東アジアの文明のクロスロードだった。
「梅花の宴は、当時の先端文化である中国、漢詩でもめでている梅をテーマに歌を詠もうという宴です。
歌を詠むというのは貴族の教養であり、気持ちを表現するものであり、ときに政治ともつながるものだったのです。
決してどんちゃん騒ぎというものではなかったのです。
梅があるというのは、渡来の文化を知っている、教養を知っているという象徴的な意味合いもあったのではないでしょうか」
「梅花の宴」は先端の流行を意識し、積極的に取り入れた文化的水準の高い宴だったようだ。
石戸諭:記者 / ノンフィクションライター
1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大学法学部を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部。デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍している。2011年3月11日からの歴史を生きる「個人」を記した著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を出版する。デビュー作でありながら読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど各メディアで高い評価を得る。
』
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Record china配信日時:2019年4月1日(月) 23時0分
https://www.recordchina.co.jp/b699389-s0-c30-d0063.html
3年前に「令和」を予想した人が!
中国でも驚きの声
2019年4月1日、「3年前に『新元号は令和』と予想する人がいた」との情報に、中国のネットユーザーが反応を示している。
菅義偉官房長官はこの日午前の記者会見で、平成に続く元号が「令和」に決まったことを発表。
こうした中、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で紹介されたのが
「明治大正昭和平成令和 違和感ないね!」
という2016年7月13日のツイートだ。
この「予言」に対し、中国のネットユーザーは
「本物の予言者だ」
「すごすぎる」
「どうやって当てたの?」
「時間を越えた?こんなの予想できないよ」
「なぜ『違和感ない』って言ったの?」
などのコメントを寄せている。
』
『
Record china配信日時:2019年4月4日(木) 20時40分
https://www.recordchina.co.jp/b700162-s0-c20-d0054.html
「令和」は日本経済の新しい時代を開くことができるか―中国メディア
2019年4月3日、中国メディアの新華網は、「平成に別れ、令和は日本経済の新しい時代を開くことができるか」とする記事を掲載した。
記事はまず、平成の約30年間の日本経済について「苦難に満ち、懸命にもがいた30年間だった」とし、「平成に別れを告げ、令和を迎えるに当たり、日本の経済界は将来への期待に満ちあふれている」とした。
そして、
「平成元年の日本人は夢のようなバブルに魅了され、世界各地で心ゆくまで観光を楽しみ、高級ブランド店を駆け巡っていた。日本の産業界もうぬぼれ、世界から学ぶものはもはや何もないと思っていた。ところが思いもよらないことに、平成元年の夢はわずか1年にすぎなかった」
とし、「失われた20年」と呼ばれる経済の停滞が続いたこと、
「低欲望社会」に突入したことなどを紹介した。
その上で記事は、「だが近年、日本経済はようやく一筋の希望の光を目にするようになった」とし、
「2017年の成長率は1.9%と高く、18年は0.7%と反落したが、7年連続のプラス成長となった。
さらにこの期間の景気拡大局面は戦後最長になったとみられる」
などと紹介した。
そして、「初春令月、気淑風和」に由来する新元号の「令和」について、
「美しい将来に対する日本人の期待が寄せられている」とし、
「日本経済は依然としてデフレや高齢化、巨額の財政赤字などの深刻な問題に直面しているが、日本の産業の多くは長期的な調整を経て躍動を試そうとしている」
「日本はIoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)、ロボット、自動運転、環境事業、医療介護などの分野で強大な競争力を示している」
「日本の経済界は、新元号の始まりに合わせて日本経済の新しい時代を開くことを渇望している」
「昭和時代の経済的奇跡はすでに終わりを迎え、平成時代の景気低迷も終わりつつある。
令和時代には、構造的問題の対策を探し当て、産業構造の調整を完了し、最低賃金と平均賃金が上がり、社会がより平等になることが広く期待されている。
より速い経済の成長を追求するのではなく、よりバランスのとれた社会を追求すること。
これが日本の国民と政策立案者の令和時代における普遍的なビジョンだと言える」
などと論じた。
』
2019.4.6 20:13 ZAKZAK 有本香
https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/190406/plt19040620130009-n1.html
気の毒に思う「令和」ヘイトな人々 あきれる発言
…誕生しなくてよかった“石破総理”
新元号が「令和(れいわ)」に決まって、きょう(4日)で3日がたった。
通信社や全国紙の緊急世論調査では、いずれも国民の約7割が「新元号に好感を持っている」と答えたそうだ。
あえて私見を述べると、素晴らしい元号だと思う。
「れいわ」という音は馥郁(ふくいく=よい香りがただようさま)たる香気のようなものを感じさせ、字面からは清々しさが伝わる。
史上初めて国書、しかも「万葉集」から採ったことも良かったと思う。
とはいっても、実は事前には私は、伝統にならった漢籍典拠がよいのではと思っていたのだが、いざ決まって万葉集からと聞くと不思議と心が躍った。
安倍晋三首相の記者会見での説明にもあったとおり、万葉集は1200年以上前に編纂(へんさん)された日本最古の和歌集である。
その特筆すべき点は、天皇や貴族といった上流階級の人々だけでなく、防人や農民などの庶民の歌も多数収められていることだ。
さらに、安倍首相は言わなかったが、この歌集には遊女など、当時の最下層の人々が詠んだ歌も収められている。
「歌の前には皆平等」という、いわばリベラルな精神が、わが国では1200年以上も前に存在したのだ。
万葉集こそ、わが先人の先進性の証であり、世界に誇ることのできる文化遺産だ。
今回の元号制定は、天皇陛下のご譲位に伴うものであったため、異例づくしであったが、政府の発表の方法にも「異例」や「新しさ」が目立った。
30年前、「平成」の元号発表の折、国民へのリアルタイム伝達の主役はテレビであったものが、今回はSNSに取って代わられた感がある。
今回初めて、政府がツイッターやインスタグラムでの会見ライブ中継を許したため、発表の瞬間は多くの人がスマホの画面に見入っていた。
これが功を奏したのか、私の周囲でも、若い世代が新元号に関心を寄せ、楽しむ姿が目立った。
一方、このお祝いムードに水を差すネガティブな声も当然出ている。
ほとんどが難癖の類と言っていいものだが、それらも3日でほぼ出そろった。
一部野党やワイドショー論客らは、
「令の字が『命令』の意を持つからよろしくない」だの、
「安倍政権の目指す国民の規律や統制の強化がにじみ出ている」(社民党の又市征治党首)だのと、
被害妄想のような批判を展開した。
これはほぼ想定内のことだったが、同じことを自民党の石破茂元幹事長が口にしたのには、あきれ返った。
「令和」に好感を抱く7割に属す一人として、つくづく昨年の総裁選で“石破総理”が誕生しなくてよかったと思っている。
そして、一部の左派人士からは驚きの訴えが出された。
「『天皇の時間』を生きることを強制する元号の使用により、世界史の中の連続する時間から切り離され苦痛を感じている。これは重大な人権侵害であり憲法違反」
だとして裁判で争うそうだ。
某ネット番組で、この訴えを起こした弁護士のお一人と議論する機会を得たが、その中身はここには書くまい。
私は現在、さまざまなツールで世界とつながりながら、一方で日本人としての時間を生きている。
元号によって切り離されて苦痛どころか、楽しさ倍増だ。
そんな自分をつくづく幸せな人間だと思っているからである。
有本香(ありもと・かおり) ジャーナリスト。1962年、奈良市生まれ。東京外国語大学卒業。旅行雑誌の編集長や企業広報を経て独立。国際関係や、日本の政治をテーマに取材・執筆活動を行う。著書・共著に『中国の「日本買収」計画』(ワック)、『リベラルの中国認識が日本を滅ぼす』(産経新聞出版)、『「小池劇場」の真実』(幻冬舎文庫)、『「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史』(産経新聞出版)など多数。
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ニューズウイーク 2019年4月6日(土)J・バークシャー・ミラー(米外交問題評議会研究員)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/04/post-11939.php
平和と国際親善の天皇は去りゆく
Goodbye to Japan's Foreign Relations Emperor

●皇居内の宮中三殿に退位を報告し、新時代を前に一連の儀式がスタートした(3月12日) IMPERIAL HOUSEHOLD AGENCY OF JAPANーREUTERS
<象徴として昭和天皇とは違う道を模索し続け、
平和と友好を追求した今上天皇と安倍政権の「距離感」>
4月30日、日本に歴史的な瞬間が訪れる。
天皇明仁が退位し、翌5月1日に皇太子徳仁が即位するのだ。
天皇の生前退位が行われるのは、天皇が生涯その地位にあり続けるとする制度が導入された明治以降の日本史上では、初めてのことだ。
天皇はまず、2016年8月に異例のビデオメッセージで退位の意向を表明した。
自らの高齢(現在は85歳になった)により、務めを果たすのが困難になることを指摘。
翌年、国会は天皇の退位を可能にする特例法案を決定した。
今年10月に行われる新天皇の即位礼正殿の儀には世界195カ国の元首らが招待される。
彼らは新天皇の即位を祝うとともに、1989年に昭和天皇の逝去に伴い皇太子明仁が天皇に即位して以降の日本が経験した大きな変化にも敬意を表することになる。
天皇が即位した当時、日本経済はアメリカに次ぐ世界第2位。
その経済がピークを過ぎて低迷していった平成の時代もなお、日本人はおおむね豊かであり続け、生活の質は年々高まっていった。
世界最高レベルの平均寿命などがいい例だ。
天皇はその果たすべき役割がまだはっきりとしない時代に即位した。
「即位以来、私は国事行為を行うとともに、日本国憲法下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました」と、16年のビデオメッセージで話している。
天皇が常に、父である昭和天皇とは違う道を模索し続けたことは明らかだ。
第二次大戦中も、また戦後も天皇の座にあった昭和天皇は、日本の戦時中の行為について非難を受けることも多かった。
だが特に戦前と戦中、昭和天皇は神のような存在と見られていた。
戦後、アメリカは「天皇制」を完全に廃止したいと考えた。
その存続を米政府が認めることになったのは、占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーの説得があったからだ。
彼は、日本が士気を取り戻し、国を復興させるには天皇制の維持が欠かせないと主張した。
振り返ってみれば、昭和天皇をその地位にとどめておくことは、その後始まった冷戦の時代においても日本の知識層や指導層の結束を図る上で不可欠だったようだ。
アメリカが日本と合意に達した内容はシンプルだった。
天皇はその地位にとどまっても構わない。
ただし、それには1つ条件があり、天皇が政治に関与しないことを憲法に明記しなければならない、というものだった。
マッカーサーはさらに、天皇との会見という前代未聞の要求までした。
これには皇室の側近たちから、神のごとき存在である天皇に対して何たることかと、猛烈な抗議の声が上がった。
会見では写真撮影も行い、これから天皇の役割が大きく変わることを、日本国民に知らしめようという思惑だった。
■親善と慰霊の旅を続けて
実際、天皇の役割は大きく変わった。
日本は軍人も民間人も含めて300万人の国民の命を奪った戦争に大敗北を喫し、その傷から立ち直れずに揺らいでいた。
そんな日本の国家統合を象徴するのが、天皇の果たすべき新たな役割となった。
天皇が即位する頃には既に戦争の傷の多くは癒え、経済は絶好調だった。
当時、バブル経済はピークを越え、冷戦は終わろうとしていた。
そうした状況は即位間もない天皇にとって追い風となった。
在位中、諸外国との親善に力を入れることができ、その中には第二次大戦で敵として戦った国も多かった。
92年には訪中も果たし、不幸な戦争の歴史に遺憾の意を表した。
中国ではより明確な謝罪を求める声も上がったが、訪中は好意的に受け止められ、以後10年間のおおむね良好な日中関係のお膳立てになった。
天皇は日本の非公式の国際大使という役目に徹した。
09年には皇后と共にアメリカ(ハワイにて第二次大戦などの戦没者が眠る墓地を訪れた)とカナダを訪問。
その後、インド、パラオ、フィリピン、ベトナムも訪れ、親善と慰霊の旅を続けた。
昨年5月には中国の李克強(リー・コーチアン)首相と会見し、日中平和友好条約締結40周年を祝った。
韓国併合でひどく苦しんだ韓国を訪問していないとの批判もあるが、対韓関係の改善に取り組まなかったわけではない。
繰り返し戦時中の出来事に遺憾の意を表明し、90年には訪日した盧泰愚(ノ・テウ)大統領に直々に「痛惜の念」を伝えている。
在位中、活発な国際関係とは対照的に国内では暗い出来事が続いた。
95年の阪神淡路大震災や11年の東日本大震災(合わせて2万人を超える死者が出た)など日本が深刻な自然災害に見舞われるたび、天皇は皇室の伝統を破って国民との距離を縮め、彼らに希望と勇気を与えた。
11年の震災後には皇室の儀礼より国を癒やすことを優先し、国民に向けて異例のテレビ放映でメッセージを発表した。
90年代にバブルが崩壊して日本が「失われた10年に突入したときも、そうした姿勢は変わらなかった。
新年の一般参賀で前向きで新しい年への希望に満ちたメッセージを送って、国民を励まし続けた。
■「象徴」の遺産は次代へ
控えめで非政治的な役割に終始してきた天皇だが、本物の軍隊を配備できるように平和憲法を改正しようとする安倍晋三首相の取り組みには懐疑的だと、日本の近代に詳しい文芸評論家の加藤典洋ら専門家はみている。
退位するタイミングも、改憲を推し進める安倍に皇室が違和感を抱いていることと関係があるのではないかと指摘する声まであるほどだ。
天皇自身は明言していないものの、平和主義と憲法の維持という一貫したメッセージは国民に届いている。
その功績と、皇室と国民を隔てる伝統の壁を少しずつ取り払ってきた功績によって、天皇明仁は初の「庶民の天皇」として退位する。
穏やかな物腰も彼の遺産の1つになるはずだ。
今年2月、天皇は在位30年を振り返って、平成が国民の強い思いに支えられてその名のとおり平和を成し遂げた時代だったことを強調し、平和の大切さを説いた。
彼の遺産は息子に引き継がれるだろう。
新天皇に即位する皇太子徳仁もかねて父と同様、親善訪問に積極的で、ベトナム、タイ、カンボジア、ラオスなど、世界各国を訪れてきた。
新天皇に即位した後も父親の志を受け継ぎ、近隣の国々と友好の絆を育むことに積極的に関わっていくだろう――政治には関与することなく、だ。
平成時代は日本の皇室制度にとって転換期だった。
天皇の役割が変わったのは父・昭和天皇の時代だが、日本の天皇として象徴的で非政治的な役割を全うしたのは、近代以降では彼が初めてだった。
そうすることで、天皇明仁は日本の国際関係を構築し、修正し、育むことに協力するとともに、平和を希求する戦後の日本の立場を強調する手助けもしてきたのだ。
From Foreign Policy Magazine
<本誌2019年04月09日号掲載>
』
『
レコードチャイナ 配信日時:2019年4月8日(月) 23時40分 黄 文葦
https://www.recordchina.co.jp/b699381-s120-c60-d1120.html
<在日中国人のブログ>中国に元号が再びあったらいい
4月1日、新元号「令和」が発表された。
日本中、急に「万葉集」が売られるようになった。
そして、古典ブームを巻き起こした。
中国にもその波が及んだ。
中国で「令和」の由来や出典を巡って、ネットをはじめ各所で大きな話題となっているらしい。
日本でも中国でも、ネットで一気に古典を探る雰囲気になってくる。
古典は日中両国の一番確実な文化的な絆だと感心した。
正直言って、元号がある日本が羨ましい。
今回新元号が生まれることによって、日本での暮らしの中、伝統と現代が融和することを再び心得た。
元号は歴史と文化である。
中国が元号を失ったことを残念に思う。
古代中国が日本に移った、昔の中国人が今の日本人に変身した、と想像した。
今の世の中、元号が使われる国は日本しかないけれど、中国は元号の発祥の地である。
中国の影響を受けて、朝鮮は6世紀、日本は7世紀、ベトナムは10世紀、元号を使い始めた。
当然のように、中国の歴史を言うなら、元号は欠かせない存在である。
西暦は時間軸、元号は時間軸中の空間物語である。
西暦は歴史の望遠鏡、元号は歴史の顕微鏡である。
ある元号を思えば、その時代の物語を思い出す。
日本の元号はほとんどが「四書五経」など中国の古典から出典される。
今、中国は自らの古典の宝蔵を使わないともったいないではないか。
昔の中国の元号を見ると、永、和、平、慶、嘉など美しい文字が多かった。
日本の元号も似たようなスタイルである。
崇禎、康熙など中国昔の元号はたいへん歴史の重みが感じられる。
多くの元号が歴史と共に永遠に人々の記憶の中に刻まれている。
中国では1911年、清王朝が終わった後、元号が廃止されてしまった。
そして、中国に元号が再びあったらいいと思わずにいられない。
今回新元号「令和」の出典について、純和風か、それとも中国古典詩文集の「 文選」からの孫引きか、世間ではいろんな議論があった。
そのおかげで、「文選」も広く知られるようになった。
日本人は現代中国よりもずっと古代中国と中国古典に尊敬の念を持っているらしい。
将来、中国に元号を作るとしたら、日本のように古典ブームが再来すると確信する。
現在、中国の経済はだんだん豊かになってきた。
しかし、文化的貧困はまだ残されていると認めざるを得ない。
元号選考によって、ある程度人々の注目点をカネから文化に転換させればいい。
中華文化の中には良くない部分もあると思うが、「元号」は優れた部分である。
今年は中国建国70 周年を迎える節目の年である。
正直言って、この70年間は中国4000年の歴史とのつながりが薄いと気にしなくてはならない。
「文化大革命」(1966-1976)で、中国の伝統文化がほぼ完全に破壊された。
中国に再び元号があったら、現在と過去の間、歴史・文化の絆が増えてくるだろう。
勿論、元号を作っても、「皇帝の時代」に戻させるわけではなく、元号が真の民主主義と共に到来すれば、中国の幸運だと思っている。
■筆者プロフィール:黄 文葦
十数年間マスコミの現場を経験した後、2009年から留学生教育に携わる仕事に従事。2015年日本のある学校法人の理事に就任。現在、教育・社会・文化領域の課題を中心に、関連のコラムを執筆中。
』
レコードチャイナ 配信日時:2019年4月8日(月) 23時40分 黄 文葦
https://www.recordchina.co.jp/b699381-s120-c60-d1120.html
<在日中国人のブログ>中国に元号が再びあったらいい
4月1日、新元号「令和」が発表された。
日本中、急に「万葉集」が売られるようになった。
そして、古典ブームを巻き起こした。
中国にもその波が及んだ。
中国で「令和」の由来や出典を巡って、ネットをはじめ各所で大きな話題となっているらしい。
日本でも中国でも、ネットで一気に古典を探る雰囲気になってくる。
古典は日中両国の一番確実な文化的な絆だと感心した。
正直言って、元号がある日本が羨ましい。
今回新元号が生まれることによって、日本での暮らしの中、伝統と現代が融和することを再び心得た。
元号は歴史と文化である。
中国が元号を失ったことを残念に思う。
古代中国が日本に移った、昔の中国人が今の日本人に変身した、と想像した。
今の世の中、元号が使われる国は日本しかないけれど、中国は元号の発祥の地である。
中国の影響を受けて、朝鮮は6世紀、日本は7世紀、ベトナムは10世紀、元号を使い始めた。
当然のように、中国の歴史を言うなら、元号は欠かせない存在である。
西暦は時間軸、元号は時間軸中の空間物語である。
西暦は歴史の望遠鏡、元号は歴史の顕微鏡である。
ある元号を思えば、その時代の物語を思い出す。
日本の元号はほとんどが「四書五経」など中国の古典から出典される。
今、中国は自らの古典の宝蔵を使わないともったいないではないか。
昔の中国の元号を見ると、永、和、平、慶、嘉など美しい文字が多かった。
日本の元号も似たようなスタイルである。
崇禎、康熙など中国昔の元号はたいへん歴史の重みが感じられる。
多くの元号が歴史と共に永遠に人々の記憶の中に刻まれている。
中国では1911年、清王朝が終わった後、元号が廃止されてしまった。
そして、中国に元号が再びあったらいいと思わずにいられない。
今回新元号「令和」の出典について、純和風か、それとも中国古典詩文集の「 文選」からの孫引きか、世間ではいろんな議論があった。
そのおかげで、「文選」も広く知られるようになった。
日本人は現代中国よりもずっと古代中国と中国古典に尊敬の念を持っているらしい。
将来、中国に元号を作るとしたら、日本のように古典ブームが再来すると確信する。
現在、中国の経済はだんだん豊かになってきた。
しかし、文化的貧困はまだ残されていると認めざるを得ない。
元号選考によって、ある程度人々の注目点をカネから文化に転換させればいい。
中華文化の中には良くない部分もあると思うが、「元号」は優れた部分である。
今年は中国建国70 周年を迎える節目の年である。
正直言って、この70年間は中国4000年の歴史とのつながりが薄いと気にしなくてはならない。
「文化大革命」(1966-1976)で、中国の伝統文化がほぼ完全に破壊された。
中国に再び元号があったら、現在と過去の間、歴史・文化の絆が増えてくるだろう。
勿論、元号を作っても、「皇帝の時代」に戻させるわけではなく、元号が真の民主主義と共に到来すれば、中国の幸運だと思っている。
■筆者プロフィール:黄 文葦
十数年間マスコミの現場を経験した後、2009年から留学生教育に携わる仕事に従事。2015年日本のある学校法人の理事に就任。現在、教育・社会・文化領域の課題を中心に、関連のコラムを執筆中。
』
『
ダイヤモンドオンライン 2019.4.25 中島 恵:フリージャーナリスト
https://diamond.jp/articles/-/200862
中国人が日本の新元号に異常なまでの関心を持つ理由

Photo:PIXTA
日本の新元号「令和」施行について、中国ではまるで自国のことのように関心を示す人が少なくない。
なぜ、中国の人々は日本の元号に注目し、関心を持つのだろうか。
(ジャーナリスト 中島 恵)
■日本の改元をわが事のように盛り上がる
「今年の5月1日はちょうど中国も休日なので、朝からインターネットで日本の新元号に関する特別番組を見る予定です!」
先日、大連在住の女性とウィーチャット(中国のSNS)でやりとりした際、彼女はウキウキした様子でこんな返信を送ってくれた。
新元号「令和」の施行まであと数日。
日本では「歴史的な一日」を前にさまざまな準備が進められているが、お隣の中国でも、なぜか日本の改元をまるでわが事のように気に留めて、ソワソワしている人が少なくない。
5月1日は中国では労働節(メーデー)の祝日。
この日からちょうど4連休となるため、旅行に出かける人も多いが、私がチェックしたSNSの中には「歴史的瞬間をこの目で見るために、いざ東京へ!」などという書き込みをする日本マニア(?)もいて、一部の人はやけに盛り上がっているようなのだ。
中国人も日本の新元号にそんなに注目しているのか――。
私がそう感じたのは4月1日のことだった。
菅義偉官房長官による発表が行われたのは午前11時40分過ぎだったが、それから数分も経たないうちに、中国共産党機関紙「人民日報」でも「日本の新元号」に関する発表があった。
中国の主要紙である「環球時報」などいくつもの媒体でも、同じような報道が続き、日本のメディアとほとんど変わらないほどの素早さだった。
また、マスコミの報道を追いかける形で、個人がSNSに投稿する文章が目に飛び込んできた。
「新元号は令和!恭賀!(おめでとう)」
「安倍首相の安の字は、結局使われなかったんだ!」
「平和にするということで、いい響き。いい元号だ」
「新元号、ついに決定!」
など、新元号に対する反応は、日本人のそれとほとんど同じようなものであり、そんなことが日本以外の国のSNSで繰り広げられ、彼らの関心がそれほど高いことに私はとても驚かされた。
■新元号の典拠について中国のSNSで相次いだ投稿
よく知られているように、元号といえば中国が発祥だ。
前漢時代の「建元」が最初だといわれており、日本人も世界史の授業で学んだ「康熙」(こうき)、「雍正」(ようぜい)、「乾隆」(けんりゅう)などがあるが、中国は1911年、清朝の「宣統」(ラストエンペラーで有名な宣統帝・溥儀の時代)を最後に、元号を廃止している。
元号は、今では“本家”の中国にはなく、日本でのみ連綿と続いているものだ。
中国人は、自分たちがすでに失ってしまったものだからこそ、それほどまでに興味や関心があるのだろうと思ったが、さらに驚いたのは、それから間もなくしてからだった。
新元号の典拠について、安倍晋三首相は『万葉集』と発表していたが、中国人の間からは、典拠は(中国最初の詩文集である)『文選』(もんぜん)ではないか?という投稿が相次いだからだ。
そうした投稿と前後して、岩波文庫編集部のツイッター(以下の※で解説)上での指摘をはじめ、日本のメディアでも漢学者などへの取材から、「中国が典拠なのでは」という説がどんどん飛び出し、ネット上で大きな盛り上がりを見せた。
だが、岩波文庫編集部のようなプロではない、ごく一般の中国人のSNSでも、ほぼ同じ時間帯から同様の指摘をする人がいたことに、私は舌を巻いてしまった。
※新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』の補注に指摘されています。「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五」)とある。
■漢字や漢文への思い入れが深い中国の人々
日本で開催の『顔真卿展』も大フィーバー
いくら漢詩、漢文のお国柄とはいえ、新元号の発表からわずかしか時間が経っていない段階で、すぐに『文選』にある張衡の詩がもとになっているのではないか、という指摘が飛び出すというのは、非常に鋭いとしかいいようがない。
しかも、私とSNSでつながっている知人や友人(大卒者がほとんどだが、特別なエリートというわけではない会社員や教師)でさえそのように指摘しているのを見て、中国人の古典への造詣の深さ、漢文への関心の高さを改めて感じさせられた。

●東京・上野で開催された『顔真卿展』には多くの中国人が足を運んだ
この一件で思い出したのだが、今年の2月にも同じように、中国人の漢字や漢文への思い入れの深さを強く感じさせられる出来事があった。
東京・上野にある東京国立博物館で開催されていた『顔真卿展』を見に行ったときだ。
顔真卿(がんしんけい)とは唐代の書家・官僚の名で、書聖といわれる王羲之を超えたともいわれる人物。
今年1月中旬から約1ヵ月間、開催されていた展覧会に私も足を運んだのだが、そこは「ここは中国か?」と思うほど数多くの中国人が入場して、ごった返していたのだ。
2月上旬の時点で入場者が10万人を突破した同展には、台北の故宮博物院に収蔵されている顔真卿の傑作「祭姪文稿」(さいてつぶんこう)が展示されており、めったに見られないその作品を目当てに、春節の大型連休を利用して大勢の中国人がやってきていた。
日本人でも書道に親しみを感じている人はもちろん多いし、幼い頃から書道教室に通っていたという人も相当いるだろう。
だが、一部の書道家や愛好家を除いて、一般の日本人は、草書、隷書、楷書などの書体についての知識や興味はあまり多くないのではないだろうか。
また、日本人は、習い事や授業の一環として書道の経験はあっても、その後、わざわざ書道展を見に行く機会は、絵画展などの美術展に行く機会と比べると多くないと思われるし、書道展のほうが規模は小さく、日本ではどちらかというと「書道」は話題になりにくいのではないか、と個人的には思う。
だが、同展覧会では、観光で来日していた中国人が、書体の一つひとつを指さしながら「このハネが……」「この筆のかすれ具合が……」などと唾を飛ばしながら激論していた姿があちこちで見られたし、在日中国人のSNSなどでも、「ついに念願の顔真卿展に行った!」「記念に筆や硯、図録を買ってきたので、今度、中国へのお土産にするよ」といったような投稿を数多く見かけた。
中国人の「書体や漢字そのものへの関心の高さ」は並々ならぬものがあり、やはり“本家”は、日本人とは熱の入り方が違うのだなと感じさせられた。
■「国学」への関心が高まり古典ブームが巻き起こっている
中国のある程度知的レベルの高い層の人々と話していて感じるのは、その豊富な語彙力や表現力だ。
文章を書いたり、会話をしたりしているときに四字熟語を多用したり、さらさらと漢詩を書いたりすることも珍しくない。
日本人の中にも四字熟語に詳しい知識人は多いが、ふだんから漢詩をさらさらと書けるような人はめったに見かけない。
以前、九州の城下町にある小さなカフェを取材した際、その店主が、中国人旅行客が書いたというメッセージを私に見せてくれたことがあった。
来店した人が自由に感想を書き込める「思い出ノート」の一部だったが、中国人は皆、自作の素晴らしい漢詩を書いていた。
このようなことは頻繁に起きていることなのか、あるいは私がこれまであまり気がつかなかっただけなのかは、正直いってよくわからない。だが、中国では、少なくともここ数年、「国学」への関心が以前よりも高まっていることは確かだ。
国学とは、論語をはじめ、孟子、老子、大学、四書五経、弟子規(孔子などの教えに基づく生活規範)などの中国の古典のこと。
日本では古くからこの分野の研究が進み、「孫子の兵法」などに代表されるように、日本で出版されている中国古典のレベルは高く、また、日本社会にも「中国からやってきた文化」は知らず知らずのうちに浸透している。
だが、“本家”の中国では、文化大革命などの影響で、これらの古典は長い間、軽んじられたり、日の目を見なかったりするような風潮があった。
ところが、ここ数年、中国では経済的な成長と比例するように、人としての成長を求める動きがあり、その基盤となる古典ブームが巻き起こっている。
“本家”としての自覚に目覚めつつあると感じるのだ。

●『日本の「中国人」社会』(日本経済新聞出版社)、著者:中島恵、新書:232ページ
北京や上海にある大手の書店に行けば、「老子」「孟子」「論語」などの本が、大人向けから子ども向けまでズラリと売られており、私の知人の子どもが通う幼稚園では「弟子規」の内容を歌にして園児に歌わせている。
中学や高校では、以前は「語文」(日本でいう国語のこと)の授業の一部でしか漢詩などは扱わなかったが、近年では「古典」という科目を教えている学校もある。
テレビでも、大学教授が中国の古典をわかりやすく解説する番組「百家講壇」があるし、1人が漢詩の前半を暗唱し、もう1人がその漢詩の後半を暗唱する、2人1組で参加するクイズ形式の番組「詩詞大会」もとても人気がある。
私もこれらの番組を中国で何度か見たことがあるが、幼い子どもが、突然出題された難解な漢詩をそらんじている姿に感動を覚えたものだった。
■“本家”としての自意識や知的好奇心
今回の日本の新元号発表は、彼らに、“本家”としての自意識や、知的好奇心のようなものを呼び起こさせたような気がする。
だからこそ、4月1日の中国のSNSはあれほど盛り上がりを見せ、来る5月1日にも注目しているのではないだろうか?
京都を旅行した中国人観光客の中には、「ここはまるで昔の長安の都のようだ」と感じる人が少なくないと聞くが、彼らがそんなふうに感じる「心のふるさと」が、もしかしたら日本には数多く残っているのかもしれない。
』
ダイヤモンドオンライン 2019.4.25 中島 恵:フリージャーナリスト
https://diamond.jp/articles/-/200862
中国人が日本の新元号に異常なまでの関心を持つ理由

Photo:PIXTA
日本の新元号「令和」施行について、中国ではまるで自国のことのように関心を示す人が少なくない。
なぜ、中国の人々は日本の元号に注目し、関心を持つのだろうか。
(ジャーナリスト 中島 恵)
■日本の改元をわが事のように盛り上がる
「今年の5月1日はちょうど中国も休日なので、朝からインターネットで日本の新元号に関する特別番組を見る予定です!」
先日、大連在住の女性とウィーチャット(中国のSNS)でやりとりした際、彼女はウキウキした様子でこんな返信を送ってくれた。
新元号「令和」の施行まであと数日。
日本では「歴史的な一日」を前にさまざまな準備が進められているが、お隣の中国でも、なぜか日本の改元をまるでわが事のように気に留めて、ソワソワしている人が少なくない。
5月1日は中国では労働節(メーデー)の祝日。
この日からちょうど4連休となるため、旅行に出かける人も多いが、私がチェックしたSNSの中には「歴史的瞬間をこの目で見るために、いざ東京へ!」などという書き込みをする日本マニア(?)もいて、一部の人はやけに盛り上がっているようなのだ。
中国人も日本の新元号にそんなに注目しているのか――。
私がそう感じたのは4月1日のことだった。
菅義偉官房長官による発表が行われたのは午前11時40分過ぎだったが、それから数分も経たないうちに、中国共産党機関紙「人民日報」でも「日本の新元号」に関する発表があった。
中国の主要紙である「環球時報」などいくつもの媒体でも、同じような報道が続き、日本のメディアとほとんど変わらないほどの素早さだった。
また、マスコミの報道を追いかける形で、個人がSNSに投稿する文章が目に飛び込んできた。
「新元号は令和!恭賀!(おめでとう)」
「安倍首相の安の字は、結局使われなかったんだ!」
「平和にするということで、いい響き。いい元号だ」
「新元号、ついに決定!」
など、新元号に対する反応は、日本人のそれとほとんど同じようなものであり、そんなことが日本以外の国のSNSで繰り広げられ、彼らの関心がそれほど高いことに私はとても驚かされた。
■新元号の典拠について中国のSNSで相次いだ投稿
よく知られているように、元号といえば中国が発祥だ。
前漢時代の「建元」が最初だといわれており、日本人も世界史の授業で学んだ「康熙」(こうき)、「雍正」(ようぜい)、「乾隆」(けんりゅう)などがあるが、中国は1911年、清朝の「宣統」(ラストエンペラーで有名な宣統帝・溥儀の時代)を最後に、元号を廃止している。
元号は、今では“本家”の中国にはなく、日本でのみ連綿と続いているものだ。
中国人は、自分たちがすでに失ってしまったものだからこそ、それほどまでに興味や関心があるのだろうと思ったが、さらに驚いたのは、それから間もなくしてからだった。
新元号の典拠について、安倍晋三首相は『万葉集』と発表していたが、中国人の間からは、典拠は(中国最初の詩文集である)『文選』(もんぜん)ではないか?という投稿が相次いだからだ。
そうした投稿と前後して、岩波文庫編集部のツイッター(以下の※で解説)上での指摘をはじめ、日本のメディアでも漢学者などへの取材から、「中国が典拠なのでは」という説がどんどん飛び出し、ネット上で大きな盛り上がりを見せた。
だが、岩波文庫編集部のようなプロではない、ごく一般の中国人のSNSでも、ほぼ同じ時間帯から同様の指摘をする人がいたことに、私は舌を巻いてしまった。
※新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』の補注に指摘されています。「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五」)とある。
■漢字や漢文への思い入れが深い中国の人々
日本で開催の『顔真卿展』も大フィーバー
いくら漢詩、漢文のお国柄とはいえ、新元号の発表からわずかしか時間が経っていない段階で、すぐに『文選』にある張衡の詩がもとになっているのではないか、という指摘が飛び出すというのは、非常に鋭いとしかいいようがない。
しかも、私とSNSでつながっている知人や友人(大卒者がほとんどだが、特別なエリートというわけではない会社員や教師)でさえそのように指摘しているのを見て、中国人の古典への造詣の深さ、漢文への関心の高さを改めて感じさせられた。

●東京・上野で開催された『顔真卿展』には多くの中国人が足を運んだ
この一件で思い出したのだが、今年の2月にも同じように、中国人の漢字や漢文への思い入れの深さを強く感じさせられる出来事があった。
東京・上野にある東京国立博物館で開催されていた『顔真卿展』を見に行ったときだ。
顔真卿(がんしんけい)とは唐代の書家・官僚の名で、書聖といわれる王羲之を超えたともいわれる人物。
今年1月中旬から約1ヵ月間、開催されていた展覧会に私も足を運んだのだが、そこは「ここは中国か?」と思うほど数多くの中国人が入場して、ごった返していたのだ。
2月上旬の時点で入場者が10万人を突破した同展には、台北の故宮博物院に収蔵されている顔真卿の傑作「祭姪文稿」(さいてつぶんこう)が展示されており、めったに見られないその作品を目当てに、春節の大型連休を利用して大勢の中国人がやってきていた。
日本人でも書道に親しみを感じている人はもちろん多いし、幼い頃から書道教室に通っていたという人も相当いるだろう。
だが、一部の書道家や愛好家を除いて、一般の日本人は、草書、隷書、楷書などの書体についての知識や興味はあまり多くないのではないだろうか。
また、日本人は、習い事や授業の一環として書道の経験はあっても、その後、わざわざ書道展を見に行く機会は、絵画展などの美術展に行く機会と比べると多くないと思われるし、書道展のほうが規模は小さく、日本ではどちらかというと「書道」は話題になりにくいのではないか、と個人的には思う。
だが、同展覧会では、観光で来日していた中国人が、書体の一つひとつを指さしながら「このハネが……」「この筆のかすれ具合が……」などと唾を飛ばしながら激論していた姿があちこちで見られたし、在日中国人のSNSなどでも、「ついに念願の顔真卿展に行った!」「記念に筆や硯、図録を買ってきたので、今度、中国へのお土産にするよ」といったような投稿を数多く見かけた。
中国人の「書体や漢字そのものへの関心の高さ」は並々ならぬものがあり、やはり“本家”は、日本人とは熱の入り方が違うのだなと感じさせられた。
■「国学」への関心が高まり古典ブームが巻き起こっている
中国のある程度知的レベルの高い層の人々と話していて感じるのは、その豊富な語彙力や表現力だ。
文章を書いたり、会話をしたりしているときに四字熟語を多用したり、さらさらと漢詩を書いたりすることも珍しくない。
日本人の中にも四字熟語に詳しい知識人は多いが、ふだんから漢詩をさらさらと書けるような人はめったに見かけない。
以前、九州の城下町にある小さなカフェを取材した際、その店主が、中国人旅行客が書いたというメッセージを私に見せてくれたことがあった。
来店した人が自由に感想を書き込める「思い出ノート」の一部だったが、中国人は皆、自作の素晴らしい漢詩を書いていた。
このようなことは頻繁に起きていることなのか、あるいは私がこれまであまり気がつかなかっただけなのかは、正直いってよくわからない。だが、中国では、少なくともここ数年、「国学」への関心が以前よりも高まっていることは確かだ。
国学とは、論語をはじめ、孟子、老子、大学、四書五経、弟子規(孔子などの教えに基づく生活規範)などの中国の古典のこと。
日本では古くからこの分野の研究が進み、「孫子の兵法」などに代表されるように、日本で出版されている中国古典のレベルは高く、また、日本社会にも「中国からやってきた文化」は知らず知らずのうちに浸透している。
だが、“本家”の中国では、文化大革命などの影響で、これらの古典は長い間、軽んじられたり、日の目を見なかったりするような風潮があった。
ところが、ここ数年、中国では経済的な成長と比例するように、人としての成長を求める動きがあり、その基盤となる古典ブームが巻き起こっている。
“本家”としての自覚に目覚めつつあると感じるのだ。

●『日本の「中国人」社会』(日本経済新聞出版社)、著者:中島恵、新書:232ページ
北京や上海にある大手の書店に行けば、「老子」「孟子」「論語」などの本が、大人向けから子ども向けまでズラリと売られており、私の知人の子どもが通う幼稚園では「弟子規」の内容を歌にして園児に歌わせている。
中学や高校では、以前は「語文」(日本でいう国語のこと)の授業の一部でしか漢詩などは扱わなかったが、近年では「古典」という科目を教えている学校もある。
テレビでも、大学教授が中国の古典をわかりやすく解説する番組「百家講壇」があるし、1人が漢詩の前半を暗唱し、もう1人がその漢詩の後半を暗唱する、2人1組で参加するクイズ形式の番組「詩詞大会」もとても人気がある。
私もこれらの番組を中国で何度か見たことがあるが、幼い子どもが、突然出題された難解な漢詩をそらんじている姿に感動を覚えたものだった。
■“本家”としての自意識や知的好奇心
今回の日本の新元号発表は、彼らに、“本家”としての自意識や、知的好奇心のようなものを呼び起こさせたような気がする。
だからこそ、4月1日の中国のSNSはあれほど盛り上がりを見せ、来る5月1日にも注目しているのではないだろうか?
京都を旅行した中国人観光客の中には、「ここはまるで昔の長安の都のようだ」と感じる人が少なくないと聞くが、彼らがそんなふうに感じる「心のふるさと」が、もしかしたら日本には数多く残っているのかもしれない。
』