2019年2月16日土曜日

娘から年賀:日本酒の詰め合わせ

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 娘から年賀が届いた。
 日本酒の詰め合わせ。
 曰く「全国新酒鑑評会 金賞受賞蔵 清酒呑み比べ」だそうである。
 越乃寒梅・八海山・天領盃いつもありがとう・吉野川・ふなぐち菊水一番搾り、の5本詰めである。
 すべて新潟のお酒である。
 そして大漁おつまみ一袋。
 1月5日発送とあるから、船便で40日ほどかかったことになる。
 さてさて、どんなキッカケで飲もうか?
 ただ飲んだらアットいうまに空瓶になる。
 いつもは箱の酒の安酒でいい。
 質より量である。
 何かイベントが’ないと開けにくい。


【参照】

JB Press 2019.6.23(日)早坂 隆 
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56787

「生魚も食べられない」外国人に日本酒を広めた男
逆算思考に“未来評価”を加えた蔵元・南部美人がつなぐバトン


●新酒を楽しむ会2013(盛岡グランドホテル)での南部美人の日本酒樽【Wikimedia Commonsより】

 岩手県の一蔵元にすぎなかった株式会社南部美人が、自社の日本酒「南部美人」を世界的なブランドに押し上げた。
 さらなるグローバル展開を推し進める5代目蔵元・久慈浩介氏は、戦略やマーケティングありきではない「情熱」「心」「志」の重要性を説く。
 ノンフィクション作家・早坂隆氏の著書『現代の職人 質を極める生き方、働き方』より、そんな全国の匠たちの熱量と、物づくりにかける思いを紹介する。(JBpress)

※本稿は『現代の職人 質を極める生き方、働き方』(早坂隆著、PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。

■技よりも「人」が大事

 研ぎ澄まされた感覚を持つ職人たちを蔵元として束ねる久慈さんは、「技術が大切なのは当然の上で」と前置きした後、こう話す。
 「酒造りにおいて最も大切なのは、結局は『人』なんです。
 とにかく我が酒蔵では『人』にこだわっています。
 細かな技術などは腐るほどありますが、それらを操る『人』がきちんとしていなければ駄目だろうと」
 「技の凄さよりも『人』。
 『人』を育てるのが私の仕事です。
 そういった哲学から、私たちは人事の体制を具体的に改めました」
 「昔から南部杜氏は季節派遣の出稼ぎ採用となるのが慣習だったのですが、それを改めて、杜氏を社員として採用するようにしました。
 そうすることによって、技術の育成と継承を図ったわけです」
 久慈さんがにこやかな笑みを見せる。

■「和」の心が良い酒をつくる

 「最も大切にしている言葉は『和醸良酒』ですね。
 これは『どんなに良い原料、どんなに良い技術を持っていても、それだけでは良い酒はできない。
 本当の意味で酒造りに重要なのは、造り手たちの和である』という意味の言葉です。
 『和をもって造ってこそ良い酒ができる』ということですね」
 「たとえば、日本で最も高価な原材料を使えば良い酒ができるかと言えばそれは違う。
 また、天才杜氏が1人いれば良い酒ができるかと言うとそれも違うんです。
 『和をもって造る酒こそ良い酒である』ということを、昔の人たちは身をもって知っていたのでしょう。
 私はこの言葉がすべてだと思っています」

 日本有数の名酒を生み出す達人が、酒造りに最も大切な言葉として挙げたのは、なんと「和」の精神であった。
 我が国で最初に制定された成文法(憲法十七条)は、「以和為貴(和ヲ以テ貴シトナス)」から始まる。
 これほど日本人の民族性を表す一字は他にないであろう。
 熟成された南部美人の穏やかな妙味の中には、日本人の伝統的な「和のこころ」が込められていたのである。

 思えば、久慈さんも松森さんも、その言葉の端々に「酒造りへの畏怖」を漂わせていた。
 畏怖の念があるからこそ、そこに謙虚さが生まれる。
 独善(どくぜん)や驕慢(きょうまん)、不遜(ふそん)を嫌い、謙虚であることの肝要さを知る者たちが集まった時、初めて生まれ出づるのが「和」の織り成しのように思える。酒とはまさに民族性の鏡であろう。

■なぜ?世界への挑戦

 そんな久慈さんが目を向けたのが、世界の市場であった。
 1997(平成9)年、久慈さんは他の蔵元たちと協力して、日本酒輸出協会を設立。
 同協会の目的は、蔵元自らが海外へと赴き、日本酒に関する普及活動を行うことだった。
 「3代目である祖父が二戸市の南部美人を岩手の南部美人にした。
 4代目である父が岩手の南部美人を日本の南部美人にした。
 それでは私ができることは何か。
 私は日本の南部美人を世界の南部美人にしたいと思いました」
 しかし、周囲からは、
 「蔵元が世界に日本酒を持って行って売る? 
 何を考えているんだ? 
 そもそも生魚も食べられない外国人に、日本酒の味なんてわかるわけがない」
といった反対の声があがった。
 しかも、1990年代後半、日本酒は全国的な「地酒ブーム」の中にあり、南部美人も東京や大阪への出荷が増えて、ただでさえ多忙な時期だった。
 そんな中、わざわざ海外に出ることに懸念を示す意見が大半を占めたのは、当然のことだったとも言える。
 それでも久慈さんは、果敢にアメリカへと渡った。
 久慈さんはこう考えていた。
 「海外に進出するのは今のためじゃない。将来のために行くんだ」
久慈さんはこう語る。

■未来のために、道を拓く

 「誰かが何もない野原に道を拓かないと、いつまで経っても歩道はできないし、アスファルトの道路にもならない。
 ましてや、日本の人口は減っていくのだから、未来を考えて道を拓いておかなければ日本酒に未来はない。
 そんな思いでした」
 当時は国の補助なども全くなかったが、同協会はニューヨークで日本酒に関するセミナーや試飲会を開催。
 この時のアメリカ人たちからの反応は、驚くほど良いものだった。
 「いつも飲んでいる日本酒と全然違う。どうしてだ?」
 久慈さんは確かな手応えを感じた。
 「これまで君たちが飲んでいた日本酒なんて偽物だ。
 これが本当の日本酒だよ」
 当時、アメリカに流通していた日本酒は、カリフォルニアなどで造られたコストの安いものが大半だった。
 増醸酒という苦難の時代を乗り越え、それぞれの酒蔵で工夫と研鑽を積み重ねてきた本物の日本酒とは、酒造技術に雲泥の差があった。

(これはいける。勝負できる)
 久慈さんはそう感じた。
 一滴にまで心を砕いた雑味のない日本酒の味わいと香りが、ニューヨーカーたちの心を摑んだ。
 そして、反響はニューヨークからボストン、シカゴへと広がり、やがては世界各地へと伝わっていった。
 久慈さんはその後も日本酒の普及のため、世界中を飛び回った。
 進出当初には、試飲会は盛況でも実際の販売数が伸び悩む時期もあった。
 しかし、飲食店を1軒、1軒回るといった地道な営業活動を継続した結果、着実に販路は拡大していった。

■「世界」に認められた酒

 2010(平成22)年、経済産業省製造産業局に「クールジャパン室」が開設され、「クールジャパン戦略」が打ち出されると、日本酒の輸出はいよいよ加速した。
 すなわち、民間の力によって切り拓かれた可能性が、国の後押しを得るまでに至ったのである。
 2013(平成25)年には、「和食(日本人の伝統的な食文化)」がユネスコ無形文化遺産に登録され、これも大きな追い風となった。
 「和食は世界3大料理になれるだけの可能性を秘めています。
 その際、美味しい本物の日本酒は欠かせない存在となります」
 現在、南部美人は「サザンビューティー」の名称で、実に世界28カ国で親しまれている。
 アメリカやヨーロッパはもちろん、アラブ首長国連邦といった中東地域でも高い人気を誇り、エミレーツ航空の国際線の機内酒にも採用されている。
 世界的な認証である「モンドセレクション」では8年連続で金賞以上を受賞。
 南部杜氏のこだわりは、世界を席巻したのである。

■繋ぐ使命感と、成功の意味合い

 これまでの道のりのすべてが順調だったわけではない。
 2011(平成23)年の東日本大震災の際には、酒蔵の設備が破損。
 さらに、震災後に広がった全国的な自粛ムードの中で、日本酒の消費は落ち込んだ。
 久慈さんも親しい友人を失った。
 しかし、そんな悲嘆の底にあっても、(落ち込んでいても仕方がない。自分よりもずっとひどい地獄を見ている人たちが大勢いる)と久慈さんは懸命に前を向いた。
 久慈さんは「東北の食材や酒を通じた復興支援」を、SNSを通じて発信。
 「ハナサケ! ニッポン!」と題した活動を展開して大きな話題を呼んだ。
 そんな久慈さんは、今後の展望についてこう語る。
 「私が大切にしている言葉の1つに成功は次の世代が決めるというものがあります。
 酒蔵の使命は何かと言えば、私は『続いていくこと』だと思うんです。
 継続していくことが大事
 「過去にしっかりとした仕事をしてくれた人たちがいたおかげで今の私たちがいます。
 今この瞬間の南部美人の評価というのは、これまで頑張ってくれた人たちの積み重ねのおかげです。
 これを次の世代に繫(つな)げていかなければならない」
 「そして、次の世代がさらに頑張って私を追い抜くことにより、そこで初めて私の成功が認められるわけです。
 私の成功は私のためにあらず。
 私の成功は親父の成功となります」
 「そして、私への評価は私の息子や孫の世代がどうするかによって決まる。
 目先の評価に意味はありません。
 息子はまだ中学生で野球に夢中になっていますが、まあこれからでしょう」
 久慈さんはそう言って破顔一笑した。
 それはまさに南部美人の飲み心地を思わせる、爽やかで柔らかく、ごまかしのない笑顔であった。


●『現代の職人 質を極める生き方、働き方』(早坂隆著、PHP研究所)






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